第5話 燻製
「
ライアンはそう呟いてから私を見た。
「やり方を教えてもらってもいいか?」
「包丁はあるかしら?」
頷いてから聞くと、ライアンは「ナイフなら」と折り畳み式の小さいナイフを持ってきた。
……切り辛そうね。まぁ、これしかないなら仕方ないわ。
私は肉の塊をナイフで薄く削いでいった。
できるだけ薄くした方が食べやすいと思う。
「調味料は何かあるかしら」
「塩と胡椒はある」
持ってきてもらった壺に入っている塩をすくって、肉にすりこんでいく。
香辛料が他にもあるといいんだけどね……。
一通り作業を終えて、私はライアンに言った。
「このまま、しばらく――しっかり作るなら、半日くらい置くわ」
「――ずいぶんと時間がかかるんだな」
「そういうものなのよ」
私はグレゴリーの言葉を思い出した。
一緒に燻製肉づくりをしたときの会話だ。
『はやく食べたいのに。どうしてそんなに時間がかかるの?』
『そういうものなんですぜ、お嬢様。美味しく作るためには、時には時間が必要』
大きく息を吐いて膝を抱えた。
グレゴリーとスザンナに会いたいわ。
「……それで、どうしてあんなことになっていたんだ」
急に会話がなくなったテントの中で、沈黙に耐えかねたようにライアンが聞いてきた。
「使用人、とか言っていたな。あんたは貴族の家の人間か何かか?」
顔を上げると、彼は興味深そうにこちらを見ている。
「一応、そうなの」
私は頷いた。
「家を出て、ルーべニアにいる知り合いのところに行くつもりだったわ。酒場であの人たちがルーべニアまでの馬車に乗せて行ってくれるって言うからその言葉を信じてしまって……馬鹿みたいだったわ」
話が複雑になっても嫌だったのでローレンス公爵家の名前を出すのは止めた。
「酒場で会った知らない人間の馬車に、夜に女1人で乗せてもらうつもりだったのか」
呆れたようにライアンは言ってから、彼は噴き出した。
「……あんたは変わった人間だな。世間知らずなようなのに、度胸があるというか思い切りがいいというか、……肉の処理とか妙に手馴れているし」
褒められているのかよくわからなかったけど、悪く言う言い方ではなかった。
「その会いに行きたい人――うちの料理人だったのだけど――に教えてもらったのよ。お父様やお母様はそんな料理なんて使用人の仕事だからと言うけれど……私はそれが一番楽しかったわ。――他のことは、からっきし」
ライアンも膝を抱えて話し出した。
「俺もそうだよ。魔法の研究が一番楽しくて、他のことはあまり得意じゃなかった」
それから彼はくっと笑った。
「少し似ているかもな、俺とあんたは……」
***
それからぱちぱちと燃える焚火を見つめることしばらく。
「とりあえず、燻製でそれなりに食べれるか確かめるだけだから、もう塩抜きをしましょうか。明日には
「塩抜き? せっかく味をつけたのに?」
「全体的に塩気を均一にさせるのよ。表面だけが塩辛くなってしまうから。
ライアンは「ある」と隅から丸い木桶を持って来た。
……たいていの物があるわね。
私はそれに壺から水を入れて、塩漬けの肉を放り込んだ。
「このまま、またしばらく置くわ。それから朝まで乾かして……、風が当たる場所があると良いんだけど」
テント内をくるくると見回す。
「家の厨房だと、風が抜ける部屋があったんだけれどね……」
そう言うと、ライアンは「風が吹き抜ければいいんだな」と言って立ち上がった。
またテントの奥から杖のようなものを持ってきて、隅の床の上に何かくるくると描き始めた。
「それ……何?」
「魔法陣だ。俺はここでしばらく作業している」
他にすることもないのでじっと見ていると、ライアンがくるくると杖先で床の上をなぞるたび、そのなぞったところが光って模様が浮かび上がった。
追剥の人たちを縛った光の縄や、お肉を入れてある冷蔵の穴みたいに。
杖の動きはとても複雑だった。こんなのよく覚えてられるのね……。
「できた」
ライアンがそう言うと、その魔法陣全体が光って、ヒュォォォォという音をさせて風がその円陣から上に噴き出した。
「これで良いか」
テントの壁の一部を窓のように開けて、その風を通す。
私は両手を握った。
「とっても良いわ」
「この魔法陣なら2日程度は風を送れる」
「便利ね……。こんなにいろいろできるのに、試験は難しいの?」
私の質問にライアンはため息交じりに答えた。
「俺は術式は完璧なんだ。だから魔法陣を使えば、魔法効果を十分発揮できる。だけど、魔力量が足りないから、魔法陣なしの即興魔法が得意じゃない。試験は、師匠とのその場での魔法勝負……即興魔法だ」
「即興魔法?」
「あんたを助けた時に火を飛ばしただろ? ああいう風にその場で発動させる魔法。――俺の魔力じゃあの
罠ってあの人たちを縛った魔法のことかしら。
あれがなかったら……結構危なかった?
思わず黙り込むとライアンは笑った。
「まぁ、この周辺にはだいたいどこも罠張ってるから問題なかったよ」
とりあえず一緒に笑っておいた。
お肉も良い感じに塩抜きができたようだったので、取り出して網で挟んで、風が吹き出す魔法陣の上に吊るすように置いて、今日の作業は終わりになった。
「じゃあ、おやすみなさい」
そう声をかけてテントの隅で横になる。
ライアンはベッドみたいなところを譲ってくれて、反対側の床に横になっている。
助けてもらったうえ、寝場所を譲ってもらって申し訳ないのだけれど、「そこで寝てくれ」と言われたので「いいえ」とも言い辛かった。
ライアンって良い人よね……。
そう思いながら、横になったら即座に眠気が襲ってきた。
***
ぐーっという音で目を覚ました。それが自分のお腹の音だと気づいて起き上がる。
そう、昨日は……。
私はテントを見回した。酒場で声をかけてもらって馬車に乗ったら、その人たちに襲われて、魔法使いに助けてもらったんだわ。
助けてくれたライアンは風の吹き出す魔法陣のところで、昨日干したお肉を眺めていた。
「起きたか」
私に気づいたライアンはコップに水を入れて渡してくれた。
それを飲んで、目を完全に覚ます。
「――こんな感じになっているが、これで問題ないか?」
私も魔法陣の近くに寄ってみる。
風ががんがん当たるからか、お肉はいい感じに乾いていた。
「うん。いいと思うわ。――あとは、
「どうする?」
「木を砕いてチップを作れれば一番いいけれど、後は周りを覆う感じで……」
私はテント中央の焚火周りに積まれた焚き木を手に取って匂いを嗅いだ。
あ、これ、香りの強い、よくグレゴリーが燻製に使ってた木だわ。
「この木が良いと思う」
「砕けばいいんだな」
ライアンは頷くと、また杖を手に取って地面に何か描き始めた。
その上に木を置くと、下から鋭い風みたいなのが吹き出して木を細かいチップ状に砕いた。
「本当、便利ねー……」
覗き込もうとすると、ライアンは慌てたように私の肩を掴む。
「危ないから手を入れるなよ!」
下から風が噴き出して、寝起きでくしゃっとなっていた前髪が1本飛んだ。
「……」
危ないわね……。
びっくりして尻餅をついて目をぱちぱちしていると、またぐーっとお腹が鳴る。
「どれくらい燻すんだ?」
「――お昼くらいまでは時間をかけたいわね」
ライアンは立ち上がると、床に丸めてあったローブを羽織った。
「俺は外のあいつらをふもとの村に連れて行くが、あんたはどうする? 村からルーべニアまでの馬車は出ていると思うが……、できれば……もう少し調理のやり方を教えて欲しいが……」
やり方を教えて欲しい、と言われて悪い気はしなかった。
私が誰かに何かを教えるなんて、初めてだわ。
「助けてもらったお礼だもの。ここで火を見ているわ」
そう答えると、ライアンは「助かる」と頷いて、付け加えた。
「村で何か食べ物を買えれば買ってくる」
よ……良かった……何か食べれる……。
思わずその場で飛び跳ねてしまった。
「戻るのは夕方くらいになるかもしれない。テントの周りには、魔物除けの魔法陣を描いてあるから、そこから出ないでくれ」
ライアンはくすりと笑ってから、そう言い残してテントを出て行った。
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