15 水の国
「……」
走らせていたペンを不意に止めたミールは、傍の窓を仰ぎ見た。
「…どうかされましたか?」
かけられた声にはっとしたミールは、声の主を振り返った。そこには、不思議そうにこちらを見ている側近のトウカの姿があった。
「いえ、何でもありません」
緩く首を振り微笑んだミールを見た彼は、僅かに首を傾げると手にしていた資料の束を近くの机に置く。
「少し休憩しましょう。お茶をお持ちいたします」
そう言うと、トウカは静かに部屋を出て行く。
静寂が落ちた部屋で、ミールは再び窓を見上げた。
少し前からナウリの村がある方角で、闇の力と光の力の気配が強まるのを感じ取っていた。暫く力の強弱の揺らぎが続いた後、どちらの力も弱まり感じ取れなくなってしまった。あの2人が強敵に遭遇したのだろうか。闇の力が弱まった後に光の力が弱まった事からすると、2人は勝ち残ったのだと思いたいが光の力が急激に弱まった事が気にかかる。
2人が無事だと良いのだけれど…
そこでミールは一つ息をついた。
どちらにしても、ここで躓くのなら先には進めない…。今は、信じて待とう…
まるで心の中を移したかのように雲が多くなってきた空から目を逸らし、ミールは目の前の書類に向き直った。
視界に、明るく白い物が映る。
部屋の天井が、外からの光で明るく浮かび上がっているようだ。
タスクは、次第にはっきりとしてきた視界でゆっくりと辺りを見回す。横になっているベッドの周りを白っぽいカーテンが囲っている。白いシーツで覆われた簡素なベッドの傍には小さなテーブルがあり、持っていた荷物が積まれてある。
ここは、何処だ。どっかの診療所か?
何気なく起き上がろうとすると、全身に鋭い痛みが走った。
「いっ…」
軋む体をなんとかして起こすと、腕のあちこちに包帯が巻かれ手当されているのが見えた。それと同時に、タミナのような魔物を倒した後動けなくなり河原で倒れた事を思い出す。
どうしてここにいるんだ。イオはどうしたんだ。
カーテンで仕切られた狭い空間にはタスク1人で、最後に見たしゃがんだまま動けない様子だったイオの事が気にかかる。
「大丈夫ですか?開けますよ」
不意に女性の声が聞こえ、タスクははっとして顔を上げた。
「…っ、はい」
自分の声が思ったよりも掠れていて驚く。そんなに長い間寝ていたのだろうか。
そんなタスクの戸惑いとは関係なく、カーテンの仕切りを開け声を掛けてきた人物が顔を覗かせた。
「良かった、目が覚めたのね。気分はどう?」
やって来たのは40代くらいの女性で、起き上がっているタスクを見て表情を緩めた。
「大丈夫、です」
「怪我が痛むかもしれないから、無理はしないでね。今、先生を呼んでくるから」
「っ、待ってください!」
すぐに踵を返そうとした女性を、タスクは慌てて呼び止めた。
「ここは何処ですか。イオ…俺と同い年の女の子は知りませんか、一緒にいたはずなんです」
背を向けていた女性は一度戻ると、タスクを落ち着かせるように微笑んだ。
「ここはナウリの診療所よ。貴方と一緒に運び込まれた同い年ぐらいの女の子なら、隣で休んでいて無事だから安心して。貴方と同じように眠っているけど、そろそろ起きるかもしれないわね」
「そう、ですか」
タスクが安堵の溜息を吐くのを見届けると、女性は再び部屋を後にした。
暫くしてやってきた男性医師によって診察を受けると、全身打撲や擦り傷だらけだが骨折などの大怪我は無いと告げられた。
「馬車で運び込まれた時は驚いたけど、大事に至らなくて良かったよ」
話を聞くと、河原で倒れていたところを近くを通った乗合馬車の乗客が見つけて診療所へ運んでくれたようだ。それから一晩寝込み、今は陽も高く登った頃のようだ。
「倒れていた時の事が知りたいなら、村の語伝の所に行くといいよ。君達を見つけて運んでくれたのが、語伝の息子さんだからね」
そこで、先ほどの女性から声が掛かった。
「先生、もう1人の子も目が覚めました」
「わかった。君と一緒に来た子も目が覚めたようだ。診察が終ったら会うといい」
医師が出て行った後、ゆっくりと体を動かしてみる。動かす度に痛みがあるが、動けない事もない。
暫くすると、初めに様子を見に来た女性が声を掛けてきた。
「貴方と一緒に来た女の子の診察が終わったから、会いに行く?」
女性に案内されて、すぐ隣の部屋へ向かった。
カーテンの仕切りへ向けて女性が声を掛ける。
「一緒に来た男の子を連れてきたけど、開けても大丈夫?」
「はい、どうぞ」
仕切りの向こうから聞こえてきた声は間違いなくイオのものだった。
「イオ?」
女性に促されて仕切りの中へ入ると、ベッドに腰掛けるイオの姿があった。両腕の至る所に包帯が巻かれ、顔にもガーゼが当てられているが重傷は負っていないようだ。
暫くタスクの姿を見ていたイオは、不意に眉を寄せ笑いを堪えるような表情をするとタスクを指差した。
「…酷い格好」
タスクがイオの指差した先を追うと、同じように包帯だらけの自分の体が目に映る。
「…それはイオもだろ?」
一瞬目を丸くしたタスクだが、すぐにイオと同じ様な笑いを堪えた表情になる。次第に、どちらからともなく笑いが溢れ始めた。
「…ちょっと、やめてよ。ふふっ、傷に響くじゃん…」
「イオこそ、笑わすな。くくっ、体が痛えんだから…」
2人そろって肩を震わせて、堪えきれない笑いがこだまする。
包帯人間の様な格好が可笑しかったからなのか、2人共無事であったことに安堵したからなのか笑いはなかなか治まらない。
そのまま暫く、2人は笑いが溢れるままに任せることにした。
その後、2人はお互いに動ける事を確認すると診療所にお礼をし村の語伝の所に行くことにした。語伝の下へは、診療所へ運んでくれたことのお礼を伝えることともう一つ大切な目的があった。
ミールによると、結晶の神殿の入り口がある場所は一帯を聖域として人の立ち入りが制限されており、その聖域の核となる祈りの場に入り口が隠されていると言う。ナウリの聖域を管理しているのが村の語伝であるため、聖域への立ち入りの許可をもらうのと祈りの場への行き方を聞く予定である。
診療所を出て暫く歩いた時だった、タスクが何気なく辺りを見回すと建物の間から遠くで陽の光を反射する何かが見えた。
「あれは…」
タスクが思わず足を止めると、イオも釣られて立ち止まる。
「どうしたの?」
「あれって、もしかして」
そう言ってタスクは視線の先を指差した。
「あぁ、湖だよ」
タスクが指差す先には、深い青色の表面を陽の光が反射しきらきらと輝いている湖が覗いていた。
タスクがわくわくした様子なのを見て、イオは笑みを浮かべる。
「語伝の家は湖から離れてるから、行くのは後だよ」
「っ!わかってるって。目的を忘れたわけじゃねぇよ」
「はい、はい。行くよ〜」
イオは、笑みを浮かべたままひらひらと手を振ると先を歩き出す。
タスクが唸りながら続いて歩き出し、暫くすると語伝の家に到着した。
語伝の家の玄関まで足を進め扉を叩く。しかし、家の中から反応は無くもう一度叩いてみるがやはり返事はない。
「留守かな?」
扉を叩いたイオが、タスクと顔を見合わせると何処かから声がかけられた。
「いやぁ、気付くのが遅れて悪かったねぇ。丁度、庭仕事をしていてね」
振り向くと、庭を隔てている生垣の向こうから1人の老父が歩いてきた。
「おや」
老父は2人の姿を認めると、何かに気づいた様子で柔らかな笑みを浮かべた。
「見かけない顔だねぇ。私に何か用かな?」
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