世界の闇が動き出す①

 その日の授業も無事に終わり、僕は寮の自室で荷物を纏めていた。別に旅立つ訳じゃない。これは一応の備えだ。着替えとか日用品とか、向こうの隠れ家から持ち運んだ物ばかりを小さな鞄に詰める。


 明日から学院は二連休。二日も寮を開けるのだから、ある程度の準備は必要だろう。


「あ……何かお土産も買っておこうかな。みんな王都に興味あったみたいだし」


 パンパンに膨れ上がった鞄を手にぶら下げて、僕は服装を整える。制服はいらない。汚れたらクリーニングでお金が嵩むから、寮を出る前に私服を身に纏った。


「リリスとシトリー……はお揃いの紅茶かな? ロノウェは甘い食べ物が好きだったっけ? アスタロトは玩具……フラウとセーレは……衣服? いやでも流石に高すぎる……。アクセサリーでいっか」


 隠れ家で僕の帰りを待つであろう六人の少女に、それぞれ異なるお土産をリストアップしていく。帰省するだけで大袈裟だって? 問題ない。金は悪さをする冒険者や魔族達から奪い取った物。同級生の誰よりも小金持ちな自信がある。アルテミスを除いて。


「戸締り良し。忘れ物無し。お土産は紙にメモした。……うん、完璧だね」


 最後に自室の鍵をしっかりと閉めて、僕は踵を返し、喧噪に満ちた大通りを目指す。


 肩に背負った鞄の重みが、そのまま僕の高揚感へと変わる。


 なんやかんや言って、僕は彼女達が好きだったりする。人は一人では生きていけないと人族の誰かが言ったらしいが、まったくもってその通りだ。


 始めの頃はさして気にもしなかった孤独感は、リリスやシトリー達と出会った事で強まった。


 気が付けば僕は、一人王都に住む自分の境遇が残してきた彼女達に対して申し訳なくなった。


 一人くらい連れてきてもよかったかもね。なんて思うくらいには。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 王都サンタマリアを出て数分。


 僕の全力ダッシュが功を奏した結果、誰にも見つかる事無くリリス達の潜む隠れ家に着いた。


 コンコン。


 ゆっくり二回ノックする。その際、


「誰かいるかな?」


 と声を掛ける事も忘れない。


 すると、五秒と掛からず扉が開いた。顔を覗かせたのは美しい金髪の美少女。


「……一ヵ月ぶり」


「一ヵ月ぶり。元気そうだね、リリス」


 僕に名前を呼ばれた彼女は、僅かに嬉しそうな表情を浮かべたあと、どこか責めるような視線を向けて言った。


「おかげさまでね」



 立ち話もそこそこに僕は家の中へ招かれる。ある意味僕の家と言っても過言ではないため、入った瞬間に感じる空気感に頬が緩む。やはり実家はいい。魔王の実家は最悪の雰囲気なので、シリウスにとっての此処はまさに楽園だった。


「このタイミングで貴方が帰ってきた理由、どうせ勇者に関する事なんでしょ?」


 無駄に大きなソファに腰を下ろした僕へ、温かな湯気の立つお茶を差し出してリリスが呆れ気味に笑う。


 相変わらず感のいい子だ。用件を伝える前にこちらの意を汲んでくれる。


「ご名答。もちろん、君達に会いたいとは思ってたよ。わざわざ足を運んだ理由の一つさ」


「そ」


 クールに答えるリリス。素っ気ない対応だが、僕は見逃さなかった。視線を逸らす彼女の耳が明らかな朱色に染まっている事を。


 この照れ屋さんめ。必死に隠しても身体は正直なようですよ?


「貴方が帰ってきてるとわかったら、シトリー達が喜ぶわよ」


「そう言えば他の子達は? 不在かい?」


「ちょっとした情報収集に出てるわ。多分、貴方の欲しがる情報のはずよ」


「手の早い事で……」


 僕がアルテミスの行方不明を聞いたのは今朝のこと。国外に住む彼女達が僕より先に情報を仕入れられるとは思えない。何となく、そうなるとわかっていたのか? もしくは、僕の知らないところで他のメンバーが王都に出入りしてる?


「……」


 まあどっちでもいいか。魔力操作の訓練さえサボっていないのなら、僕から彼女達を縛るような事は言いたくない。自由を尊重しよう。


「? どうかしたの?」


「なんでも。それより、みんなにお土産があるんだ。今はリリスしかいないようだし、先に渡しておくよ」


「あら、素敵じゃない。貴方にも思いやりの心はあったようね」


「リリスのお土産はその辺の雑草かな。森の特産品だよ」


「殴るわよ」


「冗談だって」


 おー怖い怖い。


 言動と行動がまんまアルテミスだ。実際には手を出さないため、彼女よりも幾分か優しい。


「本当のお土産はこっち。はい、シトリーと同じ王都の人気茶葉。リリス、紅茶をよく飲んでただろ? 口に合うといいけど」


「あ、ありがとう……大切に飲むわ」


 僕から茶葉の入ったビンを受け取り、照れ隠しのリリスはジッと透明の容器を見つめる。


 長い付き合いの僕だからわかる。凄く喜んでくれてるみたいだ。よかった。


「せ、せっかくだし、今飲もうかしら? どう? 貴方も一緒に」


「いいね。お願いしようかな」


「ふふ、任せなさい。とびっきりの一杯を入れてあげる」


 両手で瓶を抱えたリリスが台所へ引っ込む。


 僕はほんの数分、十分ほどの時間をソファの上で自堕落に過ごした。そして、空になったティーカップに新しい液体が注がれ、落ち着いた香りに室内が包まれる。


「僕も始めて飲む紅茶だけど、悪くない香りだ」


「そうね。気に入ったら、定期的に買ってきてもらおうかしら」


「考えとく」


 言って、お互いティーカップを持ち上げニコリと微笑み、


「おかえり、シリウス」


「ただいま、リリス」


 まだ伝えていなかった言葉を交わし、同時に紅茶を口に含んだ。


 食道を通る滑らかな舌触り。鼻腔を通って脳にすら影響を与える不思議な匂いが、ホッと疲れた僕の身体を癒す。


 ちらりとリリスの顔を窺うと、彼女もまたリラックスした様子で二口、三口と続けて紅茶を飲んでいた。



 不意に、遠くから複数の足音が聞こえてくる……。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「まだ……見つからないのですか?」


 薄い桃色の長い髪を揺らして、憂いを帯びた視線を向ける一人の女性。反対側に立つ白銀の甲冑に身を包んだ騎士が短く返す。


「申し訳ございません」


 彼女の名前はリース。五年前に若くして騎士の位を授かった国内有数の剣士。とある人物を支えるために骨を折った稀代の天才の一人だ。


 そして、そんな彼女の前に立つ桃色髪の女性こそが、この世界において知らぬ者など存在しないとさえ称される人類最強の剣士、勇者エリス。


 先代の魔王を討伐し、数々の功績を立てた彼女も、妹一人の所在を気にするただの人だった。元々気弱な性格という事も相まって、アルテミスがいなくなってからはみるみる仕事の効率も落ちた。寝ても覚めても彼女の事が頭から離れない状況だ。


「ご学友の一人、シリウス君から話しを窺った教師曰く、最近はストーカーらしき視線を感じる事があったとか。おそらくは……」


「……」


 リースの言葉にエリスは胸が締め付けられる想いだった。


 自分がこうして平穏を貪る中、未だ非力な彼女が苦しんでいると思うとやるせなさで暴れたくなる。


「そのシリウス君は?」


「私個人の意見では、無実、でしょうね。彼がアルテミス様を誘拐出来る程の実力者には見えません。教師の話しでも、よく模擬戦をしていたらしいですが、戦績は全敗。手加減した状態のアルテミス様にすら及ばないと」


「そう……」


 確かに、客観的に見れば限りなく白だとエリスも思う。だが、妹を想う姉の感情が余計な思考を巡らせてしまう。


「念には念を入れて、シリウス君には数人の騎士を付けなさい。監視と護衛の意味を兼ねて、ね」


「畏まりました。引き続き、国内での捜索に力を入れますが、くれぐれもエリス様はこちらを離れないようお願いします」


「わかっています。私には私のやるべき事があると」


 勇者は多忙だ。


 例え実の妹が誘拐されたとわかっても、仕事は溜まる。今すぐ部屋を飛び出して探しに行きたいが、立場上誰もがそれを許さない。


 歯痒い環境に強く奥歯を噛み締め、それでもエリスは感情を殺して席に座る。


「……?」


 不意にノックの音が響いた。


 首を傾げたエリスが傍に立つリースに開けてくれと目配せをして、ゆっくりと扉が開かれる。立っていたのは、


「お母様……」


 他の誰でもない、エリスとアルテミスの実母だった。


 切れ長の鋭い視線がエリスを貫き、氷の如き冷ややかな声が放たれる。


「自らの役目を全うしていますか?」


「つつがなく」


「それは結構。勇者たる貴方が規律を乱しては有名に傷が付きます。状況は最悪と言わざるおえませんが、辛抱するよう努めなさい」


「……はい。お母様とお父様に迷惑を掛けるような真似は致しません」


 エリスの機嫌は、ここにきて著しく下降した。


 扉を開ける前から何となく察しはついていたが、いざ面と向かって会話をすると吐き気を催す害悪だ。


 アルテミスの実の母親を名乗る癖に、母フレイヤの顔からは一粒の焦燥すら見られない。根本的に彼女がどうなろうと悲しまない無情さが伝わってくる。


 だが、エリスには彼女に育ててもらった恩がある。産んでもらい、様々な援助を受けた過去がある。偉くなったからと言って反抗する気にはなれなかった。素直に頷き、必死に怒りと絶望に耐える。最強の剣士が恥ずかしい話しだ。


「よろしい。然程心配はしておりませんでしたが、杞憂に終わって何よりです。では、私にも仕事があるので失礼するわ」


「わざわざお越しくださりありがとうございました」


「貴方の母親ですからね。これくらいはします」


 そう言って退室する母親を、最後の最後で睨むエリス。


「貴方の……か」


 アルテミスはまるで除け者みたいな扱いだった。


 許せない。許せない許せない許せない。彼女も立派な家族の一人なのに、昔から目をかけるのは姉であるエリスのみ。当の本人は、それをずっと昔から許容出来ていない。


「落ち着いてください、エリス様。今はそれどころではないでしょう?」


 激情に駆られるエリスを、傍まで戻ってきたリースが嗜める。


 僅かに留飲を飲み込んで、深い、深い溜息をつく。


「アルテミス……どうか無事でいて……」


 やれることはない。ただジッと、机に向かって願う事しか、エリスは出来なかった。

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