第2話 2人だけの秘密

「先生、教科書忘れました」

「どうするんだ?」

「隣の人に見せてもらいます」


 4時間目の冒頭、彩音あやねがそう言ったのを聞いて、莉斗りとは反射的に窓の外へと顔を向ける。

 それでも彼女はにんまりと笑うと、莉斗の机に自分の机をくっつけ、我が物顔で教科書を開き始めた。


「莉斗君、怖がってるの?」

「……別に」

「痛いことしたりしないよ?」


 彩音はそう言って、本当に30分ほどは何もしてこなかった。しかし、それは莉斗の警戒心を解くための作戦だったのである。


「ふぅ〜」

「っ……」

「あ、今ビクってしたね?」


 彩音が「ほんとに耳弱いんだね?」と笑うと、莉斗は顔を真っ赤にしながらもぷいっと顔を背けた。彼なりの抵抗らしい。


「彩音さんがリアルASMRしてあげるんだから、もっと喜んでもいいと思うよ?」

「っ〜〜!」

「ほーら、我慢は体に良くないね」


 逃げようにも授業中だから席からは立てない。いくら体を遠ざけようとしても、左側は窓で限界があった。

 そんな状況で甘く囁かれてしまえば、ぼっちであれども正常に異性への関心を持つ莉斗には、とても耐えられるものでは無い。


「こういうのも好き?」

「っ……やめて……」

「あ、好きなんだぁ♪」


 細い指で耳の周りをクルクルと撫でられた。背筋がゾワゾワして、莉斗は溢れてくる声を抑えるので精一杯。


「大丈夫、誰もこっち見てないからね」

「そういう問題じゃ……」

「はい、お耳に集中だよ?」


 彩音がそう言った直後、周囲に触れるだけだったはずの指が、耳の穴へと入り込んでくる。

 莉斗は突然の刺激に「あっ……」と声を漏らしてしまったが、慌てて口を押さえたおかげで誰にも気づかれた様子は無かった。


「ごめんごめん、手が滑っちゃった」

「もう終わりにして……」

「だ〜め♪ 授業もあと5分だよ?」

「あと5分……」


 莉斗はその5分間を必死に堪え、チャイムと同時に離れていく彩音にホッとため息をつく。

 起立と礼を済ませ、ようやく昼食の時間だと弁当箱を取り出した……その時だった。


「莉斗君、行こっか♪」


 彩音に手首を捕まれ、教室から連れ出されてしまったのである。スタスタと歩く彼女の手には弁当箱、一緒に食べるつもりなのだろうか。


「どこ行くの?」

「人気のないところかな」

「どうして?」


 質問ばかりの莉斗に彩音は足を止めると、「分かってるんでしょ?」と振り返りながらにんまりと頬を緩める。


「さっきの続き♪」

「でも、あと5分って……」

「授業はあと5分。それで終わりだなんて言ってないよ?」

「っ……」


 彩音の現状を愉しむような目と舌なめずりに、彼は震えながらもついて行くことしか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る