第92話 『今だけ』や『最後の』には惹かれてしまう
旅行の前日の夜、カバンの中に服やらドライヤーやらを詰めていた
「お兄ちゃん、そんな怖がらなくてもいいじゃん」
「だって……」
莉斗は心の中で文句を言いつつ、荷造りを再開する。そんな彼の横に腰を下ろした美月は、自分の3日分の服などを差し出してきた。
「まだ入るでしょ? 一緒に入れて」
「自分のカバンがあるでしょ」
「……食べたから無いもん」
「バレバレの嘘つかないでよ」
何を考えているのかはよく分からないが、荷物を持ちたくないだとかそんなところだろう。
どうせ同じ部屋に泊まるのだから入れてあげてもいいのだが、妹と言えど女の子の下着が入っているカバンから自分のを取り出すのは如何なものか……。
「美月、お兄ちゃんと一緒がいいの」
「僕に荷物持ちさせたいだけでしょ」
「違うもん! なら美月が持つから!」
「それはダメ。兄として妹に負担はかけられない」
「なら入れて?」
「……わかったよ」
仕方なく自分の分は左半分に寄せ、美月の分を右半分に入れてあげる。
彼女の分には上からタオルをかけておいたから、捲らなければ見えることも無いだろう。
「あと、もう一つお願いがあるんだけど」
「っ……やだよ?」
「襲うわけじゃないから! その、あのね……」
嫌な予感がして逃げ出そうとする莉斗の腕を掴んで引き止めた美月は、どこか寂しげな表情をしていた。
わざわざ『お願い』という形で切り出したとこから考えても、強引に何かをするつもりは本当に無いのかもしれない。
「話だけは聞く」
「ありがと。あのね、勝負のこと覚えてる?」
「忘れるわけないよ」
「もしも美月が負けたら、お兄ちゃんを襲わないって約束したでしょ?」
「したね」
「お兄ちゃんのこと本気だから。もし負けちゃったら、ただの妹でしかいられなくなるのが怖いの」
「美月……」
彼女は「お兄ちゃんからしたら、嬉しいのかもしれないけど」と呟きながら目元を拭う。
確かにその通りではあるものの、妹の気持ちを踏みにじってしまうのは兄として以前に人として胸が痛んだ。
「美月の気持ちは分かるよ。でも、一度決めた勝負は無しに出来ない」
「そこまでは求めてない。ただ、最後になるかもしれないって思いながら、お兄ちゃんのお耳を……」
そこまで言って言葉を詰まらせてしまう美月。彼女の中にも、こんなお願いをするのは間違いなのではと思う気持ちがあるのだろう。
本当は莉斗も優しさなんて捨ててしまいたいくらいだったが、『最後』という単語についつい引き寄せられてしまった。
「本当にこれで最後にするつもりだからね?」
「……いいの?」
その問い返しに頷いて見せると、美月は嬉しそうに飛び跳ねながら抱きついてくる。
そしてそのままベッドの方へと引っ張っていくと、普段の強引さとは違って優しく莉斗を寝転ばせてからその上に覆いかぶさった。
「あ、耳だけだよ?」
「わかってる。……気持ちよくなってね」
「それは美月の腕次第かな」
約束はできないと言う返答を聞いた彼女が「じゃあ、頑張るね」と微笑んだ時の表情が、無性に莉斗の頭の中にこびりついてしばらくの間忘れられなかったそうな。
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