第6話 六日目

 あれから夜になると男の子は眠り、朝になるとまたずっと石を見ていた。

 なんだか惹かれるようで目を離せないらしいが、ああいう綺麗なものもこの世界には残されていなかったのかもしれない。

 私は水を汲んで男の子に飲ませる事を繰り返すが、それ以上はどうする事も出来ない。元気でいてほしいと言った癖に、なんとも情けない。

 せめて私が外の世界を見てみることが出来れば、もうちょっと何か出来るかもしれないのに。

 いや、見てみたところでそれはないか。幽霊ごときが何を出来よう。


「なあ」

『はい?』


 男の子は昨日と変わらず光の中で寝転がり石を見ていた。


「お前はいつまでここにいるんだ?」

『さあ? いつまでいるんでしょうね』

「……どうせならさ、俺が死ぬまでいてくれよ」

『え、嫌です』


 がばりと男の子は身体を起こした。こちらを見る顔はちょっと怒っていた。


「なんでだよ」

『だってそんなの泣いてしまいます』

「……泣く?」

『幽霊だって悲しいものは悲しいんです。涙は……出るのかちょっとわからないですけど』

「……そうか」


 何故か男の子は少し笑ってまたごろりと転がった。


「あ」

『……どうしました?』


 あ。と声を出して動きを止めた男の子。それから動かないのでどうしたのだろうと覗いてみると、じっと石を見つめていた。


「なあ、これ青かったよな?」

『え? あぁ、そうですね。青でしたけど……それ色が変わりました?』

「なんか緑っぽい色が入ってる」


 よく見ると、太陽の光を受けてキラキラと光を反射するそれは、部分的に緑色に見えた。


『暗かったからよく見えなかったんでしょうか』

「いや、朝見た時は青かった。それに昨日よりもなんか色が透き通ってるし青い色が薄くなってる」


 言われてみると、昨日拾った時はもう少し色がくすんでいたような気もするし、紺色に近かったような気がする。


『確かに色合いは変わりましたね。マリンブルーのアパタイトみたいです』

「まりん?」

『宝石の名前です。明るい南の海のような色ですよ』

「ほうせき? うみ?」


 首を傾げる男の子を見て、あぁ宝石も海も知らないのかと理解した。

 では何に例えたらよいのだろう? 青い色が薄くなってると言う男の子は、きっとこの晴れ渡った青空のようにも見える水色を知らないのだろう。この世界の空は青ではないのかもしれない。

 それはなんだか、とても勿体ない気がした。世界には名前を付ける事が難しい程の色が溢れているはずなのに、この世界にはきっと数える程の色しかないのだろう。そう思うといろいろな色を男の子に見せてみたかった。この石で驚くぐらいだから、もっともっと綺麗なものを見せたらどんな顔をするだろうか。


『宝石は綺麗な石の事です。海は……とても、とても大きな塩水の事です』

「塩水? なんでそんなもん……」

『……何故でしょうね』


 どうして海があるのと聞かれると、どう答えていいのか困る。原始地球はとても海が存在出来るような環境ではなかった筈だから、どこかで海が生まれるきっかけがあったのだろうとは思うが。


「それより、お前何か思い出したのか?」

『え?』

「だってお前、何もわからないって。ここがどこかもわかってなかっただろ」

『あぁ……確かに』


 男の子に指摘されて、そういえば原始地球とか宝石とか海とか、どこで私は聞いたのだろう。なんとなく浮かんできた知識なのだが、どこからきた知識なのかわからなかった。


『ふっと頭に浮かんだんです。宝石や海みたいだなって。どうして知っているんでしょうね』

「俺が知るかよ」

『ふふっ、そうですね』


 最初に知るかと言われた時よりも、随分柔らかい声で言われ思わず笑ってしまった。案の定男の子は怪訝そうな顔をしたが、なんでもないと誤魔化す。


「……あーあ……俺だけになっちまった………」


 飽くことなく石を見つめたまま、そう零す男の子。


「兄ちゃんや、父ちゃんがいれば違ったのかなぁ……」

『私はあなたで良かったですけどね』

「……なんで?」

『だって、あなたのお父さんやお兄さん、なんだか優秀そうですから、出会っていたら退治されちゃっていたかもと思って』

「それ、俺が優秀じゃないってことか?」

『そんな事は言ってませんよ? あなたはほら、子供じゃないですか』

「子供じゃない!」

『と言っている間は子供だと思います。大人になれば大人が面倒くさいと思うようになりますから』

「……お前はそうだったのか?」


 あぁ、またどこからか知識がこぼれて出てきたようだ。


『どうでしょうか? そうだったのかもしれませんね。ひょっとして面倒すぎて幽霊になってまで覚えていたくないと忘れてしまったのかもしれないです』

「なんだよそれ」

『さあ、自分でもよくわからないですからね』


 そんな雑談をしているうちにも、光の角度は変わり日が陰っていく。

 今日も男の子は帰らないようだ。遠くでカーンという音がするが、反応すらしない。

 水を飲んでいるだけにしては元気そうにしているが、そんなものがいつまでももつわけがない。しかし、唯一の保護者と思われる老人を失った状態で外へと戻っても生きていけるのか、私にはわからない。

 日が沈み、男の子がゆっくりと目を閉じるのを不安な気持ちで見ていると、急に身体がザワザワした。

 この感覚は覚えがある。


『起きてください!』


 鋭く、けれど小さな声で男の子を起こす。


「……なんだよ」


 目を開けただけの男の子の口元を白い霞で覆い、静かにと声を潜める。


『たぶん、人がきます』

「え? なんで……」

『わかりませんが、隠れた方がいいです』


 男の子は起き上がると、ふらつく足取りで壁際に移動した。

 私は岩陰になるところを指さし、男の子にそこに入ってもらうとその前に身を潜めた。

 やがて、荒い足跡が聞こえてきた。やってきたのはあのギョロギョロとした目の男達。手に松明を掲げ口々に罵り合いながら、何かを探していた。

 聞き取れるのは、じじい、ガキ、どこいった。死んだんじゃないのか。

 それから、まさかだと思ったが……肉を、と。

 男の子は食い扶持がと言っていた。もしかして、その人たちは……

 やがて男達はこちら側にまでやってきた。この洞窟は男達が来たところ以外に道はない。袋小路なのだ。

 どうすればいい?

 どうすればこの男の子を逃がす事が出来る?

 脅かしてみる?

 一瞬注意は引けるかもしれないけど、阻む事が出来ない私ではすぐに男の子に追いつかれて捕まってしまう。ただでさえ子供で足が遅いのに、今は水しか口にしていないせいでふらついているのだ。

 私の足が遅くなければ、私が男の子を抱えて走る事が出来れば……

 ぎりっと奥歯を噛むような心地でいると、カチリと何かが嵌ったような感覚がした。それまで曖昧だった手足の感覚が急にリアルになり、見れば人間の手と足がそこにあった。残念ながら片方の手は老人を隠すのに使ったせいかそこだけもやもやとした霞に手首が覆われてその先は無かった。だが、片手があれば十分だ。

 後ろを向くと、こぼれそうなほど大きく目を開く男の子の姿。口は片方の手で押さえていたからか声は出ていなかった。

 私は男の子の腕に手を伸ばした。

 触れた。

 温かかった。細くて、折れてしまいそうだ。

 私は指を立てて口の前にあて、静かにするように伝え石を拾った。

 そしてその石を私たちとは違う場所へと思い切り投げた。

 ガツンと大きな音が鳴り、男達の注意がそちらに引きつけられた瞬間私は男の子を片手で肩にかついで飛び出し走った。

 飛び出してから思い出したが、私はこの洞窟から出られないのだった。

 ざっと血の気が引いたが今更戻れない。覚悟を決めていけるとこまでいくしかない。

 今までのったりのったりしていた足が今は跳ねるように軽い。男の子の重さなどまるで関係ないように駆けると、あっという間に洞窟を出た。出れた。

 何故? そう思う暇はない。洞窟を出たところは崖の上にあるようで、いそいでそこから細い道を辿って崖を下る。男の子が走る振動に呻きながらも指をさしてくれるから、それを信じてそちらの方へ。後ろから野太い怒声が聞こえてくるのを振り払い必死に走った。

 暗闇の中でも何故か見える私の目は、世界の様子を捉えていた。

 草の一つも生えていない。ざらざらとした砂が赤茶けた岩のような大地の上を風に吹かれている。葉をつけた木の姿はない。全て枯れているのか幹と枝をさらしたものだけが忘れられたようにポツン、ポツンと立っていた。

 ずっと走っていると、男達の方が疲れたのかいつしか声が聞こえなくなり、その姿も見えなくなった。

 十分に注意して足を止め、男の子を降ろす。

 それにしてもなんてところだろう。こんなところで、どうやって男の子たちは生きてきたのだろう。まるで火星のような光景に言葉が出ない。


「ここまではあいつらも絶対にこない」

『そう……なのですか?』

「この辺は魔物が出るから」

『それでは危険では?』

「あいつらのいるところの方が、もう危ないだろ……」


 それは、確かに。


「それよりお前、急に見た目が変わって……女の子だったのか」

『女の子なんですか? 私』

「それも知らないのかよ」


 こんな状況なのに、男の子は呆れたというように笑った。


『しょうがないじゃないですか。覚えてないんですから』

「なんだよ口を尖らせて。そんな顔してたんだな」

『あ、私、顔があるんですか?』

「無かったら怖いだろ」

『いやぁ見えないのでよくわからなくて』


 頭を掻くと、さらさらとした髪の感触がした。今更ながらに頭を触ってみると、肩口まである髪が頬を掠めていた。少しくすぐったい。つまんでみると、黒い髪があった。


『ところで魔物っていうのは、どういうものですか?』

「いろんなのがいる」


 だからあれこれと説明するのが面倒くさいと男の子はその場で仰向けになった。


『移動しないのですか?』

「………どこに移動するんだよ。村に戻ったら殺される。じゃああいつらが来ないここにいるしかない。それに俺だってわかってる。もう……」


 それ以上は言わず、ずっと持っていたらしいあの石を取り出して真っ暗な空に掲げてみた。


「やっぱり……太陽で見た方が綺麗だなぁ」

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