第106話 夏の定番は進んでやるべし

「そう言えば、他に2組いるって言ってたよね」

「1組しか見えないね」

「どこにいるのかしら」


 それほど広いバスじゃなかったから、乗っていたなら気付いていたはずだ。ということは、その1組は参加をやめたということだろうか。

 しかし、その言葉を聞いた女将さんは首を横に振ると、何故か莉斗りとの隣に立ってにっこりと笑った。


「いえ、もう1組というのは――――――――――」


 そして、あろうことか彼の腕にぎゅっと抱きつくと、存分に胸を押し当てながら堂々と言い放つ。


「私とお客様のことですよ♪」

「「「「……は?」」」」


 1人からは純粋な驚きと疑問が、残りの3人からは隠す気のない殺意が飛び出ると、女将さんはケラケラと笑いながら莉斗から離れた。


「イベントの雰囲気を盛り上げる冗談でございます」

「全く盛り上がってないですけどね」

「お客様のズボンは盛り上がっておりますが?」

「ちょっと莉斗?!」

「わ、わざとじゃないから……」


 ミクに首根っこを掴まれて連れていかれそうなところを、彩音あやねが宥めたことで何とか思い留まってくれる。


「莉斗君も男の子なんだから、大きい胸にああなるのは仕方ないよ」

「確かに……そうよね。童〇だし」

「そうそう、〇貞だから許してあげようよ」


 庇ってもらったはずなのに、3倍くらいのダメージを受けている気がしなくもない莉斗は、美月みつきの「どんまい」という励ましの言葉がトドメとなって涙を零し始めた。


「お兄ちゃん、美月で捨てとく?」

「それだけは絶対に嫌だ……」

「なら早く2人のどちらかに決めることだね」

「っ……」

「そうしてくれないと美月も困るから」


 彼女はそう言いながら莉斗の背中を撫でると、彩音とミクを「それ以上言ったらお兄ちゃんに嫌われるよ?」と止めてくれる。

 なんて兄想いの妹なのだろうか。まるで旅行前とは別人のようだ。……そう、別人のようなのだ。


「本当に美月?」

「正真正銘お兄ちゃんの(最愛の)妹だよ」

「なにか変な間があったね」

「気のせいだよ」


 拭い切れない違和感がものすごいが、普通の妹になってくれたなら兄としても喜ぶべきことだ。

 美月の言っていることは確かに正しいし、いい加減ミクの告白への返事をするべきなのかもしれない。

 頭ではわかっていても、心がどうしても答えを出してくれないから困っているだけれど。


「ちなみに、もう1組はとある事情で来れなくなったそうです。これは冗談ではありませんよ」

「それはわかりましたけど、結局イベントって何をするんですか?」

「ふふふ、よくぞ聞いてくれましたね」


 莉斗の言葉にどこか怪しい笑みを浮かべた女将は、半ズボンのポケットから取り出したスマホを操作して見せる。

 すると、木しか無いように見えていた森の中で、青白い灯りがポツポツとつき始め、ずっと奥へと続く道を照らし出した。


「ずばり、夏の定番『肝試し』でございます」


 女将の宣言に参加者のほとんどは「なるほど」と頷き、一名だけがその場で崩れ落ちたのであった。

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