第10話 謎は謎のまま
大事な人がいなくなっても、なじみの喫茶店は当然だが変わらずそこにあった。
真一郎は若干酒臭く、まるで二日酔いのように顔をしかめていた。高校生なのにである。
「ライブハウスのスタッフが打ち上げをしてくれたんだよ。大盛り上がりで、みんなめちゃくちゃ楽しかったって。近藤の親父もノリノリだったな。あんなキャラだっけ。瑞季も知ってるだろ。近藤の親父」
真一郎は、出されたお冷やをくいっと一気に飲んだ。
こんなに水をうまそうに飲む人は、県大会を目指す体育会系の高校生か、飲み会で午前様のおじさんくらいではないだろうか。
「真一郎と組むことにしたよ。いや、組ませてくれ、かな」
僕の発言に、真一郎は何も言わず、ただ握手を求めてきた。少し気恥ずかしかったけど、僕は真一郎の右手を握っていた。
「生配信の効果だな。俺も本気だったけど、大人たちも本気だった。それが画面からお前に伝わったのかもしれない。
なあ瑞季。人ってさ、死ぬほど本気の人間を見たら、助けたいって思う生き物なんだな。そして自分たちもまた死ぬほど本気を出すんだ。大変だけど、それがまた楽しいんだよ」
嬉々として、昨夜の舞台裏を話す真一郎を、僕はまぶしく見ていた。
真一郎の生配信は、今朝までの間にとんでもない再生回数を記録していた。
口コミが口コミを呼び、真一郎を知らない人たちが何事かと再生した。そして、曲の良さがまた口コミを呼ぶ好循環となった。今も真一郎のSNSには、たくさんのメッセージが送られている。真一郎は一夜にして、ちょっとした有名人からかなりの有名人に昇格していたのだ。
話が一段落したところで、僕はカスミがいなくなったことを真一郎に切り出した。さすがに昨夜うちに泊まったなんてことは言えないが、彼女が残したメモ紙のメッセージは現物を渡して伝えた。
「五年後までサヨナラって、昔、そんなタイトルの歌あったよな」
真一郎の問いに、「僕らが幼稚園のときに流行った歌だ」と答える。
「お前は期限付きで振られたのか? 今は別れましょう。五年後にまた付き合いましょう、ってことか?」
「よく分からないんだよ。なにせ何の前触れもなかったし、このメッセージだけがすべてなんだ」
「五年後なんて、俺ら二十二歳だぞ。それまで待てるわけないだろってな。単純にお前と別れたいだけだろ」
メモ紙をひらひらさせながら、真一郎はいやに明るい声を出した。もしかしたら、振られた僕に気を遣っているのかもしれない。
「僕と別れたいだけなら『サヨナラ』とだけ書き残せばいいのに、なんで五年後までって書いたんだろう」
このメッセージを受けてから、ずっと気になっていたことだった。真一郎の意見を聞きたかった。
「そんなの簡単なことさ。訳あって瑞季とは別れたい。でも瑞季は俺と組んでプロになることが決まった。五年後くらいにはかなり売れてるバンドになっているはずだから、彼女はそれを見越して、五年後に再会しましょうって、そういう腹なんじゃないのか。やらしいこと考えるな。そういう子、嫌いじゃないけど」
「まだプロになることが決まったわけではないし、五年後に売れているかなんて、それこそ神のみぞ知るだ」
真一郎はそうなることを確信しているようだったが、自信家もここまでくると頼もしく感じる。
「だからさ。五年後くらいに瑞季が有名になっていれば連絡するし、有名になっていなければスルーするってことさ。もしかしたら、同じようなことをされているミュージシャン志望が結構いたりしてな。才能ありそうな男子の青田買いだよ。お前はそれに引っかかったのさ」
「確かにカスミは、僕に音楽を続けさせたがっていたし、お前と組ませたがっていた。日中会えなかったのは、他のミュージシャン志望と会っていたからで、付き合っていることを内緒にしてほしいと約束させられたり、写真を撮らせなかったり、パーソナルデータでうそをついていたりしていたのは、SNSにアップされて、他のミュージシャン志望に気づかれないようにするためと考えたら……」
「つじつまが合うだろ? 結局、二股疑惑が正解だったってことか。いや、二股どころじゃないな。一ヶ月くらいでいったん別れるということは、二ヶ月で四人、三ヶ月で最低六人には同じようなことをしているってことだ。六股? いや別れてから別の男と付き合っているとしたら、二股で問題ないか」
いや、大いに問題がある。もしそれが本当なら、僕はただただ彼女にもてあそばれただけではないか。
しかし、そうは感じながらも、どこか達観した思いが僕にはあった。
僕はカスミのすべてを受け入れようとした。どんな秘密があろうとも、彼女を信じようと思ったのだ。その気持ちは今も変わらない。
この数週間の彼女との経験、昨夜彼女から聞いた『有限の未来』への思い。それらすべてがまがい物だったなんて、僕には到底思えない。
佐倉カスミの正体は謎のままだ。僕にできることは、早くプロとして有名になって、僕の作った曲を彼女に届けることだ。
まもなく高校二年生の夏休みが終わろうとしている。一夏の経験は、僕を遠いところへ連れ出そうとしていた。
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