第2話 学祭の記憶
路上ライブをしていた場所のすぐ近くにあるファストフード店の二階に場所を移した。窓際の席に向かい合って座ってから、あらためて失礼にならない程度に彼女を観察した。
何か見覚えのあるような気もするが、こんなに綺麗な人なら覚えていないはずもなく、もちろん佐倉カスミという名前にも思い当たる節はなかった。しかし彼女は僕の名前を知っていた。どこかで会ったことがあるのだろうか。
「あのさ」
「あのね」
二人の声が重なった。レディーファーストだ。僕は右手を差しだし、どうぞと促した。
「柊くんは、どうして路上ライブを始めたの?」
「あれ?」
「何?」
「いや、てっきり、その、路上ライブを止める理由を聞いてくるのかと思ったからさ」
それは嘘だった。『てっきり告白の続きがあると思ったから』が本音である。
盛大な肩すかしをくらった感じだが、そんな僕の気持ちに気づかない調子で佐倉さんが続ける。
「さっき聞いたら言いたくないって返事だったじゃない。だから違う方向からいこうと思って。路上ライブを始めた理由、教えてくれない?」
「なんでそんなこと聞くのさ」
「君に興味があるから、という理由だけでは不十分かな?」
「面白くないと思うけど」
「面白かったかどうかはわたしが決めます。だから、柊くんは安心して話してくれていいよ」
そこまで言われたらしゃべらざるを得ないではないか。
なんとなく釈然としないものを感じつつも、面白くもない話をするため、僕はあらためて口を開いた。
「去年の学祭で歌ったんだ。体育館のステージで、全部で四組だったかな。僕ともう一人が一年生、他の二組が二年生だった。
正直、先輩方のバンドはそんなにうまくなかった。リハーサルを聞いていても、歌を聞かせるというより場が盛り上がればオーケーなノリで押し切るタイプだったから、実力的にはこの中では僕が一番かなと思った。一応、小四から毎日ギター触ってたし、弾き語りには自信があったから」
演奏順は、トップバッターが僕、もう一人の一年が二番手で、当然ながら二人とも先輩方の前座的な扱いだった。
「結果は、散々だった」
あのときのことを思い出すと今でも嫌な汗が出る。僕が歌っている間、会場には微妙な空気がずっと流れていた。
「何を歌ったの?」
「『有限の未来』。さっき、最後に歌ったオリジナル曲だよ」
「いい歌なのになー。何がだめだったのかな」
「誰もが知ってるメジャーな歌をコピーすれば良かったんだろうけど、誰も知らないオリジナルの曲じゃあね。同級生の友達は多少盛り上がってくれたけど、僕を知らない同級生や先輩の観客たちを巻き込むまではいかなかった。それが僕の限界だった」
落ち込みはしたが、これだけでは路上ライブをやるきっかけにはならない。話には続きがある。
「僕の次に歌った一年も、メジャーな歌じゃなくであいつが作ったオリジナル曲を歌うことにしていたんだ。
アコギ一本で歌った僕と違い、あいつはパソコンへの打ち込みで曲を作っていた。表現方法に違いはあれどアウェーな雰囲気は僕と同じだ。だから結果も僕と同じになると思っていた。
けど、そうはならなかった。あいつが歌い出したら会場の熱気が上がったのを肌で感じたよ。観客に一体感が出て、一気に盛り上がった。正直、負けたと思った」
認めたくはなかったが、目前で証拠を見せつけられたのだから結果を受け入れるしかなかった。
「曲自体の出来は絶対に勝っていた。これは断言できる。負けたのはパフォーマンスの部分だ。あいつには華があり、僕には華がなかった。歌い方や表現の部分で劣っていたと感じた」
「それが路上ライブを始めた理由ってことね。経験を積んで、『あいつ』に勝つために」
僕が頷くと、佐倉さんはそっかーと納得した表情を見せた。
「ほら、面白くなかっただろ。だから言ったのに」
彼女は大きくかぶりを振った。
「そんなことない。面白かったよ。負けたことを認めるなんてなかなかできないよ。しかもそのことを初対面のわたしに話してくれたのが、なんていうか、うれしかった」
僕は顔が熱くなるのを感じた。指摘されて気づいたが、あいつに負けたなんてこと、今まで誰にもしゃべったことがなかった。本気で悔しかった気持ちが、他人に漏れるのを恐れていたのだと思う。特にあいつ自身にだけは絶対知られたくなかった。
これまでの僕の交友関係では、いくら口止めしてもどこかであいつに伝わってしまうだろうと思っているから、誰にも本心を言えなかったのだ。佐倉さんに素直な気持ちを話すことができたのは、彼女がその交友関係から外れたところにいるからだ。
「柊くんは、プロになりたいの?」
佐倉さんがぽつりと言った。奇しくもギター教室で近藤さんに聞かれた質問と同じだった。
「ああ、プロになりたかった」あの頃は本気でそう思っていた。「でもそれはもう過去の話だ」
「路上ライブを止める理由に関係するの?」
自然に聞いてきたからつい自然に返答しそうになったが、それだけは心に秘めていたかった。首を左右に振って意思表示すると、佐倉さんは「そう」と言って微笑んだ。
「もういいだろ。次は僕のターンだ。いろいろ質問したいことがある。例えば――どうして僕の名前を知っているのか、についてだね」
「ああ、そのことね。えっと、それは……」
佐倉さんは視線を僕のギターケースに向けた。
「ギターケースのはじっこに書いてあるのが、そのまま名前かなって思って」
僕もケースを見た。ギターは昨年買い換えたものだったが、ケースは僕が小四のときに親に買ってもらったものをそのまま使っていた。持ち運びやすい黒のセミハードケースで、購入当時に白のサインペンで書いた「柊瑞季」という文字がまだうっすらと残っていた。
「なんだ、そんな簡単なことか」
「面白くなかった?」
いたずらっぽく聞いてくる彼女にひかれ始めていることを僕は自覚していた。だから、一番気になっていることを思い切ってこちらから聞いてみた。
「さっき、付き合ってほしいって言ってたけど、あれは本気なの?」
「どうかしらね。そんなことわたし言った?」
はぐらかす佐倉さんだったが、テーブル越しに顔を近づけてきた彼女は僕の耳元でこうささやいた。
「女の子に恥ずかしいこと何回言わせる気?」
「ご、ごめん」
まったくもう、と怒った仕草を見せた佐倉さんは、「あ、でもこれだけは言わせて」と続けた。
「わたしは君の音楽が大好き。止めるなんて言わないでほしい。もう決めたことかもしれないけど、考え直してくれないかな」
まっすぐな目で見られた僕は、反射的に「はい」と答えそうになってしまった。
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