第5話 離れていても狙われている

 休みの日の朝のこと。

 莉斗りとが昼食に使ったお皿を食洗機に入れていると、ポケットの中のスマホが短く震えた。


「……?」


 確認してみれば、『アヤネル』という名前からのRINEラインメッセージだ。

 中の人はもちろん彩音あやねで、連絡先を交換してからというもの、暇さえあればこうしてメッセージが送られてきている。


『莉斗君、今って暇?』

『暇だと思う』

『いいもの送ってあげるね』


 そう言ってから1分後に送られてきたのは、彩音が写っている動画。ASMR好きの莉斗がよく知っているものも、彼女の目の前に置かれてあった。


『一人でいる時に聞いてね?』

『わかった』


 彼はそう返信すると、テレビを見てケラケラと笑っている妹を横目に、リビングを出て自室へと向かう。

 部屋に入るとドアの鍵を閉めたのを確認し、イヤホンを耳につけてベッドの端に腰を下ろしてから、送られてきた動画を再生した。


『お姉ちゃんが持ってたから借りてきたよ〜。 莉斗君の為にASMRしてあげるね♪』


 動画の中の彩音がそう言いながら触っているのは、ASMR界に触れた人なら絶対に見たことがある、シリコンで本物の耳の形を再現したバイノーラルマイクだ。

 知らない人にわかりやすく言うと、右から話せば右から、左から話せば左から声が聞こえてくるようになる、収録した音が本当に耳元で発されているかのように聞こえるマイクである。


『初めはこうして息を吹きかけてあげる』


 囁き声だけでもくすぐったいと言うのに、マイクに向かって息を吹きかけられると、まるで自分の右耳のそばに彩音がいるように感じてしまった。


『ふふ、気持ちよさそうな顔しちゃって……』


 見えていないはずなのに、彼女の視線がカメラの方を向くと、本当に見透かされているような気分になる。

 何度も緩む表情を戻そうとするものの、息を吹きかけられる度に声が漏れてしまって、気がつけば腰が抜けてベッドに倒れ込んでいた。


「う、上手すぎる……」


 彩音の出す音は、ネット上に転がっているそこらの動画とは比べ物にならない。

 機材がいいということもあるかもしれないが、声や息づかいまでクリアで聞き取りやすく、耳の奥の方まですっと入り込んでくるのだ。


「でも、やっぱり……」


 いくら質が高いと言っても、やはり実際にされる方がドキドキもするし、正直に言ってものすごく興奮する。

 それに、莉斗は初めから不思議に思っていたのだ。彩音が絶対に右耳にしか触れないことを。


「……なにか理由があるのかな」


 この動画も最後まで見たが、やはり左耳には一切何もしてこなかった。

 もしかすると、彼女はわざとそうしているのかもしれない。しばらく悩んだ莉斗は、最終的にそんな結論へ至った。

 現に自分はこうして左耳の物足りなさを感じ、彩音のことばかりを考えてしまっているのだから、ありえない話でもないのだ。


『左耳も同じように』


 スマホにそこまで打ち込んで、莉斗はその文を削除した。その代わりに送ったのは、『すごく良かった』という単純な感想。

 理由は分からなかったが、不思議と今はまだ言ってはいけないような気がしたから。


『それならよかった♪ ところで、明日は暇?』

『暇かな』

『なら、家に遊びに来て』


 突然のお誘いに、莉斗の心臓はドクンと跳ね上がる。わざわざこのタイミングで誘われるということは―――――――――――。


『行く』

『ふふ、いい返事だね〜♪』


 最後に送られてきた『期待は裏切らないよ』の一文に、莉斗が右耳を押さえながら悶えたことは言うまでもない。

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