第90話 旅は道連れ世は情け

 時間よりもかなり長く感じた終業式が終わり、莉斗りとと一緒に帰宅したミクは、数日後にまで迫った温泉旅行にウキウキと心を躍らせていた。

 しかし、リビングでテレビを見ている美月みつきを見て、ふと彩音あやねの言葉を思い出す。


「莉斗、旅行のことなんだけど」

「何か問題でもあった?」

「問題というか……鈴木すずきさんも付いてくるって言ってるのよ」

「それは楽しくなりそうだね」

「莉斗はいいの? 2人っきりじゃなくても」

「そ、それは……」


 ジト目で睨んでくるミクに言葉を詰まらせていると、彼女は「まあいいわ」と深いため息をついた。


「どっちにしても美月ちゃんも来るもの」

「……ん?」

「美月ちゃん、連れていくんでしょう?」

「……お留守番じゃないの?」

「中学生の女の子を一人に出来るわけないわよ」


 てっきり置いていくものだと思っていた莉斗は、その事実に納得するとともに頭を抱える。

 数日だけでも離れていられると思ったのに、旅行にまでついてきたらテンションが上がって過激なことをしかねないからだ。


「友達の家に泊まってもらうとかは?」

「……どうして美月ちゃんを仲間外れにするのよ」

「そ、それは……その……」


 さすがに『襲われるから』とは言えず、彼は訝しげに見つめてくるミクを前に黙り込んでしまう。


「か、母さんは2人きりって言ってたんでしょ?」

「それなんだけど、相談してみたら4人での予約に変えてくれたわ。部屋だけは2人にしようかって聞かれたけどね」

「なんて答えたの?」

「一部屋で大丈夫ですって」

「どうして?!」

「当たり前じゃない、料金が倍よ? ただでさえご褒美をもらってるのに、これ以上の迷惑はかけられないわ」

「うぅ……真面目が裏目に……」


 しかし、ミクの気持ちもわからなくはない。予約してくれた旅館はかなりお高いところで、5人家族でも広々過ごせる場所らしいのだ。

 2人ずつになるなんて勿体ないの境地である上に、そもそも分かれる組み合わせは家族である莉斗と美月になるのが妥当。どの道逃れることは出来ないだろう。


「そういうことだから、美月ちゃんには3日後だって伝えておいてくれる? 明日は買い物に行こうってことも」

「ミクが伝えてくれれば……」

「私はこれから掃除をするの。お願いね?」

「は、はぃ……」


 家事を任せている身としては、もうこれ以上口出しはできない。ありがたいという気持ちを噛み締めながら、リビングへと踏み込んで美月の側へと向かった。


「お兄ちゃん、何?」

「3日後に温泉旅行なんだけど着いてくる、よね?」

「2人っきり?!」

「ううん、ミクと彩音さんと4人」

「……チッ」


 お、思いっきり舌打ちしたよね? こんな子に育てた覚えはないのに、どこで間違えてしまったんだろうか……。

 莉斗が心の中で後悔していると、「まあ、いっか」と体を起こした美月がにんまりと笑いながら手を握ってくる。


「誘うってことは、そういうことだもんね?」

「どういう……?」

「温泉ってことは旅館だよね? そんなの夜這いしてって言ってるようなものだよ?」

「ち、違うから!」

「大丈夫、美月は分かるよ。お兄ちゃんは美月のことを求めてるんだよ♪」

「だから違うって――――――――ひっ?!」


 否定しようとした矢先、胸ぐらを掴んでソファーの上に押し倒される莉斗。

 怯えるその瞳を見つめながら、楽しそうに微笑んだ彼女は舌なめずりをしながら耳元で囁いた。


「なら、勝負しようよ」

「っ……勝負って?」

「旅行中に美月はお兄ちゃんを襲うの。一度もキスできなかったらお兄ちゃんの勝ち、帰ってきたら二度と変なことはしないよ」

「もしも美月が勝ったら?」

「もちろん襲い続ける。それと、女装してしっぽを着けたままお出かけしてもらおうかな」

「それは勘弁して……」

「あれ? もしかして妹に負けちゃうの?」

「そ、そんなわけないじゃん! やるよ、勝負」

「ふふ、そう来なくっちゃね♡」


 この時、莉斗はまだ知らなかった。彼女が旅行のことを聞き耳を立てて知っており、密かにとある物を準備しているということを。

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