第8話 彼女の過去

 スーパーに寄ってきたと言って、食べ物と飲み物が入った袋を両手に持って、カスミは僕の家にやってきた。


「料理苦手だから、できあいでごめんね」


 カスミに料理をしてもらうなんて考えもしなかった。だから「そんなのいいって」と重そうな袋を持ってあげた。


 家の中にあったお菓子やジュースも一緒にしてリビングのテーブルに広げたら、ちょっとしたパーティーみたいになった。


 乾杯の前に、前回のことを謝ることが先決だと思ったから、僕から頭を下げようと思ったのだけれど、彼女が先に「瑞季の気持ちを考えず、自分の考えを押しつけてごめんなさい」と謝ってきた。


「僕の方こそ、ひどいこと言ってごめん。この一週間、君に会えなくて本当に辛かった。何があっても、もう君と離れたくない」


 それが僕がずっと考えてきた答えだった。カスミにどんな秘密があったとしても、そしてそれを教えてくれなくても、僕は彼女が好きなことには変わりがない。ならば、彼女のすべて受け入れよう。つまり、僕は彼女を信じようと思ったのだ。


「まるで、プロポーズみたいだね」

 カスミは恥ずかしげにグラスを掲げた。

「確かにそうだ」と言って僕もグラスを掲げる。

 そうして二人で笑い合った後、僕たちはアップルジュースで乾杯をした。


 食べ物をあらかた片づけたところで、時計が七時半を指した。

 トイレに行きたいというカスミを送ろうとしたら、「大丈夫」と言われた。彼女がいなくなったリビングは静かで、なぜか急に緊張してきた。


「そういえば、今日の八時から何か用があるんでしょ」

 戻ってきたカスミは、時計を気にしている僕を見てそう聞いてきた。

「真一郎が最新動画をアップするんだよ。それを見てくれってさ。俺の本気を見せてやるぜ、なんて息巻いていたけど、どうだろう。元々のフォロワーは再生してくれると思うけど、どこまで再生数が伸びるかな」

「どんな動画をアップするの?」

「それがさ。『有限の未来』を歌った動画なんだ」

「え? ライブハウスで歌ったときの?」

 僕は首を横に振った。

「あらためて歌うって言ってた。この間、ネットにアップしていいかってお願いされたから、まあ、許可したよ」

 まさかのろけポイントシステムのことを説明するわけにはいかないから、なぜ許可したかは教えられない。

「僕の部屋にパソコンがあるから、それで見ようか」

 下心があると取られないように注意して誘った。カスミは特に気にすることもなくリビングから二階の僕の部屋に移動した。


「男子の部屋って感じだね」

 部屋の中を見渡す彼女は、少し興奮した様子に見えた。

 僕の部屋には椅子が一つしかないから、僕とカスミは必然的にベッドに並んで座ることになる。ノートパソコンを立ち上げ、ベッドの上の二人が画面を見れる位置に移動させた。


 フライングで動画がアップされていないか確認した。すると、真一郎のチャンネルに準備中の表示があった。

「まさか」

 僕の声にカスミが反応した。

「どうしたの?」

「真一郎のやつ、録画した動画をアップするんじゃなくて、ライブをネット上で生配信する気だ」

 生配信なんてこれまでやったことがないはずだった。あいつが言う本気とは、これのことか。

「開始が八時だとしたら、まだ少し時間がある」

 準備中の表示の下に、時間がカウントダウンされている。それによると、ライブ開始までまだ十五分ある。


「時間まで待つか」

 隣に座ったカスミに声をかける。

 すると彼女は、「ねえ瑞季、聞いてほしい話があるんだ」と言った。

「何?」

「真一郎くんが『有限の未来』を歌うっていうから、いい機会だなと思って」

 改まった感じで彼女が話し出したのは、僕がカスミと出会う以前の出来事だった。 


「瑞季が路上ライブをしているところ初めて見たのは、去年の十月だった。まだ慣れていないのか、恥ずかしそうに歌っていたっけ」

 十月なら路上ライブを始めたばかりのときだから、僕が慣れていないのは当然だ。彼女はそんな最初の頃から観てくれていたのか。

「それを見てね、わたしと同い年なのに、大人みたいに路上で歌うのってすごいなって単純に思ったんだ」


 それから、カスミは時間が合えば僕のライブを観ていたという。近くで見るのは恥ずかしいから、歌が聞こえるくらいの遠目の距離かららしい。どおりで彼女の存在に気づかなかったわけだ。

「一番好きな歌が『有限の未来』だった。初めて聞いたときビビビッてきた。そのときのわたしは気持ちが落ち込んで、辛くて、どうしようもないときだったから、なおのこと歌詞が心に響いたんだと思う」


『有限の未来』の歌詞の骨子はこうだ。

 子供たちに対し、未来は無限大だと大人は言う。やりたいこと、なりたいもの、そのすべてを叶えられる可能性があると。確かに可能性だけを考えれば未来は無限大かもしれない。しかし未来を時間と置き換えれば、人が死ぬまでの時間は決められているから、それは決して無限ではなく有限だと言える。

 だから勘違いするな。可能性と時間を混同するな。未来は有限。だから、今を精一杯生きろ。

「このギターを弾いている男子は、その日を精一杯生きている。なのにわたしは現実から逃げて、まだ高校生なんだから時間はいくらでもあるって勘違いして、日々を無駄にすごしていることに、この歌で気づかされたんだよ」

 だから、とカスミは続けた。

「わたしは環境を変えるために頑張った。もうわたしの人生を無駄にしたくない。そう思って、死に物狂いで頑張った」


 カスミが僕の方を見た。

「君の歌のおかげで、頑張れたんだよ」

 ありがとう。彼女はそう言った。

 それを聞いた僕は、どんな反応をしたらいいか分からなかった。僕の歌が彼女を変えたなんてことがありえるのだろうかと、そんなことを思った。


「何が言いたいかというと、歌って人に影響を与えることができるってことなの。そして瑞季の作った歌詞や曲にはその力がある。わたし自身がその証拠ね。

 ここからは怒らないで聞いて。やっぱり瑞季にはプロを目指してほしいんだ。君の歌詞と曲が、わたしのような人には必要なんだよ。歌うのが真一郎くんで、それによって聞いてくれる人が大勢になるんだったら、それは君の作った歌にとっても、すごくいいことだと思う。

 君の歌は決して劣るものじゃない。むしろ優れているの。だって真一郎くんが君を選んだんでしょ。彼も君の歌詞と曲の力を信じているんだと思う。自信を持って。自分の作った歌の力を信じて。わたしが保証するから」


 僕は自分の歌をみんなに聞いてほしいって思っていただけで、歌を聞いた人に影響を与えようなんて、そんなおこがましいことは考えたこともなかった。

 ただ、僕は自分が歌うことにはこだわっていた。自分が歌えないのだったら、プロになる意味はないと思っていた節があった。だから真一郎の誘いもずっと断っていた。


 でもカスミは、そうじゃないんだと言う。

 自分の作った歌の力を信じて。

 彼女の声が僕の心に直接響いた。


 ちょうどそのとき、パソコンの画面には、生配信が開始された旨の表示がされた。

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