世界の闇が動き出す②
目を覚ますと、見慣れぬ天井が見えた。
霞む瞳をきょろきょろと動かして回りの確認をする。
「此処は……どこ?」
記憶が曖昧だ。数分、数十分前の事が思い出せない。
けれど、こういう状況には覚えがあった。
「手足には鎖……。室内は汚くて不衛生……ときたら、嫌でもわかるわね」
思い当たる事は一つ。
誘拐だ。
過去に一度、知り合いでもなんでもない勇者の力に嫉妬し、魔族を恐れた愚か者に姉を釣る餌として攫われた事がある。
あの時は恐怖で状況を飲み込むより攫った相手に噛み付く事で気持ちを落ち着かせていたが、成長した今では一人でも十分に冷静な思考を保てる。
ならば、まず考える事は状況の把握だ。
自分が何故、こんな場所に、どういった目的で連れて来られたのか。それがわかればアルテミスにも取れる手段が見えてくる。
誰かいないのかと今度は上半身を起こして周りを見渡す。だが、幸いなのか最悪なのか、室内にはアルテミス以外誰もいない。実に静かなものだ。
「はぁ……また姉さんを釣る餌とかだったら嫌よ?」
それではまるで自分がおまけみたいだ。成長し、力を付けて尚、誰にも見向きされない事実がアルテミスにはどうしても認めがたい現実だった。
短い人生で二度も誘拐され、その理由が両方とも姉がらみときたら、いよいよもってアルテミスは憤りを隠せない。
理由が判明していない現状を喜ぶべきだろう。
それに、
「早く戻らないと……シリウスが心配しちゃうわね」
今は一人じゃない。
自分の事を、アルテミスの事を個人として見てくれる友人が出来た。向こうは友達とすら思ってないのかもしれないが、猫を被らなくてもいい、猫を被らない彼との語らいがここ最近のアルテミスの特別だった。
孤独を甘んじていた過去の自分とは違う。
姉も両親の興味もいらない。ただ一人、シリウスがめんどくさそうな顔して話しを聞いてくれるだけで、彼女は満足していた。
帰りたいと心の底から思える理由が、学院にはあった。
「元気なところを見せて、たっぷりと虐めてあげないと」
気持ちに不安はない。陰りも焦りもない。
内側から巡る魔力の循環もスムーズで、体調さえ回復すればいつでも抜け出せる。
問題は、それまでの間、自分が無事でいられるかどうか。
「せめて犯人の顔くらいは見ておきたいわね……って、あら?」
足音が、聞こえてきた。
扉の奥からだ。十中八九、自分を攫った相手だろう。
コツコツと高そうな靴音を奏で、一度音が止んだと思った瞬間に、鋼鉄の分厚い扉が古臭い轟音を立てて開いた。
アルテミスの前に姿を現した敵は、こちらをジッと三秒ほど見つめたあと、にやりと笑って口を開く。
「おはよう、次代の勇者アルテミス」
「おはよう。貴方は私の事をご存知みたいね。でも残念ながら、私は貴方の事を知らないわ。自己紹介を頼めるかしら? 素敵な下衆野郎」
「くふふ。四肢を拘束されている状態でそれだけの悪態がつけるとは……流石は天才、勇者の実妹だ。肝が据わっていらっしゃる」
「それはどうもありがとう。さっさと名乗ってくださる? 遅すぎて欠伸が出そう」
お互いに笑顔を浮かべて一礼。穏やかな雰囲気が流れるものの、双方、目は笑っていなかった。
「では僭越ながら。俺の名前はローガン。見ての通りの紳士だ。君と同じ、人族でもある」
「へぇ。新手の道化師かと思ったわ。チープな服装ね。貧乏なのかしら」
「くふふ。弱い犬ほどよく吠える。恐怖に抗おうとする必死さが滲み出ているよアルテミス」
「気安く私の名前を呼ばないで。友達でもないくせに」
「おおっと! これは失礼。共に世界の真理を見たいと思った次第で、ついつい気持ちが先走ってしまったよ」
わざとらしい動作に虫唾が走る。
「……世界の真理?」
だが、気になる単語が聞こえた。意味はわからないが、男の口調からかなり大切なワードだと思われる。
「気になるかい? 君も」
「ええ。懇切丁寧に解説してくださる?」
「いいとも。上手く成功すれば君も知る内容さ。遅いか早いかの差でしかない」
嫌な話しの流れだ。胸中をもやもやとした複雑な感情が渦巻く。
「君は、魔族にも人族にもなれない半端者を知っているかな」
「半魔(ハーフ)でしょ。常識ね」
「その通り。彼等半魔は、人族と魔族との間に生まれた悲しき種族。どちらの特徴も中半端に引き継いでいるからこそ、どちらの領域にも入れない」
「それが何なのかしら」
「くふふ、そう焦るな。単純な話しだよ。彼等半魔はね? 両方の種族の特徴を有するんだ。人族の高い知識、柔軟性。魔族の膨大な魔力に寿命。どちらも完全とは言えないが」
それも知っていた。
学院に通う学生なら、現騎士団の騎士なら誰もが知ってる常識だ。その特異性故に最初は人類の希望となる可能性を見出されていたが、
「しかし、彼等は必ず人族か魔族か、両親のどちらか一方の性質を色濃く受け継ぐ。人族ならば優しさを。魔族ならば闘争心を。ある意味、純粋な強さを誇る魔族以上に厄介な種族だ」
そう。男の言う通り、歴代の国王は半魔達による謀反を恐れて彼等を迫害、異端者として処刑していった。
人類に必ずや牙を剥く悪意だと断じて。
「でも……でもだよ? 考えてもみたまえ。魔族に虐げられる現状を。世界を! このまま手をこまねいて勇者だけに戦わせては、我々に未来はないと思わないか?」
「なに、半魔でも探して戦力にしようって話しなの? だったら解放してくださる? 話しは通してあげるから」
「くふふ。勘違いしてもらっては困る。そんな無駄に時間の掛かりそうな事をしなくてもいいじゃないか。いないのなら……創り出せば」
「なっ……!?」
アルテミスは戦慄した。
男の言わんとする事の意味を、否応なしに理解してしまったから。
「流石に聡明だ。君が今、考えている通りだよアルテミス」
「人工的に半魔を創り出して……戦力にするってこと?」
「人族と魔族の間に生まれる以上、双方の遺伝子を組み合わせれば簡単な話しさ。実現には至っていないがな」
「あっそう。申し訳ないんだけど、私は興味ないから帰らせてもらってもいいかしら。今の話は秘密にしておくから頑張ってね」
「ダメに決まっているだろう? むしろ君こそが俺の計画の大切な柱なんだ」
「……どういう意味?」
今度こそ明確な負のオーラが見えた。
聞きたくない思いと、聞いておかないといけない思いがぶつかって霧散する。
今更、耳を塞ぐ事は出来ない。
「仮に、遺伝子のみで半魔が創り出せない場合、もう一つの計画を実行に移す必要があるからね。それには、君の協力がなくてはならない」
「もう一つの……計画……?」
恐る恐る訊ねたアルテミスの耳へ、信じられない、悍ましき計画の内容が語られる。
「人族と魔族を交わらせ、手っ取り早く半魔を生み出すのさ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
扉を開けて、まず最初に僕の懐へ飛び込んできたのは、緑髪の美少女フラウ。
屈託のない天真爛漫な笑みを浮かべて笑っている。
「やっぱり! 兄様帰ってきたんだ!」
「ああ。ただいまフラウ。元気そうだね」
ちなみに彼女の言動は、決して僕が強制したものじゃない。虐げられ、家族すら殺されて絶望していた彼女に手を差し伸べた際、「僕達はこの世界で唯一の家族だよ」と言った事で年上の僕を兄様と呼んでいるらしい。他にも同じ半魔の仲間に対しては名前で呼んだり、姉と呼び慕っている。
「おかえり! 久しぶりだね兄様! 兄様大好き!」
「よしよーし」
相変わらず脊髄で喋ってんなぁこいつ。
だが、家族……特に僕に対しては無条件な愛情を向けてくれるフラウも、人族や他の魔族に対しては非常に冷たい。いや、冷たいどころの話しじゃない。もはや殺意を抱くレベルの憎悪を募らせている。
彼女の境遇を知れば当然の内容だとは思うものの、僕としては人ともちゃんと関わって仲良くしてほしいものだ。
というか……。
このあとで、その大嫌いな人間のお姫様を助けに行くから力を貸してくれと言ったら怒らないかなぁ?
多分、いや絶対に怒るだろうなぁ……。めんどくさい。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
遅い夕食を済ませ、他の家族とも挨拶を終えた僕は、全員をリビングに集めて大切な要件を伝える。
「集まってくれてありがとうみんな。僕から、今日は面白い話しがあるんだ」
「兄様のお願いを聞かない訳ないよ! なんでも言ってね!」
フラウが僕の言葉に即行で返事をしてくれるが、一番問題だと思っているのは君だよとは言えないな。
「お任せください魔王様。このセーレめが、貴方様の願いを、必ずや叶えてみせましょう!」
水色髪の眼鏡がよく似合う美少女が、無表情で熱く語る。彼女は、武力こそ他のメンバーに及ばないが、知識と頭の良さだけは随一だ。かつて痛ましい拷問を受けた影響で感情が表情に出なくなったらしい。それでも凄く僕を慕ってくれてるのは言動でわかるから可愛い。
「シリウス様の命令……ああ! 嬉しい嬉しい嬉しいいぃぃぃ! 誰を殺せばいいんですか!? 誰でも殺します! 貴方様の道を塞ぐ無礼者は、人であろうと魔族であろう魔物であろうと殺しますうぅぅ!」
やたらと声高らかに興奮してるのは薄紫色の髪が特徴的な美少女アスタロト。家族内で一番頭がぶっ飛んだヤバイ奴だ。セーレと同じく痛ましい拷問を受けた影響で、彼女の場合は心が酷く歪んだ。で、暗闇から自分を救い出してくれた僕を神の如く信仰している。更に、セーレとは異なり、アスタロトはバリバリの戦闘員だ。長女的な立ち位置のリリスを除いて誰も彼女には勝てない。おかげで敵に対してはもう容赦ない。昔の行いをそっくりそのまま返す勢いで相手を拷問にかける。思わず僕も相手に同情してしまう程だ。しかもそれを褒めてくれると思って、僕に期待の眼差しを向けるところなんてまさに血塗れの狂犬である。
「皆の言う通りです。主様の為に全力を注ぎ、身命を賭すが我等の役目。お任せください、万軍の兵すら滅ぼしてみせましょう!」
リリス同様に妖艶さを秘めた最後の家族は、僕と同じ黒髪の美女ロノウェ。勉強の虫っぽいのがセーレだとしたら、リリスとロノウェは外見から仕事の出来る女って感じだ。まあ、例に漏れず彼女も仲間以外は全部ゴミだと思ってるタイプなんだけど。僕に対する忠誠心はアスタロトに近い。
「ありがとうみんな。これから話す内容は、全員にとってあまり楽しくないものだとは思うけど、これも世界の、ひいては僕達のためになる。どうか、どうか心して聞いてほしい」
特に僕の膝の上で転がるフラウと、家族以外はゴミか全員死ねばいいのにとか口にするロノウェとセーレ、お前達ね。
スッと一度深く深呼吸。今日の話し合いは荒れるとわかっていて、けれども僕は笑顔で彼女達に語った。件の、アルテミスの誘拐事件を。
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