第5話 不審と疑惑

 真一郎と会うのは二週間ぶりだった。


 女子の前ではいわゆる女性受けする格好をきちんとする男なのであるが、前回同様、朝早く呼び出したら、ヨレヨレのTシャツに短パンと、前回とほぼ同じ油断しきった格好でなじみの喫茶店に現れた。

 こいつのファンたちに、今のだらけきった格好を見せてやりたい。


「まずは瑞季の初めての彼女に、乾杯」

 真一郎は自分が持っているコーラのグラスを、テーブルの上に置いてある僕のアイスコーヒーのグラスに合わせた。

「先に言っておくが、俺は相談があるというお前のたっての頼みで朝早くから会いに来てやっているのであって、決してのろけ話を聞くために来ているのではない。いいな」

「念を押されなくても、元からそのつもりだよ」

「だといいがな。相談とのろけは紙一重って言うだろ」

 確かにそういう一面はあるかもしれない。僕はのろけに聞こえないよう、注意深く話すことにする。


「カスミとはこの二週間、毎日のように会っているんだけど」

「はいのろけ。マイナス十ポイント」

「ちょっと待てよ。まだ何も言ってないじゃないか」

「美少女と毎日会っているのを自慢した。これをのろけと言わずなんて言おう」

「説明って言うんだよ。それに何だよ、マイナス十ポイントって」

「のろけるたびにポイントがマイナスされ、マイナス百ポイントに達したら、俺の願いを一つ叶えなければならないという画期的なシステム」

「……真面目に頼む」

「元からそのつもりだが?」

 僕はため息をついて、話を続けた。


「カスミと付き合っていて、いくつか不審な点がある。まず彼女は写真を撮らせてくれないんだ。スマホを向けようものなら顔を隠すか逃げていく。プリクラもだよ。これまで一緒に撮ったことがない。女子高生でプリクラ嫌いって珍しくないか? だから僕は彼女の写真を一枚も持っていない」

「写真撮られたら魂抜かれるとでも思っているのかね」

 真一郎の軽口に、僕は真剣な顔で頷いた。

「そう。カスミの言い分はまさにそれだった。死んだばあちゃんの遺言なんだそうだ。そんなこと言われて、じゃあしょうがないねって素直に信じる人はいない。だから、せめて一枚だけなら撮っていいかって聞いたんだけど、それもだめだって。写真じゃなくて、今その目でわたしの姿を焼き付けて、だって」

「はいのろけ。さらに悪質。マイナス二十ポイント」

「おい」

「誰だって苦手だったり嫌いなことはある。それが彼女は写真だったというだけだ。その原因や理由が何かなんてこの際どうでもいい。無理強いするお前が悪い」


 カスミにカメラを向けるのは、高所恐怖症の人を高いところに連れて行ったり、先端恐怖症の人にアイスピックを向けたりすることと同義ではないかと真一郎は言う。女子は写真好きという固定観念から、写真を撮らせてくれないカスミに不信感を持っていたけど、確かにそういう考え方もある。


「じゃあ、これはどうだ。カスミは僕に自分のことをまったく話してくれない。僕が彼女のことで知っていることは、桜聖高校の二年生で名前が佐倉カスミというだけだ。それも嘘らしいけどな」

 ちなみに彼女が本当に桜聖高校の生徒なのかどうかということは、今も聞けずじまいだった。問いただして気分を害した彼女が僕から離れてしまうのではないかと思うと、怖くて聞けないのだ。


「僕は彼女の家がどの辺にあるのかも分からないし、家族構成がどうで、学校ではどんな部活に入っていて、どういう交友関係があるのかなんて、聞いてもはぐらかされるばかりで教えてくれないんだ。付き合っていてこれは普通じゃないだろ」

 カスミは隠し事をしていると、僕はずっと疑っている。自分のことをしゃべらない理由も、きっとそれに関係があるに違いない。


「逆に聞くが、お前はどこまで自分のことを彼女に話しているんだ?」

「それは、聞かれたことには答えているけど」

「住所、電話番号、家族構成、その他もろもろ聞かれたことにほいほい答えていると」

「まあ、そうだよ」

「まったく、これだから日本人は危機意識が欠如していると言われるんだ」

 急に何を言い出すんだ、この男は。


「いいか。いま言ったような内容は、個人情報の主たるものだ。このご時世、おいそれと漏らしていいものじゃない」

「彼女だぞ。別に伝えてもいいじゃないか」

「その彼女が悪の組織の一員だったらどうなる。お前の家は詐欺グループに搾取され放題だぞ」

 人の彼女を勝手に悪の組織に入れないでもらいたい。


「彼女に限ってそれはない」

「それはお前が彼女を信用しているということか?」

「もちろんそうだよ」

「瑞季は彼女を信用している。だから聞かれたことは素直に答える。預金通帳のありかや残高、親のクレジットカードの暗証番号だって、ほいほい教える」

「いや、さすがにそこまでは教えないけど。ていうか元々知らないし」

「しかし彼女は、自分の個人情報を瑞季に伝えようとはしない。これはどういうことか。つまり彼女は、お前を信用していないということだ」

 あれ、そうなるのか。


「彼女は瑞季を悪の組織の一員だと思っている。お前も早く彼女に信用される男になれよ。そうすれば彼女も自分のことを話してくれるようになるって」

 自分から告白しておいて、その相手を信用しないなんてことがあるのだろうか。女子のことは疎いからよく分からないけど、何か真一郎に言いくるめられているような気がするのは、僕の気のせいではないだろう。


 まあいい。じゃあ最後の相談だ。そしてこの内容こそが、本日最も気がかりなことなのである。


「カスミと会うときはすべて向こうからの誘いなんだ。行き先ややることもすべて彼女が決めていて」

「マイナス二十ポイント」

「やることも何かベタなんだよ。自転車に二人乗りするとか、本の貸し借りをするとか、一緒の飲み物をストロー二本で飲むとか。カップルの定番イベントで思いついたものをやっていこうみたいな感じなんだ」

「マイナス二十ポイント」

「会う時間は決まって夕方からなんだ。日中に会えたのは映画に行った初回くらいで、あとは早くても午後四時くらいかな。日中に会おうよって誘っても、用事があってだめだって。どんな用事かは教えてくれないけど、日中は絶対に会ってくれないし、メッセージを送っても既読にならない」

「それが不満だって言うのか」

「不満というか不審だね」

「お前が彼女を不審に思うなんて十年早い。ペナルティでマイナス三十ポイント」

 真一郎の軽口を無視して、僕は彼女に対する不審の核心に迫った。


「カスミが言うんだよ。自分と付き合っていることは誰にも言わないでほしい。内緒にしてほしいって」

 それを聞いた真一郎は、ことの重大さに気づいたか、さすがに軽口をつぐんだ。だけどそれは一瞬のことで、すぐに復活させる。

「俺に話しちゃってるけど、それは問題ないわけ?」

「真一郎には内緒にしてって言われる前から話しているからね。だから、この相談もお前にしかできないんだよ」


 付き合っていることを他の人に言ってはいけない。それがどのような状況下でかわされる約束事なのかは、考えればすぐに分かることだ。

 僕と付き合っていることを隠したいのだ。誰から? それは、日中に会っている誰か別の人からではないか。

 カスミは、僕と誰か別の人と、二股をかけているのではないか。そう結論づけられてもおかしくない状況だ。


 写真が禁止なのも、不用意にSNSにアップされないようにだし、自分のことを話さないのも、その内容からどこかで別の人と繋がらないようにと考えればつじつまが合う。

 本人に真相を聞くのが手っ取り早いかとも考えた。しかし、そんなことしてもはぐらかされればおしまいだ。ついでに僕との関係もおしまいになってしまうかもしれない。それだけは避けたかった。


「僕は、どうしたらいいと思う?」

 真一郎が喫茶店の椅子の上に両膝を抱えて座っている。うんうん唸った後、ようやく口を開いた。

「例えば、彼女が二股をかけていたとしよう。でも俺はそれが悪いことだとは思わない」

 聞き捨てならない台詞であったが、真一郎らしいといえばらしいので、ここは流すことにする。


「彼女は男子を一人に決めかねているだけなんだ。瑞季がいいか、もうひとりの男子がいいか、彼女は思い悩んでいる。じゃあ、お前がすることは二つのうちのどちらかしかない」

 ひとつ、と言いながら人差し指を立てた。

「二股をかけるような女子は嫌いだから、こちらから別れる」

 ふたつ、と言いながらピースをした。

「それでも彼女が好きだから、彼女の心を自分一人に向けさせるよう努力する」

 お前はどっちを選ぶんだと、真一郎の目が僕に訴えている。


 別れるか、別れないで付き合い続けるか。

 僕は彼女が好きだ。別れるなんて考えたくなかった。では付き合い続けるかといえば、それも疑問だ。何せ彼女は二股をかけているのだ。それが分かっていて付き合い続けるのは辛いだけだ。

 いろいろな思いが頭をよぎってしまい、情けないけどすぐに答えが出せなかった。


 すると、真一郎は吹き出して笑い始めた。

 涙を拭いながらひーひー言っている。飲み物で落ち着いてから真一郎が口を開く。

「すぐに答えが出せないっていう顔だな。お前は考えていることがまる分かりなんだよ。まったく、からかい甲斐のあるやつだ」

「どういうことだよ」

 からかわれたと知った僕は、ムッとして言い返した。


「いいか、瑞季がすることはひとつしかないだろ」

 真一郎が真面目な顔になって続ける。

「彼女を信じることだ。彼女は二股なんてしてない。そんなことするような子じゃないんだろ? だったら信じろよ」

「だけど、不審な点がいくつもあるし、僕以外に付き合っている人がいると考えればつじつまが……」

「だからさ。その不審な点も全部ひっくるめて、彼女を信じろっていうんだ。大丈夫、俺の経験上、彼女はお前さんを裏切るようなことはしない。安心して信じてやれ」

 いつになく強く、有無を言わせない口調に、僕は「分かったよ」と答えていた。


 よくよく考えれば、やつの経験則なんて何の役にも立たないのだけれど、僕の気持ちはなぜか真一郎の言葉で落ち着いた。

 たぶんそれは、僕の中に彼女を信じたいという気持ちがあって、それに気づいた真一郎が、言葉で背中を押してくれたからなんだと思う。

 真一郎は基本いい加減な男なのだが、心の機敏に賢いところがある。悔しいけど、女子にモテる理由が少し分かった気がした。


「ところで瑞季よ」

 飲み干して空になったグラスを掲げて、真一郎が言った。

「のろけポイントがマイナス百ポイントに達したわけだが」

 マイナス百ポイント貯まると願いを一つ叶えなければならないシステム。確かそんなことを言っていた。まさか本気だったとは。

「分かったよ。おごればいいんだろ。相談の借りもあるし、僕が払うよ」

「いや、そういうのはいい。俺の願いはただひとつだ」

 真一郎は、テーブルに右腕を乗せ、ずいとこちらに迫ってきた。


「前から言っているとおり、俺はお前と組みたい。夏休み前のライブの選曲だって、俺の本気をお前に見せたかったからだ。もしそれでお前が嫌な思いをしたとしたら謝る。だけど、お前も本気でプロになりたいと考えているなら、悪い話じゃないと思う」

 そういう気はないと、もう何回も断った話だった。どうしてカスミも真一郎も、僕に音楽を続けさせたいと言うのだろう。

「瑞季が音楽を止められるはずがない。自分が一番よく分かってるんじゃないか?」

 真一郎の真剣な表情とよく通る声は、男の僕でも惚れ惚れするものだった。対して僕の姿や声はどうなんだろう。真一郎には華があり、僕には華がない。

「止められるよ。自分が一番よく分かってるからね」

「分かっていないのは本人だけか」

 呆れたように肩を落とした真一郎は、「じゃあ、願い事を修正する」と言った。


 新たな願い事を聞いた僕は、正直嫌だなって思ったけど、これ以上誘い続けられても面倒なので、最終的にはその願いを了承した。

「準備ができたら連絡する。かつもくして待っとけ」

 そう言いながら、真一郎は喫茶店を飛び出していった。

 テーブルの上には、支払われていないコーラの伝票がそのまま残されていた。

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