第4話 魔物食の理由

 ……どれだけ、不味いの……。

 私は大きく息を吐いて、覚悟したようにまたその黒い液体をスプーンですくうライアンを見つめた。


 明るいところで見ると、彼の頬はやつれていた。

 ――可哀そう……。


 せっかく食事を食べるのに、こんなに辛そうに食べるなんて……。


「――食べるの、止めたら……?」


 もう一口、口にそれを入れようとする彼を思わず制止した。


「……何だ、急に」


「いえ、だって、それ、美味しくないでしょう」


 そう聞くと、ライアンは不機嫌そうな顔のまま答えた。


「美味くは……ない」


「美味くはない、程度……?」


「――不味い、と自分で言ったら余計食べたくなくなるだろう」


 そう自分で言ってから、ライアンは俯いてしまった。


「不味い、不味いんだ……」


 悲しそうだ。聞かない方が良かったかしら。

 でも、ここまでの反応だと逆に一口食べてみたくなる。


「――私も、一口もらってみてもいい……かしら?」


「後悔すると思うぞ」


 ライアンは「本当に食べるか?」と2回念押しをしてから私の分を注いでくれた。


 お皿の中には黒々として、粘った液体。その中に黒い塊が浮いている。

 ……この黒いのは……お肉、かしら。

 こんな黒い肉なんて見た事ないけれど。腐ってるわけじゃないわよね。

 

 私はごくりと唾を飲んでから、恐る恐るその液体をすくって口に入れた。

 口の中がぬめっとして、何とも言えない生臭い泥水を発酵させたような臭いが鼻を抜ける。私は「う」とえずくと、慌ててさっきのライアンのように水を一気に飲んで咳き込んだ。


「だから後悔すると思うと言ったのに……」


 呆れ顔のライアンを私は肩で呼吸をしながら見つめた。

 水を飲んだのに喉の奥にどろっとした感触が残っている。


「あなたは――どうしてこんなのを食べているんですか?」


 「こんなの」なんて言い方を人が作ったものにするのは失礼だけれど……。

 本当にこの人何でこんなものを食べてるんだろう。


「――魔力限界値を増やすためだ……」


 深いため息とともに彼はそう答えた。


「魔力限界値?」


「俺は、魔法使いだが――、魔力が少ないんだ」


「人はそれぞれ魔力量が決まっている。魔力量が多いほど、魔法をたくさん使えるわけだが、俺はそれが他の魔法使いより低い。魔力の強い魔物を食べることで、体内の魔力値を上げられるんだ。この山は精霊力が強くて――、魔物の魔力値が高い。だから、この一月程、この山で魔物を食べている」


 一月、という言葉に私は絶句した。

 この食事で一月? ……それはやつれるわね……。


「そこまでして、魔力値っていうのを上げないといけないの?」


「承認試験がある。師に魔法勝負で勝たないと、正式な魔法使いとして認められない……。術式は誰よりできる自信があるんだが……、魔力量が全然足りないんだ……」


 ライアンは大きく息を吐いて頭を抱えてしまった。

 かなり悩んでいるみたいだ。


魔力量が足りない、というのがどれだけ魔法使いにとって重大なのかは私にはわからないけれど。人と比較してできなくて落ち込んで悩む気持ちはよくわかった。


 それに……、


「偉いわ……」


 私はしみじみと呟いた。


「偉い?」


 怪訝そうに聞き返されて、思わず口をふさいだ。


「ご、ごめんなさい。ただ……その、魔力量というのを上げるために、これを一月も食べて頑張っているなんて……すごいと思ったんです」


 本当に偉いと思ったの。落ち込むだけじゃなくて、それを乗り越えようと努力していて。私は、勉強もダンスも社交もアリスと比べて嫌になって諦めて、屋敷に閉じこもって甘い物を食べて心を紛らわせて、挙句の果てに家を飛び出してしまって、簡単に騙されて殺されかけたのだから。


 でも……「偉い」なんて言葉、偉そうに聞こえたかしら。

 どきどきしながら顔を上げると、ライアンは俯いてしまっていた。


「……辛い」


 彼は俯いたまま呟いた。「え?」と聞き返す。


「……もう食べたくない」


 その声は……震えていた。

 え、ちょっと待って、この人、泣いてる?

 突然の状況に私は混乱してしまう。

 泣いてる男の人を見るなんて初めてよ。


「……えぇ……」


「でも、食べないと魔力量は上がらないんだ。俺は魔法の研究を続けたい……」


 ライアンは顔を上げると、椀に注いだ液体を勢いよく口に流し込んだ。

 それからまた、水を流し込んで咳き込んだ。

 口を押えて青い顔をしながらこちらを見る。


「――悪いな。一月ぶりに人と話したものだから、つい……」


 かわいそうだわ。


 その言葉が頭に浮かんだ。

 どうにかしてあげたい気がする。


「……他に食べ方はないの? 焼くとか」


「焼くのは一番初めに試したんだ。……こう、ねばねばが歯に絡んで余計気持ち悪い。スープにすれば、喉に流し込める」


「そうなの……、まだお肉って残っているのかしら。見せてもらってもいい?」


 元凶の魔物のお肉っていうのを見てみたいという好奇心が湧いてきた。

 どんなものなんだろう。


「腕の良い料理人に、少し教わっていたわ。助けてもらったお礼に何か力になれるかも」


 怪訝そうな顔のライアンにそう言うと、彼は少し考える様子を見てから頷いた。


「ここにある」


 そう言って、テントの奥の板が敷いてある場所に行くと、その板を外した。

 中は穴になっているようで、覗き込むと冷気が顔にかかった。

 白い光の文字が中で光っていて、石が敷かれた穴の中は霜が降りていた。

 そこに黒いお肉の塊がどんどんっと並べてある。


「昨日捕まえた一角兎の肉だ。血抜きして内臓はとってある」


「ちょっと見てみてもいいかしら」


 私は袖をまくると、その黒い塊を取り出した。

 それは、本当に黒かった。凍っていて冷たかったけれど、手で触れたところが溶けて、ぬめりとした嫌な感触が手につく。


「これ……腐っているわけじゃないのよね」


「魔物の肉はみんな黒い。あいつらは血も黒いだろう。身体の構造が普通の動物とは違うんだ。腐っているわけではない」


 ちなみに、とライアンは言葉を付け加えた。


「毒はない。食べても問題はない。不味いだけだ」


 私はしばらく肉の塊を見つめてから呟いた。


「……燻製くんせいにしてみたら、どうかしら」


 そう、ビーフジャーキーみたいな。

 薄く切って、煙でいぶして。パリパリ食べられるような形にしたらどうかしら。

 あの独特の沼みたいな臭いを消すために、強い匂いの香木でいぶせば、クセのある味が逆にスパイスになったりして……。

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