平穏はあっけなく瓦解しました②

 僕の学院生活が始まって数日。


 暴徒アルテミスの襲撃にひやひやしながら登校していたが、意外にも彼女は忙しいようであまり僕に干渉はしてこなかった。


 本人曰く、「次代の勇者にはやる事が多いのよ」とかなんとか。


 おかげで僕の平穏な日々は保たれていた。次代の勇者の邪魔をする悪しき存在も現れないし、ぶっちゃけこのまま退屈な三年間を過ごすのも悪くないな、と思っていた。


 その矢先に、僕はアルテミスと対面する。


 お互いに木製の木剣を手にし、ジッと相手を見つめる。


 これは実戦を想定した魔力使用ありの訓練だ。授業の一環としては有名なもので、専用の運動場がどの学院にも用意されている。服装も制服ではなく、戦闘に適した動きやすい物を学院側が貸し出していた。


「貴方、見てくれだけは良いわね。似合ってるわよ」


「そりゃあどうも。君もよく似合ってるよ……」


 外見だけはパーフェクトな女だ。同じ銀髪でも愛らしさの残るシトリーとは異なり、彼女のそれは姉リリスの妖艶さを振り撒く。


 僕にとっては慣れたもので、さして興味も湧かないが、周りの生徒達の視線が鬱陶しい。何故だか僕の方にまで熱い視線が群がる。


「他の生徒が気になる?」


「これだけ注目されたらね」


「安心しなさい。誰も貴方が私に勝てるとは思ってないわ。手加減してあげるからちゃんと試合にしてよね」


「大した自信だねぇ」


「次代の勇者だから、よ!」


 言うや早いや、アルテミスは地を蹴って僕に肉薄した。


 上から目線に語るだけあって、全力でもないのに同級生達を置き去りにする見事な魔力操作だ。たゆまぬ本人の努力が透けて見える。


 僕は彼女の魔力に自分の魔力を合わせ、尚且つ三割くらい下回る程度の出力で薙ぎ払われた剣を迎え撃つ。


 カコーン! という小気味よい音が室内に響き、僕達の剣が交差する。


 男女の自力をよく理解していた。接触する瞬間に軌道を斜めに逸らし、彼女は鍔迫り合いを避けた。手加減した状態では部が悪いと、本能が悟ったのだろう。仮に鍔迫り合いに持ち込まれたら負けようかとも思っていたので、僕としては試合が長引く嫌な展開だ。


「ふん。意外と悪くないわね。魔力操作の技術はそこそこかしら」


「お褒めの言葉、感謝感激だよ」


「調子に乗らない事ね。逆に言えばパッとしない証拠よ! まだまだ私の手加減にすら届かない!」


 一拍置いて、再びアルテミスが僕の懐へ入る。


 今度は斬撃ではなく刺突技だ。手数の多さで攻めるらしい。いいチョイスだな。


「はあぁぁ!」


 鬼気迫り表情で、嵐の如き刺突を放つ。


 僕はいくつかの攻撃を紙一重で躱し、残りを木剣でガードしながら耐える。ギリギリのところで彼女の攻撃に掠るという演技も忘れない。身体は魔力で強化されており、手加減したアルテミスの攻撃では傷一つ付かない。痛みは伴うものの、戦闘に差し障る程のものじゃない。相手もそれを理解しているのだろう。一歩、更に僕の懐へ潜り、緩急を付けた強烈な薙ぎ払いを行った。


 早々に焦れたな。しかし僕の目的は時間稼ぎでも勝利でもない。吸い込まれるように迫った木剣に対して、少量の魔力を纏わせた自らの木剣でガード。純粋な魔力の量で勝る彼女の剣が、重い衝撃をもって僕の守りを打ち砕いた。冗談のように後方へ吹っ飛ぶ僕は、空中で一回転したあと、受け身を取りながら無様に転がった。


「勝負あり、ね」


 魔力があるから怪我はしない。が、それにしたって派手な技だ。人間一人を軽く飛ばすなんて。


「強引な剣だね」


 起き上がった僕は、せめてもの皮肉を発する。


「しょうがないじゃない。貴方、守りはそこそこなんだから」


「そこそこ、ね」


「そこそこよ。あのまま刺突だけでも倒せたけど、勝負において長期戦は好ましくないわ。決め手があるならさっさと倒すに限る」


「その意見には僕も賛成かな。飛ばされた本人としては複雑な気持ちだけど」


「なら精進しなさい。私の手加減に追いつけるくらいには、ね」


「……精々頑張るさ」


 目立たないようにね。


 僕の全力の半分の半分の半分の半分の半分ですら、此処では異常だ。全体の一割にも満たない魔力調整に神経を擦り減らすのがどれだけ辛いか。


「……なによ」


「いや別に」


 彼女には分かるまい。本当の力というのは、相手に悟らせない事だと。


「まあいいわ。次行くわよ、シリウス」


「え? 他の人とやりなよ」


「誰が相手でも大して変わらないの。別に貴方でもいいでしょ?」


「嫌だ」


 なんで僕が我が儘勇者候補の話しを聞いてやらねばならない。会話を交わすのだって苦しいのに、またボコられるとかいじめかよ。


「ダーメ」


「無理」


「強制」


「なんで?」


「貴方が一番、気楽に接する事が出来るからよ」


「断る!」


「本気で殴るわよ?」


「仕方ないなぁ! 今日は特別だからね!?」


 僕は弱かった。


 彼女からもたらされる暴力という名の服従に、本性を出せない惨めな無能は屈するほかない。


 嫌々ながらも木剣を構え、同時に魔力を纏う。


「私に勝ったら飲み物を奢ってあげるわよ」


「次代の勇者はけち臭いな。それくらい普通に奢ってくれ」


「なぁに? 本気で打ちのめされたいの?」


「ハハハ、冗談に決まってるだろ。アルテミスさんはお茶目だなぁ」


「ふふふ、そうよねぇ。そうだと思ってたわ」


「よーし! 頑張るぞー!」


 始まる第二戦。


 僕達を見習って他の生徒達も剣を交えていく。


 室内には不思議な熱気が満ちていき、感化されたアルテミスの暴力が僕を襲う。



 たった一度の授業で、その後も僕は五回程ボコボコにされるのだった……。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「最近、ストーカーに遭うの」


 午前の授業が全て終了した昼食時。僕の身体を引き摺って屋上に連行したアルテミスが徐に言った。


「ストーカー?」


 僕は心底どうでもよさそうな顔で復唱。アルテミスに頭部を叩かれる。


「ええ。次代の勇者ともなれば変態に引く手数多ということよ。ほら、私、容姿も整ってるし」


「自分で言うんだ」


「事実でしょう?」


「顔はね。性格は最悪だと思う」


「……」


 ガンッ!


 再び攻撃された。今度でグーで。


「話すを戻すわ。そのストーカーなんだけど、遠くから私を見てるだけで何もしてこないのよ」


「何もしてこないのが一番じゃないの」


「ダメよ。手を出してきたらこっちも手が出せるじゃない。証拠が無い以上、現行犯で捕まえるのが確実でしょ」


「武闘派な勇者らしい台詞だ」


「褒めてもあげられる物はないわよ」


 貶してんだよ気付け馬鹿。


「それに、なんだかストーカーの数が増えてる気もするの。嫌だわ。こんな幼気な美少女を遠くから見つめるなんて」


「幼気?」


「何か言いたい事でもあるのかしら? シリウス?」


「イエナンデモ」


 同級生をガードごと吹き飛ばすゴリラを幼気なんて言わないが、絶対にまた殴られるので黙っておく。


「まったく……。で、ね。私としてはどうにかしてストーカーの彼等に手を出してきてほしいの。何か妙案はない?」


「いや、普通に危険だから止めなよ。それこそ有名なお姉さんに話を通せば解決するんじゃない?」


「嫌よ。あの人にまだお前は未熟だな、とか思われたらどうするの。私は、早くあの人に追いつきたい。子供じゃないんだと認められたいの」


「えー……」


 勝手だなぁ。もうめんどくさいから僕が件のストーカー連中を片っ端からボコって事件? を解決しようかな。どうせ女に飢えた馬鹿と阿保の集団だろ。片手間で終わらせられる。


「取り合えず今は静観してなよ。動きがあったら行動すればいいし」


「この私に後手に回れってこと? 随分と偉そうな意見ね」


 どうしろと? 殺してこいとでも言えば満足なのか?


「どちらにせよ君がストーカーを撃退したところで、世間は納得しないでしょ。証拠が無きゃただの暴行事件だ」


「……そうね。悔しいけど、私もそれを危惧して動けないでいるわ」


「だったらひたすら我慢するしかない。誰の助けもいらないと豪語するなら、それくらいは耐えてみなよ」


「言い方に含みを感じる……けど、まあ頭の片隅に置いとく」


「ついでに、金輪際僕に構わないでくれ」


「それはムリ」


「なんで」


「楽しいから」


 このくそがきぃ。


「ちょっとは参考になったかしらね。たまには貴方も役に立つわ」


「……よかったですね」


 そこでタイミングよくチャイムが鳴り響いた。


「あら、もう時間? 午後の授業に遅れるわ。早く戻りましょう、シリウス」


 不敵な笑みで僕を見下ろすアルテミス。憎たらしい表情だったが、猫を被る彼女同様に僕も平凡を装う身。差し出された白く細い手を、ふざけるなと一蹴出来る度胸も力もなかった……。

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