第3話 家出
夜は部屋の鍵をかけられてしまっているため、外に出ることはできない。
日中はずっと家庭教師がついているので、動けない。
――夜のうちにこの部屋から外へ出るしかない。
私はソファをずらすと、その上に乗って窓のカーテンを外した。
長いロープのような形にすると、それを窓枠に結び付けた。
――ここは2階だけど、これをつたって外に出ればいいわ。
それから、外に出ても目立たないよう、ドレスではなく使用人の服に着替えた。
お金は持っていないので、いくつかのアクセサリーを布で包んで身につけると、窓を開けて、カーテンのロープを持って外へ飛び出した。
行く先は決まっていた。
グレゴリーとスザンナがいるところへ行きたい。
二人なら私のことを受け入れてくれると思う。
お父様は「
二人の故郷は隣国ルーべニアだ。
ルーべニアに行こう。
私は中庭に着地すると、そのまま門を抜け出した。
お父様やお母様は私を探そうとするかしら。
――家出なんてそれこそ恥さらしだとして、探すかもしれないわ。
それで連れ戻されたら今度こそ、窓もふさがれて閉じ込められるかもしれない。
日が昇るまでにできるだけ遠くへ行かなくちゃ。
屋敷を出て、城下町の方へ走る。
夜の街は怖いほど人気がなかったけれど、一角、光が漏れている場所があった。
――酒場だわ。
私はその扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
店員が私を見て首を傾げた。
「お嬢さん、見ない顔ですね」
「え、ええ……」
そう呟いてあたりをきょろきょろ見回す。
店内にいるのは、汚れた格好のいかつい男の人が多い。
――魔物退治なんかを請け負うっていう、冒険者、という人たちかしら。
「何飲みますか?」
店員さんが声をかけてくるので、私は困ってしまった。
――お金は持ってない。
「支払いは、これでも良いかしら」
そう言って宝石のついたアクセサリーを見せると、その店員さんは困った顔をした。
「――お支払いはお金でお願いします」
どうしようかしら、そう困り果てていると、
「お嬢ちゃん、俺が
横から大柄な男の人がお金を店員さんに渡してくれた。
「ありがとうございます……。えぇと林檎のジュースを……」
そう言うと男の人は噴き出した。
「酒場でジュースかい。まぁいいや。この子にあげてくれ」
私はグラスを飲みながら男の人を見た。3人ほどのグループ連れらしい。
「助かりました」
「いいって、いいって。あんた酒場なんかに来ない人間だろ、どうしたんだ、金も持ってねぇみたいだし」
「――――ルーべニアまで行きたいんですけど、人に、会いに……どうやって行けばいいかわからなくて」
そう言うと、彼らは顔を見合わせて頷いた。
「ちょうど俺たちもルーべニアまで行くところだ。こう見えて商人でな。馬車もある。乗せてってやってもいいぜ」
「本当ですか!」
私は両手を組んで飛び跳ねると、頭を下げた。
「ありがとうございます。いつごろ出発しますか? ――できるだけ早く、出たいのですが」
「まぁ、いつでもいいんだけどよ。――何だったら、今から馬車を出してやろうか」
「本当ですか!」
何て運が良いんだろう。その時の私は単純にそう思ってしまった。
***
馬車の荷台に乗せてもらって、私は大きく息を吐いた。
このまま乗せていってもらえれば、グレゴリーとスザンナに会える。
そう考えたら急に眠気が襲ってきた。
そういえば、ここ数日空腹や疲れでよく眠れてなかったわ……。
膝を抱えて、私はそのまま眠ってしまった。
「――結構宝石持ってるな。どこかの貴族の娘か、こいつ」
そんな会話が耳に入ってきて、私はばっと目を開けた。
立ち上がろうとして、そのまま地面――土の上に転がる。
私は馬車には乗っていなかった。周りは草藪。道もない場所だ。
ここはどこ?
手足が縛られていて、身体が動かせない。
「起きたみたいだ。本人に聞くか」
馬車に乗せてくれたあの男の人たち三人が私を取り囲んでいたる。
「おはよう、お嬢ちゃん。こんないい物持って、あんたどこの貴族様だ」
1人が私の持って来たアクセサリーを手に乗せて見せた。
血の気が引くのを感じた。
私ってば何て馬鹿なんだろう。運がいいとか、そういうことじゃなかった。
この人たち、最初からそのつもりだったんだわ。
「――名乗って、どうなるの」
「そりゃ、あんたの家族に金をもらうなり、なんなりさせてもらうさ」
「私の家族は私なんかにお金なんか払わないかもれないわよ」
男はにっと笑って言った。
「そうか。そんなら面倒だからここらへんに埋めさせてもらうか」
手には光るナイフを持っている。
――ああ、もう、何でこんなことに。
簡単にこの人たちを信じた自分が馬鹿だった。
私の頭に浮かんだ言葉は1つ。
――こんなお腹が減った状態で死にたくない。
大きく息を吸い込むと、大声で叫んだ。
「誰か!! 助けて!!」
「こんな山中に人がいるわけねぇじゃねぇか」
「叫べ、叫べ」と彼らはクスクスと笑ったその時――。
暗闇を裂いて火の玉が空の上から落ちてきた。
「熱っ!?」
私を囲んでいた彼らは飛びのいた。地面の草が燃えて周囲が明るくなる。
慌てて手足を縛る縄を炎で焼いて立ち上がると、後ろの茂みをがさっと鳴らして、
「騒がしい。何をしているんだ」
不機嫌そうな声とともに、黒いローブを身に着けた男の人が現れた。
――背の高い、細長い男の人だった。
伸び放題の金色の髪に、髭を生やしていて、若いのか年をとっているのかわからない。
――よくわからないけれど、この人が助けてくれたのよね。
私は枯草を燃やしている燃える炎を見つめた。
――魔法?
「――人さらいか、追剥か……」
彼は私たちを見比べて呟いた。
呆然としていた私ははっとして、彼に訴えた。
「――この人たちに、殺されそうになって……!」
「……そんなところだろうな」
彼はため息交じりに呟くと、何かもごもごと唱えた。
途端、地面が光り始めて、身構える追剥たちの身体に光る縄のようなものが絡みついた。
「うわぁ、何だこれ……動け……ぁうぅ」
それは彼らにぐるぐると絡みついて最後には口も塞いでしまった。
ぐるぐる巻きにされた状態で3人は地面に転がる。
「――これ……、魔法ですか?」
聞くとローブの男の人は面倒そうなため息を吐いた。
「そうだ。――魔物捕獲用に仕掛けておいたのに……、また明日魔法陣描き直さないと……」
それから、彼らの足の部分にとんとんっと触って行く。すると、足先を縛っていた光だけが解けた。
「自分たちで歩いてくれ。明日ふもとの村の自警団に引き渡すからな」
彼らを立ち上がらせ、光の縄を連結させて、その先を持って歩き出した。
観念したような追剥たちは、とことことそれについて行く。
数歩進んでからその魔法使いは私を振り返る。
「あんたもとりあえずついてこい。このまま森にいると魔物に喰われるぞ」
言われるがまま後ろをついて行く。
「――ありがとうございます。おかげで助かりました……。私はソフィアと言います。あなたは……」
「ああ。良かった。俺はライアンと言う」
素っ気なく答えて、ライアンは道のない草藪をずんずんと進んで行く。
「あなたは、魔法使いですか?」
「そうだ。ここで修行中だ」
「――本物の魔法使いは初めて見たわ。うちの使用人で魔法を使う人はいたけれど」
「そうか」
すたすたと暗闇を進む彼を追いかけて行くと、水の流れる音がする川辺についた。
その川辺の横に、テントのようなものが張ってある。
中では焚火が燃えているらしく、そこだけ明るかった。
「今晩はここで大人しくしていろ。動くと絞まるからな、じっとしているのが一番いいぞ」
ライアンは、そう言って男たちの足をもう一度触った。
光る縄がしゅるしゅると足を縛る。
その様子を口を開けて見ている私に彼は声をかけた。
「あんたはとりあえず中に入れ。明日村まで連れてってやる」
テントの入り口を持ち上げてくれている。
外は寒くて、火の灯りが恋しかったので、お言葉に甘えて中にいれさせてもらった。
テントの中は思ったより広くて、中央には焚火があって、天井から鍋が吊るされてぐつぐつと音を立てていた。音だけは食欲をそそる音だった。だけど……いい匂いというよりは、異臭が、何か焦げたような臭いのような、そんな臭いが立ち込めている。
思わず鼻をつまむと、彼は「ああ」と何かに気づいたように呟いて、呪文のような言葉を呟いた。ふわりと風が起こって、鍋から立ち上がる湯気を天井から伸びた煙突のような方に導いた。臭いが少しマシになる。
「これは何の臭いですか?」
「飯だ。一角兎を煮ている」
一角兎……は、角の生えた兎で、凶暴な魔物だったはず……。
私は本物を見たことはないけれど。
その時、私のお腹が鳴った。
「――悪いが食うものはこれしかない」
彼はぐつぐつ煮える鍋を指差す。
「食うか?」
彼は鍋の蓋を開けた。むわっとまたすごい臭いが立ち込める。
鍋の中には何か黒いどろどろした泥水みたいな液体が入っていた。
「……」
私は言葉を失って、黙り込んだ。
「食わない方が賢明だ」
彼はそう言って鍋からその黒い液体をすくって椀に入れ、スプーンですくって口にいれた。私はそれをじっと観察する。――あれ、人が食べていい物なのかしら。
「う……」
ライアンは苦しそうにそう呻いて、口を押えた。
顔が青白い。
しばらくそうしてからようやくそれを飲みこんで、すかさず近くの壺に入った水をがぶ飲みした。
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