婚約破棄された公爵令嬢は山で修行中の魔法使い(隣国王子)と出会い、魔物を食べ、婚約しました。

蜜柑

第1話 婚約破棄

「ソフィア、お前との婚約を破棄する」


 蔑むような目で私を見ながら王太子であるジョセフ様はそう言った。


 それは、王太子様のお誕生日を祝うパーティーでのこと。

 私はローレンス公爵家の長女で、王太子様の婚約者だ。

 社交場が苦手だからと言って行かないわけにいかない。


 メイドたちになんとか準備をしてもらって、私は王宮へ赴いた。


「お誕生日おめでとうございます。王太子殿下」


 お父様が深々と頭を下げる。

 私たち一家に向かって階段を降りてきた王太子様は、途中で歩みを止めた。

 ジョセフ様は私を見つめながらわなわなと拳を震わせている。


「王太子殿下?」


 お父様が顔を覗き込もうとすると、ジョセフ様は私を指差して叫んだ。


「ソフィア! また太って……、お前は人間ではなく、豚か」


 顔が恥ずかしさで赤くなる。私は自分の体を見た。

 ドレスが破れんばかりの二の腕に、ぎりぎりまで緩めたせいでほどけそうな背中の紐。

 社交場を避けていたのでジョセフ様に会うのは半年ぶりくらいかしら。

 その時に比べてもまた太ってしまった気はしていたけれど……。


「僕は! お前なんかと皆の前に出たくない!」


 ジョセフ様は子どものように地面を踏み鳴らして、冒頭の言葉を叫んだ。


「婚約破棄だ!」と。


「王太子殿下、落ち着いてください。確かにソフィアは……」


 お父様は私をちらりと見てため息を吐いて「何というか」とごにょごにょと口ごもった。そのため息が全ての答えだ。

 わかってるわよ。私だって自分のことを醜いって思っているもの。ここにいるみんながそう思ってることなんてわかってる。


「嫌だ嫌だ。どうして僕の婚約者はソフィアなんだ。お前が美しいアリスとの姉だなんて誰が信じるんだ」


「まぁ、美しいだなんて、ジョセフ様」とまんざらでもない様子で頬を押さえて照れているのは、社交場で美をつかさどる「愛情の女神の化身」なんて呼ばれているらしい、妹のアリス。


 だけど実際――アリスは、どこからどう見ても美しい。

 金色の髪の毛はキラキラ光っていて、まるで本物の金細工みたいだし。青い瞳は宝石みたいだし。白い肌は陶器みたいにツルツルだし。女神様を描いた絵の中から出てきたみたいな姿をしている。


 焦げ茶色の土みたいな色の髪と瞳で、それこそ土浴びをしている動物みたいな私と血が繋がっているのが嘘みたいだ。


 そもそも私がジョセフ様の婚約者なのは、私がアリスよりも1年先に生まれたからというだけで……。


 私はジョセフ様を見つめると、言った。


「わかりました。婚約破棄で結構です。私は帰りますので」


 私はそう言うと後ろを向いて歩き出した。

 家に帰りたい。家に帰って、うちの料理人のグレゴリーが焼いてくれた美味しい林檎パイでも食べたいわ。良い香りの紅茶を飲みながら。

 甘くて美味しいものを口に含めば、嫌なことは全部忘れられるもの。


 後ろではジョセフ様と家族の会話が聞こえる。


「ローレンス公爵、ソフィアではなく、アリスと僕を婚約させて欲しい」


「申し訳ございません、王太子殿下。アリスは隣国ルーべニアの第2王子との婚約の話が出ておりますので……」


「お気持ちは大変嬉しいのですが、ジョセフ様……」


「美しいアリス、僕の方が君を幸せにできるよ。君だって、隣国なんかに行くより、この国にいた方が良いだろう」


「そんな……、私には決められませんわ……」

 

 アリスの全然困ってなさそうな浮ついた声色に思わず顔をしかめる。

 隣国ルーべニアは、魔法の研究が盛んな大国だ。

 お父様もお母様も、この国の王太子に嫁がせるよりも、アリスを隣国の王家に嫁がせたいと考えている。アリスは綺麗だから、お見合い話が山のようにある。


 後ろで繰り広げられる会話に私の居場所はない。

 誰も私を追いかけてこようともしなかった。


「お嬢様、お一人でお帰りですか?」


 馬車に戻ると、従者は怪訝そうな顔をした。


「そうよ。戻るわ」


 私はそう言って、馬車に自分で乗り込んだ。勢いよく座るとどしんと馬車が揺れて、馬が身体をブルブルと振るった。振り返った従者は少し含み笑いを浮かべているように見えた。


 ――嫌ね、本当に嫌。

 私は綺麗な布地を破らんばかりの肩や二の腕を隠すように腕馬車に置いておいた黒いショールを羽織った。

 こんな醜いドレス姿なんか誰にも見せたくない。


 馬車が屋敷に着くと、そのまま厨房へ向かった。


「あれ、お嬢様、今日はパーティーじゃないんですかい」


 厨房のテーブルに腰掛けて、奥さんのスザンナと一緒に食事をしていた料理人のグレゴリーは夫婦で顔を見合わせて首を傾げた。


「パーティーなんか行かない。私が行くところじゃないもの。ねえ、お腹が減ったわ」


 私はお腹を押さえて二人を見つめた。

 とってもお腹が空いていた。

 今だったら何でも食べれる気がする。

 

「グレゴリーが焼いてくれた林檎のパイが食べたいわ。クッキーとマフィンも」


 言いながらぽろぽろ涙が頬を伝うのがわかった。


「お腹が減ったの……」


 そう呟いてその場に座り込むと、「まぁまぁ」とスザンナが駆け寄ってきて背中をさすってくれた。


「デザートは食後にしましょうね。あなた、何かお嬢様に作ってあげてくれる?」


「わかった。何があったがわからんが、とりあえず食べて落ち着くのが一番だ。まずは肉と野菜をしっかり食べような」


 グレゴリーはそう言って立ち上がると、キッチンの方へ向かった。

 私はスザンナと一緒にテーブルに座って、パンをかじる。

 そうしているとすぐにいい匂いがしてきた。


「丘兎のホカピリ煮込みだ。まず、これ食べて温まりな」


 出てきたのは、赤や黄色の野菜とお肉を煮込んだもの。トマトベースのソースで煮込まれている。私はそれをスプーンですくって口に入れた。


 ソースの酸味の奥に、ピリっとした微かな辛さがあって、身体の体温が上昇した。

 名前のとおり、身体も心もホカホカと温まる気がした。


「美味しいわ。酸味の奥に少しだけピリッとした辛さがあって、身体が芯から温まるわ……。お肉自体にホカホカの実とピリピリの実を一対一で漬け込んでから、野菜と煮ているのね。だからお肉にはしっかりした味が、ソース全体にはほのかに味がついて、バランスの良い味わいなのね……」


 そう言うと、グレゴリーは嬉しそうに手を叩いた。


「さすがお嬢様、よくわかってくださる。そうそう、まず先に肉を香辛料に1日漬けとくのがポイントなんだ」


「本当に美味しいわ。お代わりもらってもいいかしら」


 そう言って空になった器を渡すと、グレゴリーは「どんどん食べてな!」と次を注いで持ってきてくれた。


 そうやって食べているうちに、私の落ち込んでいた気持ちはすっかり満たされていた。


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