第4話 四日目

 どれほどそうしていただろう。

 男の子は老人の傍を離れようとせず、そのまま蹲るように眠ってしまった。

 私にはここが暖かいのか寒いのかわからない。

 それでも男の子に風邪をひいてほしくなくて、抱き込むように座る。

 幽霊の私ではむしろ冷やしてしまうのかもしれないと気づいたのは、男の子が目覚めた時だった。

 男の子は一瞬状況が飲み込めなかったようだが、御遺体を前に唇をかみしめた。

 それから抱き込んでいる私に気づくと驚いたようにこちらを見た。


「お前……」

『申し訳ありません。何も出来ませんでした』


 男の子から離れ、その場に膝をついて頭を下げる。

 怖くてあの男たちの前に出る事が出来なかった。出たとして何か出来たかわからないが、怖がらせることぐらいは出来たのかもしれない。一晩考えてそれにようやく気づいたが、遅すぎる。


『ご老人の最後の言葉、聞きますか?』

「っ! ……なんて、言ってたんだ」

『ゆりかご。よかった。るくすをたのみます。

 そう言われて、笑っておいででした』


 ぐっと引き結んだ口を、少しだけ開けて堪えるように男の子は言った。


「ルクスは、俺だ」


 じわりと浮かんだ涙を拳でぬぐい、男の子は立ち上がった。

 周りを見回して、積まれていた小石が飛び散っている事に気づいたのだろう。御遺体の近くを確認し始めた。

 私はそれを黙って見つめる。他に、何も出来ないから。

 男の子は石を集めていって、それからさらに何かを探すようにじっと地面に這いつくばっていたがやがて動きを止めた。


「……ない」


 滲んだ声を隠すように、顔をあげず呟く男の子。


「……っ……俺、見た事ないよ……じいちゃん………

 ……ねぇ…ほんとに……ほんとに……」


 あったの?


 声なき声が聞こえた気がした。

 種がない。どこにもない。どうしたらいいの? 教えてよ。

 そんな声が。

 私はのっそりのっそり動き、石を一つ一つ見て行った。

 川辺に落ちていそうな丸い石。灰色の石。尖った石。黒い石。砂が固まったような石。

 いろいろな石があったけれど、どれも普通の石だった。

 のっそりのっそり動き、地面を見て回る。

 小さなくぼみも、隙間も、一つ一つ、ゆっくりと見て回る。


「もう」


 不意に男の子がしゃべった。


「もう、いいよ」


 振り向くと、顔をあげていた。

 だけど、その顔はどこにも向けられていなかった。ただ、ぼんやりと虚空を見つめていた。

 私はのっそりのっそり、男の子に近づき、男の子の前に正座した。


『……私は、あの方の事を知りません』


 男の子の目が、無感動なまま私を眺める。


『でも、あなたから聞くおじいさんが、あなたに絶望を残すとは思えません』

「……?」

『ご老人は、最後に笑っておられました。嬉しそうに涙を流して』

「そんなの……見間違いだろ」

『いいえ。よく覚えています。どうしてあんな状況で笑うのか私も不思議でしょうがありませんでしたから。

 でも、何かに気づいておられたのなら? 何か、希望を見出しておられたのなら?

 それをあなたに託して、託すことが出来て、笑っておられたのではないのかと』

「なんだよ……何に気づくっていうんだよ……」


 無感動な目がじわりと滲む。わからないと、もう嫌だと、何もわからないままぼんやりしていたいと、そんな感情が透けて見える。


『ゆりかごとは、何でしょう。何かの符号でしょうか』

「わからない……わからないよ!」


 頭を振って、拒絶するように顔をふせる男の子。

 そっとしておいた方がいいのかもしれない。

 大事な人をなくして、そしてそんな大事な人なのに未だ埋葬もされないこの状況。

 それでも私は問いかけた。問いかけるのを止めたら、男の子がそのままどこか知らない世界へ行ってしまいそうな気がした。


『あなたのご両親は?』

「……しんだ」


 立ち上がり、のっそり、のっそり、歩く。


『兄弟は?』

「……しんだ」


 老人のそばまで来て、どうにか出来ないだろうかと考える。


『友達は?』

「……しんだっ」


 それじゃあ、この老人が男の子にとって縋る事が出来る唯一の人だったのか。

 自分の手……棒の先を見て、この白い霞でせめて隠せないだろうかと考えると、ふわふわと霞が漂って老人を薄く覆った。


「……? ……おい、なにやって――」


 男の子がいきなり走ってきて私の腕を掴もうとしてつかめず、たたらを踏んだ。


「お前! 何やってるんだよ!」

『このご老人をこのままにしておくのは……せめてお姿を隠すことが出来ないかと』

「かくす……? だけど、お前それ……」


 男の子が指さす先、私の手があった部分の棒きれは短くなっていた。


『勝手をしてすみません』

「そういう事じゃなくて……お前、手が」

『大丈夫です。痛くともなんともありません。私は幽霊ですから』

「………」


 男の子は困ったような、怒ったような顔をしていた。


「幽霊なら……じいちゃんも、幽霊になれば良かったのに……」


 それは……確かに、と思う。

 あの揺らぎが魂だったのなら、もう空へと還ってしまわれたのだろうか。


「なんなんだよ……ゆりかごって……俺、知らないよ……」

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