仮初めの平和の為に②
カチリ、という音を立てて施錠された扉の鍵が外れる。ドアノブをゆっくりと回して扉を押すと、薄暗い室内に怪しい女性が一人、周囲を頻りに見渡しながら侵入する。
自分の姿が誰の目にも留まっていない事に安堵の息を漏らして、金髪の美少女は小さな声で呟く。
「まずは侵入、成功かしらね」
彼女の名前はリリス。
魔王シリウスの部下にして最初の仲間。
近隣の街で聞いた勇者の誘拐を調査する内に、犯人と思わしき男が入っていった施設に目星を付け、今、こうして潜入を試みた。
未だ10歳の子供には慣れない行為だった。卓越した魔力操作能力を持つシリウスならいざ知らず、鍛錬を始めたばかりの拙いリリスでは建物の内部に潜む人間の魔力を相手にバレないよう感知する事は出来ない。自然と息を殺して忍び込むしか方法がなかったのだ。
既に魔法で作った簡易的な伝書鳩は妹のシトリーに向けて飛ばした。然程時間も掛からずに現地へ到着するだろう。彼女の役目は、二人がくるまでにあらかた施設の調査を終わらせる事。
全ては、効率を重視するシリウスのために。
「さて……まずは何から調べるべきか……」
相手の目的。勇者の居場所。犯人の確実な特定。背後関係の特定。人族側の状況。
一人では到底頭も体も足りない情報量だ。
一先ず優先するのはリリスがバレない程度の些細なものから。面倒な項目はシトリーやシリウスがきてからで問題ないだろう。
そう思って一歩歩き出した時、不意に前方から視線を感じて止まる。
「おや? 魔力を感知出来なかったが……なるほど。感がいいのか」
声がした。目を凝らさないとわからない程に暗い廊下の奥に誰かが居る。
「だれ……?」
腰に下げた鞘から剣を引き抜き、リリスは構える。
問いを投げたのはただの時間稼ぎだ。相手が誰かなど声が聞こえた時点でわかる。
「君が探していた人物だよ。いやはや、私をつけていたのかな?」
「アイザックス……」
リリスは忌々しい声で言った。
「正解だ。若いのに素晴らしい情報網をお持ちで」
「子供の気配も察知出来ない無能と聞いていたけど? 随分と落ち着いているのね」
「ククク! 確かに君の気配を断つ技術は感嘆に値する。あと数年も経てばかなりの使い手になるだろう」
「あら、ありがとう」
「だが! 甘いぞ女! 無理をして私の秘密の施設に侵入したのが運の尽き。ここで邪魔な芽は摘ませてもらう!」
男も鞘から剣を抜く。
途端、リリスがこれまで感じた事のない威圧感が体に纏わり付いた。
凄まじい魔力だ。まず間違いなく自分より上だと理解する。
「悪いが、私は女性相手にも容赦はしない。殺されても恨まないでくれよ?」
「男女平等なんて素敵……ね!」
リリスが先手を取って駆けた。己の肉体に魔力を漫勉なく流して、身体能力を強化する。砲弾のような突進が壁を伝い、遠く離れた男の元まで一瞬で辿り着く。
「チッ!」
魔力操作のレベルは大した事がないと高を括っていたアイザックスは、目を見張る動きをみせたリリスに舌打ち。斜め左上から放たれた斬撃を自身の剣で受け止める。
衝撃が大気を揺らし、刀身から伝わってくる振動が二人の身体を刺激した。
「この魔力……勇者以上……か!?」
瞬間的な出力が馬鹿げてる。まだアイザックスの方が操れる魔力量が多い分、腕力で押し負ける事は無いが、別室で拘束してるアルテミスを遥かに超えていた。
嫉妬を抱く程の才能。人智の極致。どす黒い感情が胸中を渦巻き、激情のままにアイザックスは吠えた。
「おおおおぉぉぉぉぉ!!」
「くっ!?」
更にアイザックスの魔力が跳ね上がる。
身体強化の魔法があっけなくリリスとの均衡を崩し、耐えられなくなった彼女は思い切り後方へと吹き飛ばされた。
咄嗟に体を捻じって勢いを殺す。足腰に力を入れて踏ん張り、数メートル程廊下の床を引き摺って停止した。
「まだだ!」
息つく暇すらない。
リリスが構えるより先に、剣を振り上げたアイザックスが追撃する。
「速いっ!?」
どうにか刀身に魔力を纏わせてアイザックスの斬撃を防いでいくが、打ち合う度に僅かにリリスの方が押されていった。
このままでは長くもたない。逃亡も視野に入れて後ろへ飛ぼうとしたリリスだが、そんな彼女の視界に見慣れた銀閃が走る。
「新手か!」
背後からの完全な奇襲。
リリスより早く二人目の侵入者に気付いていたアイザックスは、前方の剣戟を弾きながら見事な動作で躱してみせる。
乱入者、銀髪の美少女シトリーが衝撃を受ける。
「タイミングは完璧だったのに!?」
「殺気が隠せていないぞ! 魔力は抑えられてもそれではバレバレだ!」
前方、後方から同時に襲い掛かる鋭い刃を、自らの圧倒的な魔力で強引に一蹴。剣を通り抜けて本体にまで届いた衝撃に少女二人は思わず、握っていた武器を手放してしまう。
「これで終わりか? 才能はあっても経験が足りないな。お前達には技が無い」
勝ち誇った顔で喉を震わせるアイザックス。
地べたに転がる二人の少女を見下ろし、どちらから先に殺してやろうかと考える。
「望みがあるなら先に言い給えよ? 最期くらいは優しく殺してやる」
緊張感は解かない。
揃って彼女達の目に闘志が宿っている内は、油断などしない。ジリジリと慎重に金髪少女との距離を詰める。
「まだ……まだ負けていない……!」
リリスは剣が無くても諦めない。
手元に魔力を集めて自らの肉体を武器に変える。直撃すれば優れた防御能力を誇るアイザックスでも無傷ではいられないだろう。
「やめておけ。無駄に苦しむ事になるぞ」
「貴方に勝てるなら、それも悪くないわ」
「お姉様に……手は出させない!」
後方ではもう一人の少女シトリーがリリスの真似をして、自らの腕に魔力を練っていた。
「……しょうがない。手元が狂うかもしれないが、一息に首を刎ねるぞ!」
アイザックスが構え、リリスとシトリーが同時に床を蹴った。
「シトリー! 急所を狙いなさい!」
「はい! お姉様!」
「これで……終わりだあぁぁ!!」
三者三様。
それぞれが異なる刃を手に、魔力の奔流が交差する。
だが、一色のみ、異なる黒が交わった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……貴様……何者だ」
ギリギリと金属同士が擦れ合う音が響き、僕の頭上から声が落ちる。
見上げた先には見慣れぬ男性の顔があった。
「それはこっちの台詞なんだけど。誰、おじさん」
僕はリリスとシトリーが殺されそうになっていたから、扉を開けた瞬間にパッと飛び出した。おじさんの魔力に合わせて力を調整するのは簡単だったが、正直、状況がよくわかっていない。
「ハッ! 白々しいガキめ! 勇者を取り返しに来たのだろう!?」
「ああ。そうそれ。勇者が何処にいるのか……知ってる?」
「私が貴様等に素直に教えるとでも?」
鍔迫り合う男の剣に更に力が加わる。魔力を限界まで練っていた。
「さあね。教えてくれるなら聞くし、教えてくれないならここで倒す。どうせ隈なく探せばその内見つかるでしょ」
「……クッ! こいつ……なんという魔力を……」
全力で魔力を注ぎ続ける男は、段々と表情が険しくなってくる。片や僕は余裕で受け止め、欠伸をする暇すらあった。
「し、シリウス様……我々が不甲斐ないばかりに……! 申し訳ございません!」
そこへ、男の後方からシトリーの声が掛かる。視線だけを向けると、這い蹲った姿勢のまま悔しそうに顔を歪めていた。
ちらりと僕の後ろにいるリリスも見る。彼女もシトリー同様、自らの無力さに打ちひしがれていた。
ダメだよ。戦闘中に油断しちゃ。君達はまだまだ強くなれるのだから、しっかりと僕の戦闘を脳裏に焼き付けないと。
「反省はあとだ、二人共。顔を上げて僕を見ろ。この戦いを次の糧にするんだ」
「シリウス様……」
「シリウス……」
同時に顔を上げた二人の姉妹。
順番に微笑みかければ、リリスもシトリーも前を向き直す。それでいい。過去ばかりを振り返る者は強くなれないよ。欠点もミスも次に活かせる心があってこそ成長は生まれる。僕は生憎と出自に恵まれたが、努力を怠った事はない。
最終的に頼れるのは自分の力だと知れ。他人に甘える軟弱者にはなるな。強くあろうとする精神が最も生物を強者たらしめる。
「よもや、この私に勝つつもりか? お前らのようなガキが!」
「当然。その程度の魔力で勝てると思ってるなら、君には才能ないよ」
ほんの少しだけ、刀身に流した魔力の量を上げる。それだけで均衡は崩れ、ミリ単位で男の剣が押し戻されていく。
「なっ……!? まだ……底が見えない、だと!?」
「ほらほら、頑張ってよ。何も出来ずに死んだら、二人のためにならないでしょ?」
「ぐっ! こ、このっ!!」
身体全体に巡らせていた魔力すら、足と腕に収束させ、男の腕力が劇的に上昇する。
うん、悪くない。持てる手札を使い切ってでも勝とうとする泥臭さは見ていて嫌いじゃない。生にしがみ付く人間らしい足掻きだ。
しかし、それでも男の実力は、才能は、魔族の僕にとって塵に等しい。噂で聞いた勇者の偶像にすら遠く及ばない。
「お! おおおおおぉぉぉぉ!!」
吠える。気合を入れて、一撃に全ての力を込めている。
だが、尚もぶつかり合う剣に変化は見られない。相手が力を増やす度に、その魔力量を読み取った僕が合わせて自らの魔力を増やす。完全なる鼬ごっこだった。これでは永遠に勝負はつかない。いい加減諦めて、剣士らしい技と技の応酬をしようよ。
「はぁ」
飽きた。
僕は男の剣を、力の流れを変えて滑らせる。衝撃を横に逸らし、ついでと言わんばかりに前へ二歩前進すると、勢い余って転びかけた男と立ち位置が逆になった。
「さあ仕切り直しだ。今度こそ楽しませてくれよ?」
「凄い……私達が二人掛かりでも相手にならなかったアイザックスを……たった一人で圧倒してる……」
「流石です……シリウス様!」
外野からありがとう二人共。おかげで雰囲気が盛り上がってきた。ニヤリと口角を引き上げて、刀身の切っ先を相手に向ける。誰の目から見てもわかりやすい挑発だ。
「調子に……調子に、乗るなあぁ!!」
再び全身に魔力を纏わせ、剣を構えるおじさん。失敗を学び、力技では勝てない事を悟ったらしい。よかった。
「フッ。第二ラウンドといこうか」
本番はここからだ。
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