17 明鏡止水




随分と幅が狭くなった川の始まりは小さな湖だった。

小さな湖に静かに満ちる水は底が見えるほど透き通っていて、手前の薄い青から奥へ行くほど深い青へ変わってゆく。木々の遮りのない空間には陽の光が溢れ、清らかな湖をさらに輝かせている。

神秘的な光景に目を奪われながら岩壁へ近づくと、滝から離れた位置に岩壁をくり抜いて作られた様な神殿の形をした祭壇があった。

どことなく神々の神殿と似た形の祭壇を見てイオが口を開く。


「ここが祈りの場で間違いなさそうだね」


「じゃぁ、ここで剣から光の力を腕に流せばいいんだな」


ミールは祈りの場で光の力を体に流せば神殿へ繋がる道が見つかると言っていたが、実際には何が起こるのかはわかっていない。タスクは一先ず剣を引き抜き正面で握り、剣から光の力を手繰り寄せようとする。

暫く沈黙が流れたが、周囲に変化が現れた様子はない。


「…タスク?やってる?」


「ちょっと待て、今のは準備運動だ。もう一度…」


タスクが両手で剣を握り直し再び沈黙が流れたが、何も変化する様子はない。


「…もしかして、緊張してる?」


「そんなことねぇよ」


「まぁいいけど、私がやるね」


タスクが唸るのを気に留めず、イオは剣を抜き正面で握った。

剣が陽の光を浴びたかのようにほんのりと光を帯びたかと思うと、周囲が俄に変化した気がした。すぐに振り向くと、湖の畔に大きな両開きの扉が現れていた。見上げるほど大きな扉に、2人は思わず後ずさる。


「これが、結晶の神殿に繋がる扉か?」


タスクは、華美な装飾などはないが重厚な雰囲気を纏う扉を見回した。

そこに現れたのは確かに扉だが、扉と繋がる建物などは見当たらずただただ扉だけが聳え立っている。


「そうだと思う。でも、扉だけって…開けられるのかな…」


立派な扉だが本当に扉だけしか無く、その見た目は重量感があり開けられる気がしない。


「そうだな…案外、触ったら開くんじゃねぇか?」


そう言ってタスクが何気なく扉に触ると、僅かな音を立てて扉が独りでにゆっくりと内側へ開いていった。


「なんっ…!」


扉が勝手に開いた事にも驚いたが、それよりも扉の内側に広がる光景に2人は声を詰まらせた。

ただの扉ならばその先に見えるのはすぐ後ろにある小さな湖のはずなのだが、2人の視線の先にある扉の内側は黒一色で満たされていた。境目も奥行きもわからないほどの真っ暗闇が広がっている予想外の光景に、2人は言葉を失った。


「この奥に…結晶の神殿があるの…?」


ようやく口を開いたイオは、信じられないといった様子で扉の内側を見つめた。


「ミールの話しだと、そうなるな…」


とは言え、踏み出せば地の底まで落ちてしまいそうな暗闇に簡単に一歩を踏み出す事ができない。

タスクは剣を納めると、大きく息を吐いた。


「ミールが言ってたんだ、大丈夫さ。行くぞ」


タスクは一度イオに目配せすると、扉の中へ踏み出した。するとまるで暗い水面に入って行くかのように、タスクの姿が飲み込まれていく。

その様子を息をつめて見ていたイオだが、タスクの姿が完全に見えなくなると何かを振り切るかの様に剣を納め扉へ向けて踏み出した。扉の中へ踏み出した足は地面より下へ落ちる事はなく、同時に周囲には暗闇とは正反対の光溢れる光景が広がった。

扉を越えた先には、祈りの場の湖のような小さな湖が広がっていた。祈りの場の様な岩壁や滝は無いが、周囲は森で囲まれ水面は鏡の様に静かに周囲を映している。

2人は周囲を見回しながらゆっくりと湖へ近づいていく。


「…あれって、何だ?」


タスクが指差した先には、湖には不釣り合いな三角の人工物が水面から顔を出していた。

湖の畔に近づき透明な水面を覗き込んだイオは、驚きに息を呑んだ。


「建物の屋根、だ…」


深い青色の水の底にはシンプルな外観の三角屋根の建物が沈んでいた。水面には屋根の先が突き出していて、側面の屋根の近くには小さな窓も水面から僅かに覗いている。


「もしかして、あれが結晶の神殿なのか?」


タスクも隣に並び湖を覗き込む。


「そうだと思う。…まさか、水に沈んでるなんて…」


「どうやって建てたんだろうな?」


タスクが首を捻っていると、不意にイオが水際にしゃがみ込んだ。


「ん?どうした?」


タスクが見ると、剣の柄に手を置いた状態でしゃがんでいたイオがおもむろにその手を水面へ下ろした。

手のひらが水面に触れ僅かな波紋が立ったその時、地響きの様な音と共にイオの正面から神殿へ向けて真っ直ぐに線が入りそこから水が左右に割れ始めた。左右に分かれた水は見る間にその幅を広げ、人2人が通れる程の幅になったところでその動きが止まった。2人の目の前に現れたのは、神殿の入り口に向けて真っ直ぐ降りる階段だった。


「…すげぇな。…イオ、知ってたのか?」


「いや…、身体が無意識に動いて…」


驚きに固まったままようやく声を出したタスクに、イオも呆然としたまま言葉を返す。


「まあ…、道ができたことだし、行くか?」


「うん…、行こう」


気を取り直して立ち上がったイオとタスクは、ゆっくりと階段を降り出した。水で濡れた階段はぐらつく事なくしっかりとしていて、左右に聳え立つような壁になっている水も途中で崩れてくる様子は無かった。

水中を覗ける水の壁に気を取られながら神殿の前に着くと、水に濡れた扉をゆっくりと引いた。長い間水中にあったはずの扉は僅かな音を立てただけで、錆びついた様子もなく開き2人を招き入れる。神殿内は水中にあっても水が入った様子は無く、天井近くにある小さな窓から水越しの柔らかな光が室内を照らしていた。柱がある以外に遮る物のない室内は質素な印象を受ける。だが、背後で静かに扉が閉まると俄にその雰囲気が変わった。元々静かだったはずの室内がさらに水を打ったかのように静寂に包まれ、荘厳な空気が2人の周りに満ちる。どこか神々の神殿の儀式の間を連想させる室内を、2人は自然と呼吸の音にさえ気をつけながら中央へ進む。

部屋を進むと、中央の床には線や文字があちこちに書いてあるのがわかった。書いてある文字は古い文字の為か簡単に読むことが出来ない。2人が部屋の中央へ近づいた時、不意に陽の光を浴びた様な感覚を受け2人は同時に顔を上げた。しかし室内を照らす光は先ほどと変わる事なく、辺りは淡い光で照らされているだけである。タスクとイオが同時に顔を見合わせ首を傾げていると、突然何かの音が聞こえた気がした。


『…き…ま……イオ…タスク…聞こえますか…』


2人は息を呑んだ。


「この声って」


「ミールなの?聞こえる?」


イオは、宙に向かって聞こえてきた声の主人であろうミールに声をかけた。


『この声はイオですね、聞こえますよ。近くにはタスクもいますね』


「ああ、俺も聞こえてる。凄いな、まるで近くにミールが居るみたいに声が聞こえる。どうなってるんだ?」


タスクが興奮気味に言ったのが可笑しかったのか、ミールが優しく笑う様子も伝わってきた。対面で話すのとはどこか違うが、ミールのものだとわかる声が2人の耳に届く。


『私にも理解が及ばないところではあるのだけれど、エシカの流れに声を祷力と結びつけて乗せるのだそうよ。それを少しの祷力を流すだけで行ってくれる仕組みが、神殿に施されている。…と書物にはありました』


どこか楽しそうなミールの声に、タスクは頭を抱えた。


「あぁー…、何が何だかさっぱりわからん」


「今日1日で驚く事がありすぎて、頭がいっぱいになりそう」


ため息を吐くイオに、ミールからまた穏やかに笑う様子が伝わってきた。


「混乱しそうなところを申し訳ないのだけれど、ここからが本題です」


ミールの言葉に、タスクとイオはハッとして姿勢を正した。


『恵みの力の結晶を呼び出しましょう』





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