仮初めの平和の為に③
剣を打ち込む。
上から。横から。下から。上下左右様々な角度からおよそ必殺の一撃と思われる斬撃を振るっても、目の前の少年はそれを軽々といなして見せた。刀身から伝わる衝撃が、アイザックスの魔力が、巧みに紙一重で逸らされる。
何故だ。何故、こちらの剣だけが届かない? 何故、こちらの剣だけが弾かれる? 一体少年との間にどれだけの技量の差があるのか、目まぐるしく切り替わる視点の中でアイザックスは自問自答した。
答えは返ってこない。否、飛び散る自らの鮮血がわかりやすいくらい明白に、力の差を教えていた。
少年は強い。
先程、相まみえた二人の少女達も素晴らしい魔力の素質を持っていたが、少年の才能は彼女等とは異なる。
圧倒的。絶対的とも言える魔力量に、それを緻密に操れる能力はアイザックスに今まで感じた事もない次元の恐怖、焦りを抱かせていた。
恐ろしい。目の前の少年がただただ恐ろしい。
背丈は自分よりも遥かに小さい子供だ。接近して畳み掛ければすぐに終わると思っていた。なのに、実際は違う。
「そんなもん?」
「くっ!」
大人と子供なのはどっちだ。
がむしゃらに剣を振るうアイザックス。
少年は涼しい顔でそれを躱し、最低限の動作でアイザックスの身体を細かく刻む。
痛みはほとんどなかった。
それ故に、勝てないとわかる。
一般人がどれだけ本気で、必死で手を伸ばしても武術の達人には勝てないのと同じ。アイザックスの全力では少年の本気を引き出す事すら出来ない。
児戯だ。遊びだ。些細な問題だ。
少年にとってアイザックスの全てが、片手で笑える程度のレベルでしかない。あくまで近くに控える二人の少女に何かを教える為の教科書として、まだ生かされていた。向こうも決め手に欠けると考えれば幾ばくかの余裕も湧き出てくるが、一太刀すら浴びせられないアイザックスの心境に、そんな甘い考えはなかった。
「どうやって……それほどの強さを……」
「才能の違いだね。努力を惜しむのは結構だが、僕と比較して得られるものはそれしかないよ」
「ほざけ」
アイザックスにはわかる。少年の隠している努力の跡が。
才能? それも一つの結論だろう。魔力量だけは鍛えようがない。
しかし、自力は違う。身体能力が魔力で補える現代において、剣術の腕は馬鹿に出来ない結果を生む。
そして、少年の剣にはアイザックスが嫉妬する程の時間が凝縮されていた。幼い頃からお前は優れていると褒め称えられ、遊びに恋愛とロクに努力もしなかった自分とは違う、明らかな血の軌跡が見える。
「ククク……! 私では勝てない訳だ……」
鍔迫り合い。互いの身体を同時に吹き飛ばし、嵐のような剣戟は一度止む。
「お前は強いな。私よりも、あらゆる要素が」
認める他ない。
あと十年の修業を続けても尚、アイザックスは少年の足元にすら及ばないと、自覚する。
「なに? 諦めたの?」
「ああ。私の力ではお前に届かない。あと何時間剣を交えたところで結果はわかりきっている」
「つまんないの。もう心が折れたのか」
少年の纏っていた魔力の圧が霧散する。まるで決着はついたと言わんばかりに。
「じゃあ君の事を聞かせてもらおうか。何故勇者を攫ったのか。どうするつもりだったのか。死ぬまでには話してね?」
無防備に、躊躇なく少年はアイザックスの方へ歩み寄る。剣は手にしたままだ。おかしな動きをしたら即座に斬ると、彼の瞳が語っている。
だが、少年は一つだけ思い違いをしていた。
アイザックスが諦めた? 否だ。一言も……降参するとは言ってない。
「う、おおおおぉぉぉぉ!!」
「!?」
シリウスがアイザックスの間合いに入る、直前。男は高らかに吠えた。
全身を覆う魔力の渦がどんどん勢いを増していく。
「こ、これは……!?」
シリウスの後ろに居たシトリーは戦慄する。
自分達を圧倒した魔力量だけでも人間にしてみれば十分に多かった。更に底上げを図ろうとするアイザックスのそれは……文字通り狂気の行い。
「許容量を超えた魔力の放出……か」
シリウスがシトリーの内心を代弁する。
魔力暴走。
本人が操作しきれない量の魔力を無理やり練り上げた状態の事。この状態に陥ると内側に溢れる魔力の影響で肉体が蝕まれ、自壊するまで魔力の放出を止められなくなる。なまじ膨大な魔力量を誇る者にしか訪れない魔術の闇だ。逃げ延びる手はない。
「自滅するつもり?」
「いいや。私は勝つつもりだよ。命を懸けて、何もかもを賭して貴様を殺す!」
迸る魔力の奔流。
渦を超え、竜巻の如く周囲を呑み込む。ピリピリとした覚悟がシリウスの肌にも伝わってきた。
「……面白いね。撤回するよ、さっきの言葉。自分の非力さを呪い、それでも牙を剥いた君は……最高だ!」
「嬉しくない言葉だな……しかし、受け取っておこう」
生きようとした男は、勝つために命を捨て去る覚悟を決めた。もはやチグハグな心境に笑うしかない。これで少年に勝っても待ち受ける運命は死。
「ハハッ……未来は変わらない、か」
勇者を攫っておいて、まったく関係ない所で死ぬあたり、自分の業は深い事を悟る。
剣を構え、魔力を少しずつ練り始めた少年を見つめた。
「私は、自らの保身のために勇者を捕えた」
「……?」
アイザックスは語る。もはや隠す意味は無かった。
「魔族との取引だ。奴等は、勇者を殺せば人族には手を出さないと言った。保障はないが、実行犯の私くらいは助けてくれるかもしれないだろ? 故に、私は魔族の提案に乗った」
「妹の方を攫った理由は?」
「あれは勇者である姉を誘う為の餌だ。それ以上の価値は無い」
「ふーん」
「お前達はどうなんだ? 純粋な善意でアルテミスを救いに来たのか?」
「いや? 善意100パーセントではないね」
だろうな、とアイザックスは心の中で呟いた。
勇者を超える才能の持ち主が、人族のためにまだ勇者ですらないアルテミスを助けるメリットはない。何なら彼等が魔王と戦った方が効率がいいくらいだろう。
「あえて言うなら……そうだね。平和のため、かな」
「平和……だと?」
酷く抽象的な言葉だった。
それが種族全体を指すのか、人族のみの平和を指すのか、アイザックスには図りかねる。
「恒久的な自由には、勇者の名が必要だ。僕のために、僕達のためにも彼女には死んでもらっては困る」
「人族の思惑か?」
「違う。僕は僕だ。種族なんて関係ない」
「貴様は……一体何を成そうと……」
「これから死にゆく君に語る必要が?」
「……なるほど」
アイザックスは口を閉ざす。
準備を終えた少年と睨み合い、残り少ない時間が刹那の応酬を求める。
「さあ、始めよう。ごちゃごちゃと御託は聞き飽きた。諦めるつもりがないのなら、口より手を動かそう」
言って、シリウスが走る。
瞬きの合間にアイザックスの懐へ肉薄し、剣を薙ぐ。振り下ろしたアイザックスの剣とぶつかり、弾け合った魔力が暴風となって二人以外の少女を吹き飛ばす。
勝ったのは……シリウスだった。
「ぐ、うぅぅ!?」
斬り払われ、僅かに後退するアイザックス。
追撃に出たシリウスの魔力は、暴走したアイザックスの更に上をいっていた。
「死ぬ気で守ってね?」
二撃目。
斜め上から振り下ろされた理不尽なまでの魔力が、咄嗟に刀身へ魔力を収束させたアイザックスの剣と交差し、彼の守りごと肉体を……断ち切った。
折れる刀身。噴き出す鮮血。
「ガ、ハッ!?」
致命傷だった。心臓付近を深く抉られ、治癒魔法でも癒せない。そもそも肉体的限界を迎えるアイザックスに、延命の方法はなかった。
「と、遠いな……貴様の……底は、暗すぎる……」
まるで伺い知れない。かつて遠目で見た現勇者が赤子にすら見えるくらいに。
「おじさんも頑張ったよ。全力の一割くらいを出せたのは、随分と久しぶりだから」
「ハハハッ……! ほざけ、ばけ……もの……」
アイザックスは絶命する。
不思議と彼の表情が晴れ晴れとしたものに見えたのは、死んだ事で様々な憂いから解放されたおかげか。死体を見下ろすシリウスには知る由もなかった。
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