第5話 海の家

 日の出前には、一番近い海辺にたどり着いた。疲れた足首をくるくると回していたら、由紀が驚いた声を上げた。

「ちょっとお、海の家やってる」

彼女の指差す方角に、海の家の旗があった。夏休みだけしか立たないであろう青い旗が、暗い中でばたばたと北風にあおられている。

「行ってみるか」

僕らは砂浜をざくざく音を立てて歩いた。海の家には店主らしき茶髪の青年がいた。

「らっしゃい」

「今ごろ営業してるんですね」

「今日でこの世も終わりですしねー」

「記念に営業?」

「他にやることないから、俺。休んでってください」

中に上がって、ござの上に座り込む。夏ではないので、寒い。テーブルに、あたたかい麦茶が置かれた。

「なんか作るよ。食ってってよ」

「私、焼きそば!」

「じゃあ、僕はお好み焼き」

「あ、私、フランクフルトも食べる!」

「はーい、ちょっとお待ちください」

 12月31日火曜日、午前6時。左手首のスマートウォッチが告げている。時間が進むのが速いような遅いような、不思議な気持ちがした。由紀は目の前で電話をかけ始めた。

「あ、お母さん? あたしあたし。いま直人と一緒に海の家にいる。うん、そう。あ、私たちいきなり結婚したから。このまま直人と一緒にいるから。え、ごめん。まあ、いいじゃん。お父さんによろしく。じゃあね。バイバイ。うん、じゃあね」

麦茶は熱すぎて、猫舌の僕はすぐには飲めない。由紀はあっという間に飲み干している。

「実家に帰らなくていいのか?」

「いいの、もう十分一緒にいたから」

「最後が僕で本当にいいのかよ」

「うん。なんだろ、直感」

「ふうん」

「すいませーん、麦茶おかわりくださーい!」

茶髪の店主が「うぃーす」と声を上げた。昔懐かしい大きなやかんを持って、こちらへ向かってくる。湯呑みにとぽとぽと熱い麦茶が注がれた。

「お兄さん、なんて名前なんですか?」

由紀は突然、彼に話しかける。

「俺っすか。俺、タケシっす」

「タケシくんですか」

「はい」

「今日、私たちタケシくんのお店手伝うよ」

「「えっ」」

そんな話は聞いていないぞ。

「なによ直人、いいじゃない、最後の日に海の家のお手伝い。味わいあるじゃん」

「いや、うん、いいけど」

タケシくんは頭をかきながら、笑った。

「お姉さん、多分今日、お客さん来ないっすよ」

「いいよ、私たちがお手伝いとお客さんの両方やるから。ね、直人、そうしよ」

「う、うん、わかった」

「とりあえず焼きそばとか持ってきますんで」

「タケシくん、ありがとうー」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る