第6話 雨
レストラン『穴蔵』はカスミが見つけてきた店だった。
シンプルでモダン、何より完全個室の席が多いことで有名な人気店だ。僕とカスミが通された席も二人並んで座るタイプの個室で、他の利用者の目には届かないようになっている。
高校生のみで大丈夫かなと心配したけど、特に何も言われなかった。
「二人で夕食を食べたい。しかもレストランで」というカスミの希望を叶えるために来ているのだけど、なぜオープンなレストランではなく、薄暗い、個室メインのレストランなのか、そしてなぜカスミがこんな店を知っているのか。気にしないようにと思っていても、どうしても気になってしまう。
真一郎に相談してから一週間。彼女を信じてやれと言われて、実際に信じるようにしてきたけど、やはり不審な思いは拭えない。
真一郎に誘われていることも気分に影を落としている原因だ。いまさら人と組んでまでプロになりたいと思わないし、やる気も起きない。しかし、断っても断っても誘ってくる真一郎に嫌気がさしてきた。しばらく会わない方がいいかもしれない。
運ばれてきた料理は絶品なものばかりだったが、食事が進んでも僕の心は晴れなかった。カスミとの会話もあまり弾まない。
カスミの横顔が少し疲れているように見えた。気のせいか、だんだん痩せているようにも感じる。でも彼女は、自分のことより僕の方を気にしているようだった。
「表情暗いよ。何か悩んでるのなら言ってね」
まさか「君のことで悩んでるんだよ」なんて言えない。大丈夫だよと流そうかとも考えたけど、思いのほか心が病んでいたのか、代わりに真一郎との悩みをこぼしていた。
「どうして僕が音楽を止めようと思ったのか。今更だけど聞いてくれる?」
カスミは驚いた表情を見せて、「いいの?」と言った。そりゃそうだ。ずっと聞きたいと思っていて、だけどぜんぜん教えてくれなかった話を急にするっていうんだから、驚くのも無理はない。
僕はそれに答えず、一方的に感情を吐き出すことにした。
※
カスミと出会ったとき、路上ライブを始めたきっかけは話したと思う。学祭のステージで歌ったときに、同級生のパフォーマンスに負けたからだったのだけど、音楽を止めようと思ったのもまた、同じ同級生がきっかけだったんだ。
夏休み初日のことだよ。
同じクラスに庵原真一郎という男がいて、まあ男前なやつなんだ。ネットで検索したらすぐヒットすると思う。オリジナル曲をアップしていて、その界隈では結構な有名人だ。学校の校門前に出待ちの女の子がいるくらいのレベルだと思ってくれたらいい。
その真一郎がライブハウスのスタッフに誘われて、飛び入りゲストで歌うことになった。僕は本人から事前に聞かされていて、チケットももらっていたから行かざるを得なかった。
会場にはギター教室の近藤さんの姿があった。僕の路上ライブの師匠だよ。知り合いからチケットを貰ったんだって。他に顔見知りもいなかったから、僕は近藤さんの隣でライブを観ていた。そして、真一郎の出番になった。
いざ歌が始まったときの衝撃ったらなかった。
一年前の学祭のときとは比べものにならない、プロと同等のパフォーマンスを真一郎は行って見せた。
学祭が終わってから、僕も僕なりに路上ライブをして技術を磨いたつもりだったけど、そんなのは子供の手遊びみたいなものだった。そう思うぐらい、真一郎の曲と歌はずば抜けていた。
ライブは続き、真一郎は二曲目を用意していた。それが『有限の未来』だった。そう、僕の曲だよ。真一郎は僕に内緒で、まあサプライズということらしいけど、『有限の未来』をライブで歌った。あいつがアレンジしたバージョンでだ。
結果から言えば、その日のライブで最高に盛り上がったのがこのときだった。自分が作った詞や曲とは思えないくらいの歌の完成度で、だから逆にパフォーマンスのレベルの差を見せつけられたと感じた。
隣で聞いていた近藤さんの口から「すごいな」と感嘆の声が漏れた。それを聞いた瞬間、僕の心は折れてしまったんだ。
ライブが終わってから真一郎に呼び止められて、俺と組んで一緒にプロを目指そうって誘われたんだ。
瑞季が作る曲と俺の歌い方は相性がいいから、組めば絶対プロで生きていけるって。『有限の未来』を歌ったのは観客の生の反応を見る意味合いがあって、あれだけ盛り上がるなら大丈夫だからって。
でも僕は首を横に振るしかなかった。真一郎の誘いを断っただけじゃない。音楽自体を続ける自信がなくなってしまった。
プロになる人間は次元が違う。僕がどんなに努力しても到底及ばない、たどり着けない次元だ。しかも、その次元にあっても、世に選ばれなければ淘汰される過酷な世界がプロだ。このとき、自分がプロになるのは絶対に無理だと悟ったんだ。
これが音楽を止めようと思った理由だよ。どうだい? 面白くなかっただろ?
※
口を挟まず、ずっと僕の話を聞いてくれていたカスミは、聞き終えるとふうと息をついた。
「そうね。面白くなかった」
若干、口調や視線に厳しいニュアンスを感じる。
「気に入らなかったのなら謝るしかないな」
「そういうことじゃなくって。今は真一郎くんはなんて言ってるの?」
「僕と一緒にやることを諦めてないって。プロを目指そうって言ってくれている」
「何でそれに応えてあげないの?」
厳しいニュアンスなんてものじゃない。カスミは完全に怒っていた。彼女が怒るところを初めて見た。僕の心にも波が立つ。
「なんだよそれ。何でカスミがあいつの肩を持つのさ」
「どういうこと? 肩なんて持ってないじゃない」
「持ってるじゃないか」
「わたしは」
周りを気にしたのか、カスミが声を落として言った。
「わたしはただ、夢を前に逃げ出している君に怒っているだけだよ」
彼女の言い方に少しカチンときた。
「怒られる意味が分からないんだけど」
「瑞季だって瑞季のお師匠さんだって、真一郎くんの実力を認めているんだよね。その彼に君は必要とされているんだよ。断られても断られても、一緒にやりたいって言ってくれているんだよ。何で期待に応えてあげようと思わないの? 何で一緒にプロを目指そうって思わないの? 瑞季はプロになりたいんでしょ? 夢を叶えるチャンスじゃない。悩む理由なんて何もないでしょ」
「真一郎がプロを目指すのに、僕が手を貸す必要なんて元々ないんだよ。あいつと僕は幼稚園の頃からの腐れ縁で、僕と組みたいって言ってるのは、あいつの一種の気まぐれなんだ。その場の流れで僕たちが本当に組むことになったとしても、二人の実力差がありすぎて、あっという間にコンビ解消するのは目に見えている。誘いに乗らないのがお互いのためだ」
「なにそれ。まだ組んでもないのに、何でそんなことが分かるの?」
「あいつのライブを観れば嫌でも分かるよ。さ、もういいだろ。この話はおしまいにしよう。あんまり騒いだら、お店の人に悪い」
店を出たら外はすでに暗くなっていた。忘れかけていた喧噪と熱気が身体を包み込む。出入り口のドアを開けて後から出てきたカスミは、僕の前に回り込むようにして立った。
「やっぱり納得できない」
「カスミ、いい加減にしてくれないか」
「はっきり言います。路上ライブをしていた頃の瑞季は格好良かった。ギターを弾きながら、全力で歌っている君はいつも笑顔で、楽しそうだった。だけど、今の君はぜんぜん楽しくなさそうに見える。ときどきふっとつまらなさそうな顔をすることがある。瑞季のそんな顔見たくないから、わたしもいろいろ頑張ったけど、無理だった」
カスミが悲しげな表情を見せた。
「瑞季も気づいてるんでしょ? 自分が音楽を止められるはずがないってことに。もう自分の気持ちから逃げるのはやめようよ」
僕は逃げてるわけじゃない。夢を諦めた、諦めざるを得なかっただけなのに、何で逃げているなんて言われなきゃならないんだろう。そう考えたとき、僕の中で何かが壊れた。
「なあ、カスミ。一つ教えてほしいんだけど」
「何?」
「今も僕のこと好きか」
「急にどうしたの?」
カスミは戸惑ったような声を出した。それでも僕の言葉は止まらなかった。
「君の本心が聞きたいんだ。初めて出会ったとき、君は僕を好きだと言ってくれたけど、ギターを弾かなくなった僕でも、君は好きでいてくれるのか」
「なんでそんなこと聞くの?」
戸惑いが不安に変わったようだ。僕は言うつもりがなかった台詞を口にした。
「昼間、誰と会っているんだ?」
「え?」
「昼間はいつも連絡が取れない。誰か別の男と会っていたんじゃないか」
「別の用事があるだけだよ。誰かと会ってるなんてない」
「嘘だ」
「嘘なんてついてないよ」
「桜聖高校二年。初めて会ったとき、君は僕にそう言ったね。でもそれはうそだ。桜聖高校に佐倉カスミなんて生徒はいない」
「それは・・・・・・」
カスミが口ごもる。嘘をついていたことを認めたようなものだ。
「自分と付き合っていることは人に言ってはいけない。写真はNG。プリクラもできない。なぜだ? 二股相手に僕のことを知られないためじゃないか?」
「二股ってなんのこと? ひどいよ」
「どっちがひどいんだよ。夢を諦めた僕はもうお払い箱なんだろ。もう僕のことは嫌いになったんだろ」
「嫌いになれるわけないじゃない。君は、わたしが初めて好きになった人だよ。嫌いになれるわけないよ」
そう言って、彼女は目に涙をためながら僕の前から去って行った。
いつの間にか雨が降り出していた。僕は、そのままの姿で雨を受け止めていた。
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