第78話 誰も不幸にしない嘘にも限度はある

 風呂から上がってきた莉斗りとは、ドライヤーの熱で温かくなった髪を手櫛てぐしで流しつつリビングに入る。

 そこではテレビを見てケラケラ笑っている美月みつきと、ソファで横になっているミクの姿があった。


「……ん?」


 声をかけようと近付いた彼は、ふと机の上に異様なものが置いてあることに気がつく。お酒の缶と黄色い液体の入ったコップだ。


「美月、これ何?」

「何だと思う?」

「もしかして、ミクが飲んだの……?」

「そうかもね」


 ミクはまだ16歳、お酒を飲んでいい歳じゃない。それは本人もわかっているはずだし、彼女は自ら進んでそんなことをするような人間でないことは幼馴染の自分が一番よく知っている。

 だからこそ、莉斗は混乱した。まさか美月が勧めて……いや、美月だってそれがいけないことだとは理解しているはず。ならどうして、と。


「ミク、起きて」

「んん……」

「ほら、水を飲もう」

「……莉斗?」


 ゆっくりと上げられた顔は赤く染まり、口はだらしなくニヤニヤと笑っている。

 缶を持ち上げてみれば何も入っていない、そこそこの量を飲んだということ。つまり、今のミクは酔っ払っているのだ。


「莉斗ぉ〜♡」

「ちょ、抱きついてこないでよ」

「いつもしてることじゃない、いいでしょ?」

「っ……」


 どうしてか、いつもよりミクが可愛く見える。というか色っぽさが増している。

 普段の彼女とのギャップがものすごく莉斗の好みにグサグサと刺さってきた。


「ていうか、莉斗って私のことどう思ってるの〜?」

「どうって……す、好きだよ?」

「なら両思いだね! えへへ♪」

「ぐふっ……」


 お酒の力でここまで人は変わってしまうのかと思うと、将来絶対に飲みたく無くなるほどの恐ろしさを感じる。

 同時に今のミクの甘えモードと押し付けられる『女』の部分の破壊力が凄すぎて、呼吸をするのも苦しいほどにドキドキし始めた。


「両思いなら付き合えるよね? 付き合うまで我慢してたこと、あるよね?」

「……ふぇ?」

「ねぇ、しちゃう?」


 耳元で囁かれてしまえば、体は躊躇うことなくGOサインを出してしまう。

 もしも2人きりだったなら、粉々に砕かれた理性の上を踏み荒らして彼女を押し倒していたかも知れない。

 ただ、莉斗にとって絶対に見られたくない相手がすぐそこにいるのだ。その事実が強引に理性を再形成してくれた。


「み、美月がいるし……」

「そんなのどうでもいいの。私には莉斗しか見えてないもん」

「今はそういう気分じゃないというか……」

「私じゃ不満なの? 物足りない?」

「違うよ、そうじゃなくて……っ?!」


 慌てて否定しようとした矢先、唇に柔らかいものが触れる。もう何度も触れ合っているはずなのに、未だにこの一瞬だけで全身が熱くなる。


「み、ミク……僕は酔った勢いでなんて嫌だよ」

「私はいつでも準備できてるのに?」

「だとしてもお酒のせいで後悔は―――――――」


 したくない。そう言いきろうとして、ふと頭の中に違和感が舞い込んできた。

 ミクはお酒で酔っ払っている……はずなのに、莉斗はキスした時にお酒臭さを全く感じなかったのである。


「ちょっと待って」


 そう言ってミクをソファに座らせ、缶の中を確認してみる。すでに乾いていて何の匂いもしない。先程まで何かが入っていたわけではないらしかった。

 そしてコップの中の液体を嗅いでみると、これまでの経験からそれが何なのかが一瞬でわかった。


「……りんごジュースだ」


 試しに少し飲んでみても何の違和感も感じない、冷蔵庫に入っていた100%のりんごジュース。もちろんこんなもので酔っ払うはずがない。

 まさかと思って缶に書いてある賞味期限を確かめてみれば、やはり少し前に切れていた。

 缶ビールの賞味期限は製造から9ヶ月と聞いたことがある。つまり、このビールは少なくとも半年以上前に買われたもの。莉斗の母親が顔を見せに帰って来た時にゴミとして置いていったものだ。


「ねえ、ミク?」

「……ひ、ひゃい!」

「酔ってないんだね?」

「こ、これには深いわけがあるの……」

「じっくり聞かせて欲しいなぁ、いいよね?」


 ミクは首謀者である美月に助けを求めようとしたが、彼女はいつの間にかリビングから姿を消していた。

 圧倒的不利な立場に追いやられたミクは、渋々首を縦に振るしか出来なかったそうな。


「……はぃ」

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