21 震駭




周囲に広がる木々がまばらになり、森が切れてきた。前方には木々の間から緩やかに隆起する丘が見え始める。この丘陵地の奥に、タスクとイオの故郷であるフーイリの村がある。

森を抜けると辺りを緩やかな風が包む。村を思わせるその穏やかな風を受けると、暫く離れていただけのはずのこの地がとても懐かしくまた、よそよそしくも感じる。


「なんだか、帰ってきたって感じじゃないな」


幅の広い道の先を見つめながら、しみじみとした様子でタスクが呟く。


「思ったよりも早く戻ってくる事になったしね」


辺りに広がった丘には、胸ほどの高さまでに伸びた草が風に揺れ涼しげに鳴っている。

風の奏でる長閑な音を聞きながら歩いていると、イオが不意に足を止めた。


「…闇の気配、魔物がいる」


「何処だ!」


一瞬にして2人の間に緊張が走り、素早く剣に手をかけ辺りの気配を探る。

イオが感じていた僅かな気配はすぐにはっきりとしたものへと変わっていく。


「後ろから」


イオの声で後方を振り返ると、後方へ意識を向けたタスクにも闇の気配が察知できた。目に映るのは歩いて来た道と左右に広がる草原だけだが、闇の力の気配があり次第にはっきりとしたものになってくるところから、近づいてきている事が伺える。


「素早い…左右に分かれた」


近づいた闇の気配は、道の左右に広がる草原をまるで迂回するように2人を左右から取り囲む。そして、草原の中から闇の力の気配が不規則に蠢いたところで、その動きを探る間も無く2人の目の前の草が揺れた。草の合間から飛び降りたのは全身が黒い獣で、2人がその姿を目に捉えた途端に飛びかかってきた。咄嗟に別々の方向へ駆け出すと、鈍く光る爪が空を切る。距離を取り振り返ると、2人が立っていた場所には全身が黒い毛に覆われた狼が2匹足を下ろしていた。2人の腰ほどの背丈があり、発達した前脚は肩の辺りから盛り上がるように太くなっている。首の周りを長い毛が覆い、黒く塗りつぶされた顔に鋭い目が光った。


「あれは…」


2人がその姿を詮索するより先に、襲いかかってきた2匹は左右に分かれたタスクとイオを確認するように眺めると道を横切るように素早く草むらへ消えていった。

再び草原の中に魔物の気配が紛れる。すると何処からか小さな遠吠えのような鳴き声が上がった。


「なんだ?」


タスクが鳴き声に振り向いたとき、魔物の気配が動き素早く左右から挟み込むように迫ってきた。すぐに剣を抜くと、その直後に左右の草が揺れ黒い魔物が姿を現す。そして、タスクが獣の姿を確認する余裕を与えずに飛びかかってきた。左右から迫る鋭い爪に咄嗟に駆け出し、なんとか逃れることしかできない。振り返ると、先ほどよりも離れた所にいるイオの元にも2匹の魔物がいる。


「4体いたのか」


タスクが思わず声を上げるのも構わず、襲ってきた魔物は素早く草原へ飛び込んで行く。不意をついたにも関わらず、追撃もせずに姿を消す様子をただ見送るしかない2人の耳に、再び小さな遠吠えが聞こえてきた。2人が警戒を強めた直後、魔物の気配が動き出す。左右の草原で蠢いていた魔物の気配は全て揃ってイオの下へ向かいだした。


「なっ…」


魔物の動きに気づいたタスクは、急いで離れた所にいるイオの下へ駆け出す。

瞬く間に近づく魔物にイオが構えると、左右の草が同時に揺れた。イオは、飛び出してきた2体の魔物を視界の端に捉えながら、すぐに足を踏み出して1体目の魔物の鋭い爪を身を翻し躱すと、背後から迫る2体目の魔物の振り下ろされた爪を剣を振り弾いた。そこへ、イオが足を踏み出してすぐに草原から飛び出してきたもう2体の魔物が、息をつく間も無く飛び掛かってくる。目前へ迫った3体目の鋭い爪をなんとか剣で弾くと、反対側から迫る4体目の爪は身にかかる寸前で剣で受け流す。

しかし、相手の動きの方が速かった。

イオが4体目の爪を受け流した直後、他の魔物の間をすり抜けるように飛び出してきた魔物が牙を剥いてきた。すぐに身を引くが、魔物が迫る方が速い。


「うっ…!」


向けたれた牙の前に咄嗟に出した腕に鋭い痛みが走るが、それと同時に魔物の喉元を切り裂いた。一瞬で噛みついた魔物の牙が離れその場にひっくり返るように落ちる。イオが他の魔物に顔を向けると、そこへ走り込んできたタスクが剣を振りそれをひらりと躱した魔物が草原へ駆けていった。イオは切った魔物から離れるように後ろへ下がったが、魔物は僅かにもがいたのみでそれ以上動く気配は無かった。

タスクはイオの近くへ駆け寄ると、赤が滲み出した袖を見て顔を歪めた。


「くそっ…」


タスクは吐き捨てるように言うと、顔を背けるように魔物の気配を追って草原の方を向く。

魔物の気配が離れていくことを確認したイオは、ポケットの中から手当て用の布を取り出すと服が破けて赤い傷が覗く腕に素早く巻きつけた。眉を寄せて腕を縛ると、傷を負った側の手でも剣を握り食い縛る歯の隙間から息を吐き出す。

イオが痛みを堪え、重い息を吐き出すのを耳にしたタスクは魔物達が潜む草原を睨んだ。


「してやられたな…」


そこへ、離れたところから小さな遠吠えが聞こえてきた。

はっとした2人が身構えると、一度離れた魔物の気配が素早く近づいてきた。魔物の気配が左右の草原へ近づいた途端にその気配がばらけ、正面の道の先の草原が揺れた。飛び出してきた1体の魔物が走り寄る姿に2人が構えると、魔物は2人の正面で向きを変え再び草原に飛び込んでいった。2人がその光景に驚いていると、反対側の草が揺れる音がする。すぐに振り返るが、魔物の姿はない。息を呑む2人の横からまたしても草の揺れる音がした。後方の道を振り返ると1体の魔物が2人に向かって駆けてきていた。2人は身構えるが、先ほどのように草原へ身を隠すかもしれないという可能性が頭をよぎる。しかし、明らかに先ほどよりも距離が近い。


「っ…」


タスクが意を決して走り出すと、イオの横の草が揺れた。

イオが振り向くと、草原から飛び出してきた魔物が向かってきていた。イオは魔物めがけて剣を振り、剣の切先から飛び出した顔ほどの大きさの水の球で近づく前の魔物を狙った。それと同時にタスクとは反対方向の道へ駆け出すと、イオの背後から草の揺れる音がした。イオが放った水の球は魔物に躱されたが、魔物が僅かに足を止めたことだけ確認して背後を振り返る。そして、向かってきていた魔物の手前に向けて剣を横へ振った。すると、魔物の手前の地面から板状の水が噴き上がり、魔物の行手を遮るように顔を打ち上げた。たたらを踏み足を止めた魔物が、水の壁が消えた背後で顔を振る。その様子を視界の隅に捉えながら、反対側へ顔を向けるともう1体の魔物がイオへ勢いよく向かってきていた。


「くっ…」


イオは歯を食いしばり一歩踏み込むと、再び剣を横へ振る。噴き上がった水の壁に行手を遮られた魔物へ、イオが走り込み、水の壁ごと魔物の首を切り上げた。首を切りつけられた魔物は、呻き声をあげながら倒れ込む。イオがもう1体の魔物を振り返ると、素早く草原へ飛び込んでいくところだった。


タスクが道を走ってきた魔物へ向かってすぐに草原から別の魔物が現れたことがわかったが、正面で牙を向ける魔物から離れることができなかった。初めに向けられた牙を躱すと素早く剣を振るが、魔物も身を翻し再び牙を向けてくる。タスクがイオの下へ向かうことを阻むように魔物が向かってくるなか、タスクも向けられる爪牙を退けることしかできない。再び向けられた爪を受け流したところで、魔物が素早く後方へ下がりそのまま草原へ飛び込んでいった。はっとして後方を振り返ると、イオが切りつけた魔物が地面へ倒れ込むところだった。すぐにイオの元へ向かいその途中で魔物の様子を窺うが、僅かに踠いているようだがそれ以上動くことは無さそうだった。

切りつけた魔物から距離を取ったイオは、両手で剣を握ったまま肩で息をしていた。タスクは、その姿を視界に映してから周囲に目を向け魔物の気配を探った。


「魔物は残り2体だ。イオは無理するな」


「…わかった」


イオが静かに答えた直後、また離れた所から小さな遠吠えが聞こえてきた。2人が身構えると、素早く左右の草原から魔物の気配が近づく。





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