仮初めの平和の為に④ +
勇者候補の少女アルテミスを攫った悪しき人族の男アイザックスとの闘いが終わり、僕とリリス、シトリーの三人は証拠を残さないよう注意しながら隠れ家へと帰った。
囚われのお姫様ことアルテミスの拘束は解いておいた。部屋に侵入するにあたり彼女を気絶させたが、目を覚ましたら勝手に自宅へ戻るだろう。野垂れ死んでも僕のせいじゃない。
「魔王様、温かいお茶を入れました」
「ありがとう、シトリー」
そんなこんなで、僕達はいつも通りの日々を送る。
アイザックスとか言うよくわからない男にボコられて傷心していた二人もすっかり元気を取り戻し、僕による僕のための訓練を再開。以前より、遥かに高い熱意を持って取り組んでいた。
「こちらはお菓子になります。わ、私の……手作り、です」
「へぇ、美味しそうなクッキーだね。シトリーは料理上手だ」
彼女が持ってきた皿の上のクッキーを一個摘まむ。うん。形も匂いも既製品と何ら差はない。ひょいっと一口で噛み砕く。
「おお! 美味いよシトリー」
「! そ、それはよかったです! えへへ」
「普通の料理も十分な腕前だし、そろそろ料理当番はシトリーに代わってもらおうかな?」
「魔王様の腕には到底及びませんよ! 所詮、私の作る物は平凡の域を出ませんから!」
えぇ? そんな自虐するの? 僕の料理なんて人族の美味しい食べ物が食べたい、っていう願望の現れで、大した事ないよ。
「謙遜しなくていいよ。僕が食べたいんだ。リリスも君の料理なら喜んでくれるだろうし」
「ま、魔王様……!」
デレデレとシトリーがお盆を抱えたまま笑う。だらしない笑みだ。料理の腕を褒められるのがそんなに嬉しかったのかな。
まあ、気持ちは少し僕もわかるけど。
「で、では僭越ながら今後の料理当番を、わたくしシトリーが! 務めさせていただきます!」
「うん、よろしく。リリスには君から伝えておいてね」
「了解です!」
ビシリ! と見事な敬礼をするシトリー。
成長するにつれて面白くなっていくね君は。
「邪魔するわよ……って、何してるの? シトリー」
ちょうどいいタイミングでノック音と共にリリスが部屋に入ってきた。敬礼状態で微動だにしないシトリーを見て、怪訝な眼差しを向ける。
「聞いてくださいお姉様! 先程、魔王様から今後の料理当番に任命されました!」
「え? シリウスはもう作らないの?」
なんでちょっと悲しそうな顔するの? 君の大好きな妹が料理を作るようになるんだよ? 嬉しくないの?
「これも自立への第一歩さ」
「随分と急な話しね」
「いつまでも僕が一緒にいるとは限らない。こういう時に経験を積ませておかないといざという時に困るのは君達だ」
「ッ! そ、そんなこと……言わないでよ」
「???」
どうしたんだ? 二人揃って微妙な表情を浮かべている。リリスにいたっては怒っているような雰囲気だ。
何か地雷を踏むような事を言ったか?
……もしかしてリリスは料理が下手くそで、それを遠回しに指摘されたと思ってる?
「別にリリスの事を悪く言った訳じゃない。気に障ったなら謝るよ」
「……わかってるわ。そういう日が来ることも。だけど、私は絶対に諦めない。逃げられると思わない事ね」
「???」
あれ? 話が噛み合って……る?
「わ、私もです! お姉様と一緒に、絶対に諦めません!」
いや君は料理出来るでしょ。
やっぱ何かが食い違っているようだ。面倒だから訂正はしないが、二人とも一体何を気にしていたんだか……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
初めは怖かった。
姉であるリリスが突然連れて来た謎の魔王様。
黒衣のロングコートに威圧的な魔力を感じて、しばらくの間は距離を掴み損ねた。ちらちらと横目でシリウスと名付けられた少年を見つめる度に、不安と緊張がシトリーの胸中に宿る。
「まだ緊張してるの?」
一人、自室で本を読んでいると、耳にタコが出来るほど聞いた言葉をリリスが言った。
開いた扉の方へ視線を流しながら、億劫なシトリーは控えめに返す。
「だって……まだ怖い……」
「冒険者から私を救ってくれた恩人よ。心配しなくても襲い掛かってこないわよ」
「で、でも……」
シトリーだってわかっている。
彼、シリウスが温厚な性格をしているという事は。
同居するようになってから一度もロクに会話を出来ていないが、怒ったりも注意したりも何かを願う素振りすら見せない。ただジッとシトリーと目を合わせ、時に笑い、時に逸らして終わる。
姉リリスがお願いした魔力操作の訓練中も、適切な距離を保ちながら教えてくれていた。程よく気軽なペース。それを心地よいと思い始めたのは、シトリーも段々と気を許している証拠。あと一つでも何か出来事さえあれば、二人の間の溝は一気に埋まると思われた。
「私もあまり貴方に強く言えないわ。急に知らない魔族が家族同然で家に住み込むものね。最悪、彼に頼んで新しい家でも建てようかしら? 私とシリウスの」
「え……」
シトリーは困った。
シリウスと二人にされるのはもちろん、シリウスとリリスが二人っきりになる事も非常に困る。というより、一人にされる事が耐えられない。寂しく夜を過ごす事がまだ幼いシトリーには無理だった。
毎日のようにリリスと同じ布団で横になるからこそ、両親亡き今、ぐっすりと熟睡出来るのだ。
「だ、ダメだよ! 私……お姉様がいないと……!」
「ふふ、冗談よ。貴方を一人になんてしないわ」
優しい笑みを浮かべてリリスが頭を撫でてくれる。それが心地よくて、本を閉じて彼女の体に擦り寄る。温かい人肌と一定の鼓動がシトリーの精神を落ち着かせた。
「けど、けどね? シトリー。貴方に私が必要なのと同じように、私達には彼の力が必要なの。シリウスが望む未来。願う夢は、私達にとってかけがえのないモノになる。それに……その無謀とも言える願いを、私も叶えたいと思った。彼の隣で」
「お姉様……」
シトリーは知っている。
姉リリスがシリウスを語る時の目は、感情は、とても暖かいモノだと。尊敬。恋慕。親愛。友愛。情景。様々な感情が合わさって、まるで物語に登場するヒロインのようだった。どうやって姉がシリウスに助けられたのか。夜な夜な寝る前に語り出すものだからすっかり覚えてしまった。加えて、ちょっぴり羨ましいと思ったのは秘密だ。
「無理に仲良くしろとは言わないわ。ほどほどな距離感で結構よ。いつか、貴方も彼の偉大さを知ることになるのだから」
その時のシトリーは、彼女が何を言っているのか理解出来なかった。我慢しろという事はわかったが、首を傾げるだけで頷く事も反論する事も出来ず、微笑んだリリスの笑みを最後に微睡へ落ちる。
シトリーとシリウスとの距離が明確に縮まったのは、それから数日後の夕方。
珍しい動物やら昆虫を見かけたシトリーが、本を片手に森へ入って行った事から事件は始まった。
気付いた時には周りの景色が見慣れぬモノへと変化しており、周囲から聴こえてくる魔物の唸り声にシトリーは恐怖で心がかき乱された。
一度不安を抱くとシトリーは脆い。本を抱えたままぶつぶつとリリスの名前を呟きながらその場で蹲った。すぐに大好きな姉が助けにきてくれるはずだと信じて。
だが、一時間、二時間と時間が経過しても彼女の周りに変化は訪れない。ただただむせび泣く少女の声が森の中に小さく響くだけ。
「リリスお姉様……た、たすけ……助けて……」
誰も彼女に手を差し伸べない。それどころか、
「……ひっ!?」
シトリーの前方から、巨大な猪のような魔物が現れる。赤く充血した悍ましい瞳で彼女を睨み、鼻息歩くこちらまで近づいてきた。
こうなればシトリーの脳裏はパニックに陥る。死と言う概念のみが全てを浸蝕し埋め尽くす。
嫌だ! 死にたくない! 誰でもいいから助けて!
そう、無様に願うくらいには余裕を失っていた。
「やだ……やだ、やだ……やだやだやだやだ!!」
喚く。
辺りに落ちてる石や木の枝を拾い、徐々に近づく魔物の顔に向かって投げる。ダメージは期待できない。魔力を纏わせた腕力ならともかく、今のシトリーは魔力の操作に慣れない平凡な子供だ。剣を放ったところで無意味だろう。
双眸から驚く程の涙を零し、金切り声にも似た絶叫を吐き捨てながら、シトリーは必死に生にしがみ付いた。
生きたい。姉様の元へ帰りたい。まだ何もしてないし出来ていないのに、死にたくない! と。
しかし、現実はいつも無情だ。シトリーの大好きな物語のようにはいかない。
迫りくる猪の魔物が速度を上げ、彼女に確実な死を届ける。
速かった。戦闘経験も無い、魔力もロクに操れない、パニックに陥っているシトリーでは到底躱せるはずもない一撃。
それを、彼女の背後から突き出された一本の剣が刺し止める。脳天を、頭蓋骨ごと貫き対象を一瞬で絶命させた。
震えるシトリーが反射的に背後へ顔だけ振り返ると、そこに立っていたのは見知らぬ人物……ではなく、姉リリスが敬愛する最強の魔族、魔王シリウスだった。
彼は魔物の頭部から剣を引き抜くと、付着した血液を払い、何事もなかったかのような顔で言った。
「遅くなってごめんね、シトリー。怪我はしてない?」
「……」
返事が出来なかった。
夕陽を背景に怪しく照らされたシリウスの整った容姿が、状況と合わさって酷く彼女の心を乱したから。
ドクドクと早鐘を打つ心臓がうるさい。
「シトリー? 大丈夫? おーい」
「あ……! は、はい! だ、大丈夫……です」
紅潮した頬を両手で抑え、もじもじしながら答えるシトリーにシリウスは怪訝な顔を向ける。やっぱりどこか怪我でもしたのかな? と思うシリウスの心境を、本人そっちのけで妄想に浸るシトリーは察する事が出来ない。
一目惚れなんて安い感情じゃない。
シトリーは理解したのだ。姉リリスが言っていた意味を。
今までなんとなくで聞いていた彼の理想。夢。願いが脳裏に浮かび、先程の本気で自分を心配していた表情と組み合わさる。
魔物が倒されて余裕が持てた今だから気付けた。
彼も、彼の方も自分に寄り添おうとしていた事に。家中で何度もシトリーを見ていたのは彼女の内心を案じて。誰よりも速く助けにきてくれた今回も、ほんのりと額にかいた汗が全力の捜索をしたと伝えてくれた。
「大丈夫そうなら帰ろうか」
「は、はい! 心配をお掛けしました! 魔王様!」
距離はまだ遠いけれど、確実に、着実に、その後の彼等は絆を深めていく。
いつしか彼の隣に堂々と立てるようになるまで……。
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