第2話 決心

 お腹がいっぱいになって、ドレスがますますきつくなる。

 スザンナに紐を緩めてもらっているのを見てグレゴリーは笑った。


「じゃあ、デザートを作るから、着替えて待っててくだせえ」


「着替えて、私も手伝うわ」


 私は首を振って立ち上がると、自分の部屋に戻った。

 服を脱ぎ、スザンナのような屋敷のメイドの服を着る。


 この格好が一番動きやすい。汚れを気にしなくて良いし。

 厨房でグレゴリーを手伝うときはいつもこの格好だ。

 身体をぎゅうぎゅう縛るパーティー用のドレスより、この格好の方がしっくりくる。


「お待たせ」


 厨房に戻ると、グレゴリーはパイ生地をこねていた。


「お嬢様、申し訳ない。具を頼んでいいですかい」


 頷いて、スザンナが出してくれた林檎の皮を剥いて切り分る。そうしていると、グレゴリーがかまどに手をかざした。ぼっとあっという間に火がつく。


 グレゴリーは魔法の研究の盛んな隣国ルーべニアの出身で、火を起こしたり、消したりする簡単な魔法が使える。

 

私はフライパンを手に取ると、林檎をバターで炒めて、砂糖を入れて煮込み始めた。

ぐつぐつ音がし始めたら、調味料を追加する。


 厨房の棚には、すごい数の瓶が並んでいる。

 グレゴリーが揃えたスパイスだ。

 魔法草を砕いた粉だとか、塩や砂糖や何かの普通の調味料と違うものがたくさん並んでいる。いくつかはグレゴリーとスザンナが屋敷の隅の畑で栽培しているものだ。私は果物の甘みを増やす甘樹かんじゅの皮とその他いくつかの調味料を手に取った。今日はとにかく甘い林檎のパイが食べたい。


「お嬢様は手際が良いわねえ、あなた。私なんかどの瓶に何が入っているのか然わからないのに。この前、その瓶のスパイスを自分で使ってみたら、とても食べらないものができてしまったんですよ」


 スザンナが感心したように呟いて、グレゴリーが頷く。


「俺以外にこの瓶を触らせられるのはお嬢様だけだ」


 耳がくすぐったくなる。私のことを褒めてくれるのはこの二人だけだ。

 ――お父様もお母様も私が厨房に出入りするのを見ては顔をしかめるけれど。


 そんなことは使用人の仕事だって。

 

 私が作った林檎のソースをパイ生地に詰めて焼く。

 焼きあがった生地からその場で頭からそこに突っ込みたいくらいの良い匂いがした。


「紅茶はこの前買った北部のお茶がいいわ。すっきりしていて合うと思うの」


 スザンナにお茶を準備してもらう。

 思った通り、すっきりしたお茶と甘いパイはよく合った。


「このお茶と最高に合うな」


 グレゴリーはパイを一口食べて、お茶を飲むとため息をついた。


「でしょう。合うと思ったの」


 はしゃいでそう言うと、うちの料理人夫妻は安心したように笑った。


「良かったわ。お嬢様に笑顔が戻って」


「急に泣き出すもんだから、何があったのかと思いましたよ」


「心配かけてごめんなさい。――ちょっと、婚約破棄をされてしまって」


 二人は顔を見合わせ、ぽかんと口を開ける。


「あの王子様ですかい。そりゃ、また、お嬢様を振るなんてもったいないことを……」


「――私と一緒にいるのが恥ずかしいんですって……、まぁ、当然よね。こんな見た目だもの。アリスみたいに綺麗だったら良かったのに」


 二人は困ったように黙り込んでしまった。

 ああ、またこんな困らせるようなことを聞いてしまって、私は駄目ね。

 また気持ちが落ち込んで来る。もう一切れ食べないと……。

 フォークをパイに突き刺して口に運ぼうとすると、その手にスザンナが手を重ねた。


「そんなことないですよ、お嬢様。お嬢様の方がアリスお嬢様より表情豊かで可愛らしいわ。特に食事を召し上がった時なんか」


 二人は顔を見合わせてふふっと笑った。


「そうそう、お嬢様は俺の料理人人生の中でも一番美味そうに飯を食べてくれる方ですぜ」


 グレゴリーはぽんぽんっと私の肩を叩いた。


「まぁ、王宮なんて堅苦しいところより、どこかの貴族のお屋敷で奥様をやられた方がよろしいかもしれませんね。お嬢様は良い奥様になりますよ」


「――そうかしら」


「美味しい食事は生活の基本ですぜ、お嬢様。お嬢様くらい舌が良ければ、俺みたいな良い料理人を雇えます」


 得意げにそう言うグレゴリーに私も笑った。


 ――その時、


「ソフィア! またそんなところでつまみ食いをしているのか!」


 お父様の怒鳴り声が厨房に響いた。


 パーティーから帰って来たばかりの礼装姿のお父様・お母様・アリスが呆れ果てたような顔でこちらを見ている。


「全く、お前のせいで私たちが恥をかいたというのに、何の反省もしていないようだな」


 お父様はそう吐き捨てるように言うと、つかつかと私の方に歩いてきて、手を振り上げた。

 思わず目を閉じる。ばしん、という音と共に頬に痛みが走った。

 よろめいてその場に倒れ込む。


「自分で自分が恥ずかしいと思わないのか? 姉であるのに、勉学に裁縫にダンスに何一つアリスに及ばない。社交場にも行かず、引きこもって使用人の真似事のようなことばかり……。アリスに比べて醜いのであれば、せめて愛嬌くらい身に着け、他のところで努力をするべきであろう」


 お母様はお父様と同じ厳しい目で私を見ていて、アリスは困ったように口元を押さえている。けれど、その手の下で妹がくすりと笑っているのがわかった。 


 私はただ俯いて唇を噛んだ。


 勉強だってお裁縫だってダンスだって私なりに頑張ったわ。

 だけど、アリスみたいにはうまくできなかった。

 せっかくお腹がいっぱいになって満たされたのに、また、何か食べたくなってくる。


 その時、グレゴリーとスザンナが私に駆け寄って来た。


「旦那様、お言葉ですがお嬢様にきつく言い過ぎではありませんか」


 グレゴリーがお父様を睨むように言った。


「お食事もせずに帰ってらっしゃって、お腹が減ってらしたとのことなので、夕食を俺が作ってさしあげただけです」


 お父様はグレゴリーの首元を掴んだ。


「――使用人風情が主人に口ごたえをするか。大体、お前たちがソフィアを甘やかし、食事を与えすぎるから、私の娘がこんなに醜くなり、せっかく取り決めた王太子殿下との婚約を破棄されてしまったんだ!」


 ぐらぐらとグレゴリーをゆすって、お父様は叫んだ。


「クビだ! 故郷くにへ帰れ! お前の代わりなどいくらでもいる。今すぐ荷物をまとめて今晩中に出て行け!」


 そして、そのまま彼を放りなげると、私の襟元を掴んで、部屋へと引きずって行った。


「お父様! グレゴリーとスザンナを追い出さないで! 私が悪かったわ!」


 自分の部屋に投げ込まれた私は、そう言いながらどんどん扉をたたいた。

 けれど、鍵は閉められてしまっていて、扉は開かない。

 その夜、窓から馬車が一台屋敷を出て行くのが見えた。

 ――グレゴリーとスザンナはあれに乗って行ってしまったのかしら。


***


 眠れないまま朝を迎えた。


「お嬢様、朝食ができました」


 そう言って、よくやく侍女が扉を開けてくれたので食堂へ行くと、お父様もお母様もアリスも既に食卓に座っていた。テーブルにはずらっと色とりどりの料理が――グレゴリーじゃない他の料理人が作ったものが並んでいたけれど、空いた一席――私の椅子の前にだけは、少しだけ野菜の浮いたスープが置いてあるだけだった。


「――ソフィア、あなたの食事はそれよ」


 お母様がため息交じりに言う。


「お父様とお話して、アリスと同じ体形になるまで、あなたの食事をしばらく制限します」


 私は呆然としながら「はい」とだけ呟いて、席に腰掛けた。


「それから、あなたには今日から家庭教師をつけます。午前中は教養、午後はダンスと音楽、1か月、まずはしっかりそれをこなしてもらうわ」


「――わかりました」


 そう呟いて、家族が色々な料理を少しずつとって食べている中、薄い味のスープをすくって飲んだ。


「それでは、我が国の王族の家系図を書いて」


 食事が終わるとまた部屋に戻され、家庭教師だというその女の人がずっと付きっ切りで私に貼りついた。


「――はい」


 あまり食事をしなかったせいか、頭がぼんやりする。

 何とか建国からの王族の家系図を書きあげると、びしっと長い木の棒のようなもので手を叩かれた。


「時間がかかり過ぎです。王族の方を家系を知っていることは貴族としての基本です。アリスお嬢様なら半分の時間で書けますわ」


 1日中、そんな感じだ。

 午後のダンスや音楽の教師も同じことを言う。


「アリスならもっとうまくできる」


 そして、夕食もまた、薄い味の具のほとんどないスープだけだった。


 そんな日が4日ほど続いて、私はほとんどふらふらになっていた。

 自分の右腕を左で掴んで考える。

 少し細くなった気がする。――でも、アリスみたいになるまで、どれくらい?

 

 ――それまで、こんな生活をしていたら、死ぬんじゃないかしら。


「――お父様もお母様もそれが望みだったりして……ね……」


 自嘲気味に呟いてから、私はその場にしゃがみこんだ。


 グレゴリーが作ってくれた食事が食べたい。

 スザンナにお茶を入れてもらいたい。

 お腹が減ったわ。


 私は立ち上がって窓を見た。


 この家に私の居場所はない。

 ――出て行こう。

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