13 掛かる影



その後の道のりは、何事もなく進むことができた。

魔物を警戒して徒歩での移動を多くしていたが、初日に遭遇して以来魔物の姿を見る事はなかった。

言葉にしなくとも内心ほっとしなから周囲に広がる森の中を歩いていると、風で葉が揺れる音に別の音が混じるようになってきた。暫くして木々の奥を見ると、近くを川が流れているようだった。川はこの先、道に沿って続いている。

川を視界に捉えてイオが口を開いた。


「ナウリの村に近づいてきたね。このまま進めば夕方前には着きそう」


イオの言葉にタスクも川に目を向ける。


「ナウリはこの川の上流なのか?」


「そう。村は大きな湖の畔にあって、この川はその湖から流れてるの」


「大きな湖かぁ。湖って見た事ないんだよなぁ」


「そっか。フーイリの辺りって湖が無かったね。ナウリの湖は水も綺麗だから楽しみにしとくといいよ」





暫く川沿いの道を歩いていると、川と道を隔てていた木がまばらになり川の畔まで開けている所に出た。


「なぁ、少し川を見ていかないか?」


タスクが川を指差すのを見て、イオも川に目を移す。


「そろそろ休憩してもいい頃だし、見に行こうか」


笑顔を見せたタスクは、さっそく川へ向かって歩き出した。

木々が途切れた河原へ降りて行くと、遮る物の無い川の姿が目に映る。


「すげえな…」


タスクの口から思わず声が漏れた。

目の前をさわさわと流れる川は、川幅がそれなりにある大きな川なのだが流れる水が驚くほど綺麗だった。川の中央は深さがあるようなのだが、その深い川底が見えるほど水が透き通っている。陽の光を反射する薄青色の水は、まるで宝石の様に輝いているのが少し離れた位置からでもわかった。


「こんなに綺麗な川は初めて見た」


少し離れた所にある川の流れを目指しながら、タスクはその輝きから目を逸らせないでいた。

興奮したように川に見入るタスクを見て、イオは笑みを浮かべる。


「この辺りの水は、国の中でも最も綺麗な水の一つだって言われているの。フーイリの川も綺麗だけど、ここの川はまた違うでしょ」


「ああ、こんなに綺麗な川があったんだな。この川の上流の湖も気になってきた」


「ナウリの辺りは昔から『水の神に愛された土地』って言われてるの。湖は流れる川とはまた違った綺麗さだよ」


感嘆の声を漏らしながら、タスクはふとイオを振り向いた。


「イオ、なんだか嬉しそうだな」


タスクの言葉に、イオは今気がついたと言うように改めて笑みを浮かべた。


「まあね。ナウリは私が生まれた所だし、思い入れがある所を良く言われれば嬉しいしね。タスクだって、故郷を誉められたら嬉しいでしょ?」


「そんな…もんか?」


タスクは歯切れ悪く言うと、なんとなくイオから顔を逸らし川に目を向けた。




それから間もなくして川の畔に辿り着いた時、不意に2人の背筋に寒気が走った。以前遭遇した草の魔物と同じ感覚に、2人はすぐにその場から離れる。

剣に手を伸ばしながら地面に目を向けるが、草の魔物らしき物は見当たらない。それに加え、寒気の原因も何処か違う場所からきている気がする。

2人が周囲へ目を走らせると、視界の端で前方の川が不意に盛り上がるのが映った。すぐにそちらに顔を向けると、黒く盛り上がった水面から何かが勢いよく飛び出してきた。真っ直ぐに向かって来る黒く大きな塊の中に鋭く光る物が見え、2人はすぐさま両脇へ駆け出した。避けた背後から何かがぶつかる鈍い音が響き、剣を抜き放ちながら振り返った2人は息を呑む。

そこに横たわっていたのは丸太よりも太く、黒光りする生き物だった。


「タミナ…」


イオは驚きのまま口にしていた。

タミナとは水辺に棲む蛇の総称であり、手足の無い長い胴体とそれを覆う鱗に鋭い目はタミナの特徴そのままだった。しかし、大きさが2人が知るタミナとは明らかに違っている。太くても10センチ程にしかならない胴体は2人の身長近くの厚みがあり、長さにいたっては先が川に潜っていてどれほどあるのかわからなかい。


「こんな大きなタミナが居てたまるか!」


タミナは水中に身を潜め水辺に近づいてきた小動物を狙うと聞くが、自分達がその小動物になっていたようだ。

声を上げたタスクを、ゆらりと首をもたげた魔物が振り向く。魔物がタスクに狙いを定めたからだろうか、先程感じた寒気がより強く身体を駆け抜けた。


この感覚が闇の魔物の気配で、闇の力の気配…


タスクが構えるのとほぼ同時に、魔物が口から鋭い牙を覗かせて突っ込んできた。すぐに後ろへ下がり距離を取ると、その直後に先程までいた場所に大きな穴が空く。


冗談じゃない!


タスクは素早く踏み込み、地面に顔を下ろしている魔物に剣を振り下ろした。


「なっ…」


魔物の眉間に振り下ろされた剣は、鈍い音を立てて受け止めてられていた。表面から切れ込みが入った感覚がない。それどころか、下から持ち上げられ跳ね返されてしまう。タスクが体勢を崩す中、魔物は首を上げるが何かに気がついたように瞬時に背後を振り返った。




タスクが剣を振り下ろしたその頃、イオは魔物の背後から近づき黒く鈍い光を反射させる胴体へ切り込んだ。


「っ…」


しかし、まるで岩に当たったような硬い音が響いただけで全く剣が通らなかった。

魔物が振り返った気配にイオはすぐさまその場から離れると、川の方から水飛沫が上がるような大きな音が聞こえた。視界の端に黒い塊が映ると、イオの横を掠めるように通り過ぎていく。水中から飛び出した魔物の太い尾がイオを振り払ったようだ。

イオは魔物と距離を取ると顔に飛んだ水飛沫を拭った。


光の剣が通らないなんて…。私たちの剣に耐えられるように強化されているのだろうか。


そう思うのと同時に、イオは剣を握り直した。




魔物がイオに注意を向けた隙に、タスクは魔物から距離を取った。


なんつー硬ぇ鱗だよ!


イオのいる方からも同じような鈍い音が聞こえ、胴体も硬い事がわかった。


何処を狙う?硬い鱗の無い目か?口か?


タスクは、背を向けている魔物へ向けて走り出した。

タスクが近づいてきた事に気がついた魔物は、ゆらりと振り向く。そして、タスクの姿を確認すると持ち上げていた頭を振り下ろし勢いよく噛み付いた。

タスクは既の所で躱すと、正面から目に向けて剣先を突き刺した。しかし剣先が硬い物に弾かれると、それと同時に魔物が顔を上げたことで剣が完全に弾かれてしまった。


「っ!」


タスクが体勢を整える間も無く魔物が頭を横に振り、タスクはなす術もなく弾き飛ばされた。

激しく突き飛ばされたタスクの体は地面にぶつかっても勢いが収まることがなく、幾度も転がって漸く止まることができた。全身を貫いた衝撃は痛みとなり身体を覆う。


くそっ……


必死に目を開けて捉えた視界の先には、黒い魔物であろう塊に駆け寄る小さな姿があった。




イオは剣を握り直すと、祷力とうりょくを腕から刀身へ巡らせた。

神々の神殿でミールから光の力について教わった後、力の動かし方を練習し続けてきた甲斐がありすぐに祷力を動かすことができた。光の剣は祷力が加わると、その存在感が増したような強固な気配へと変わる。


これが、光の剣の強化に繋がっているか試すしかない。


イオは、刀身に祷力が行き渡る頃合いで駆け出した。

魔物のなるべく背後から近づき首元を目指す。しかしそこで、魔物の正面にいたタスクが大きく弾き飛ばされてしまった。タスクが飛ばされた先に頭を向けた魔物は近づくイオに気づく。


仕方ない!


目指していた首元まで近づくことは出来なかったが、魔物が動き出す前に胴体へ切り込んだ。

バキッと割れるような音が響くと、先程まで全く傷が付かなかった鱗にヒビが入り割れていた。しかしそれ以上は切り込むことが出来ずに剣は表面で受け止めてられてしまっている。

イオが眉を寄せると、その周りを魔物がとぐろを巻くように囲ってきた。イオはすぐに魔物の体に手をつくと、締め付けられる前に這い出した。魔物から飛び降りたイオは距離を取ろうとするが、後方から飛んで来た尾に弾き飛ばされてしまう。

衝撃に息が詰まり、視界が二転三転して漸く体が止まる。

妙に静かな頭の中とは裏腹に全身を痛みが覆っていく。


タスクに伝えないと…


イオはなんとか目を開けると魔物の姿を探した。





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