仮初めの平和の為に①

 半ば強引に僕の仲間? となった金髪美少女リリス。美しい容姿とは裏腹に、僕が魔王だと発覚したあとも態度を崩さない豪胆な人物だ。


 初めこそ互いに気まずい空気感が漂っていたものの、2、3週間も経つ頃にはだいぶ落ち着いた。


 彼女からシリウス、という人族専用の名前も考えてもらい、当初の予定とは違う順調な毎日を過ごし、近隣の村や小さな街などで勇者の動向を詳しく調べる事も出来た。


 実に素晴らしい環境だ。


 両親不在のリリスの隠れ家は無料で使いたい放題。彼女の妹ということでリリスと同じ半魔(ハーフ)の少女シトリーも仲間に加わった。


 不自由ない道のり。障害もなく思いの外あっけなく僕の目的が遂行されるのでは? と調子に乗った矢先に、やはり問題は起こる。


「魔王様、失礼致します」


 控えめなノック音を鳴らして扉を開けたのは、未だ僕を敬い過ぎる銀髪美少女のシトリーだ。居候の僕にも優しい。


「どうしたの?」


「先程、リリス姉様と共に人族の情報収集に向かいましたところ、現勇者の実妹が何者かに攫われたと言う話しを耳にしました」


「勇者の妹が……?」


「王都サンタマリアからやってきた商人の話しです。信憑性は高いでしょう」


「なるほどねぇ」


 思い切りのいい奴もいたもんだ。勇者候補を攫うなんて。


「どう致しますか?」


「攫われた場所に検討は?」


「リリス姉様が現在調査中です」


 流石は聡明なリリス。僕が命ずるまでもなく迅速だ。


「だったらリリスの帰りを待つしかないか。見殺しにも出来ないし」


 勇者候補の彼女には、僕の都合上生きていてもらわないといけない。魔王の死を飾る勇者が一人だけでは役者不足だろう?


 それに肉親が殺されたとあっては勇者も魔王討伐どころの話しじゃなくなる。他に余計な目標を作られたら僕の計画が遠のく。誰だか知らないが、魔王の幸せな未来の前に立ち塞がるのなら容赦はしない。絶対に犯人を探し出して殺そう。どうせ生かしておいても同じ事を繰り返すだけだ。


「お優しい心遣い、流石は魔王様! リリスお姉様も私も、魔王様の為に全力を尽くします!」


「程々に頑張ろう。あくまで僕達の理想のために」


「はい! もちろんです!」


 キラキラと輝かしい視線を向けてくれるシトリーから目を逸らす。


 リリスもそうだが彼女も大概ヤバイ。敬愛する姉から僕の夢を聞かされて、この人はなんていい魔王様なんだろう! と疑いすらせずに心酔。何も言ってないのに逐一褒め称えられる。


 なんだろう? 僕は神様か何かなの? ただの魔王だよ?


 確かに隠れ家を見つけてリリスやシトリーを捕えようとした悪い冒険者? は皆殺しにした。力の使い方を知らない彼女達に魔法の基礎を教え導いた。


 でもさ? でもだよ? それにしたって警戒心が無さ過ぎると思う。僕が空は赤いのだと言えば二人ともそれを信じる。一種の信仰に近い。


 これで本当は自分のエゴのために頑張ってる事がバレたら……どうなる? 怒り狂って失望した彼女達に殺されるのではないか? 二人がかりでも僕の足元にすら及ばないが、才能はピカイチだ。魔族特有の膨大な魔力も持っているし、数百年、数千年も経てば砂粒程の可能性で僕を超えるかもしれない。


 そうなったら非常に厄介だ。


「では魔王様。私はお茶を入れてきますね」


「ありがとうシトリー」


 一礼のあと部屋を出て行くシトリーを見送って、僕は深い深い溜息を漏らす。


 本当にどうしようかな……。


 いっそ何も語らず姿を消せば許してくれるとか?


「……ないな」


 僕を正義の味方と誤解してる連中だ。急に姿を消したら絶対に探す。そして見つかった僕は追い詰められる。何故自分達の前から消えたのかと。


 そうなったらもう最悪だ。言い訳してもロクに聞いてくれまい。成長した彼女等と肉体言語で会話。周りに正体がバレて勇者が……あばばばばば。


「軽率に適当な事を言った過去の自分が憎い……」


 取り返せない失点だった。一度口元から出た言葉は消えない。ずっと彼女達の中で生き続ける。


 進んだ時を巻き戻す術が無いように、過去の出来事をやり直したり無かったことには出来ない。


 腹を括り、彼女達は彼女達の正義を求め。傍らに僕は僕の正義を求める。薄い壁一枚を隔てた問題だ。全肯定の二人もいずれ気付く時が来るだろう。


 しかし僕は諦めない。勇者に殺されて一人静かに余生を過ごすと決めたのだ! いくら二人が熱狂的な想いを抱いていようが、当の魔王が殺されれば話は変わるはず。大きな目標を見失い、動き出した時代に憂いを帯びながら、ひっそりと姉妹仲良く過ごしてくれ。目標が達成されたなら、多少は僕も陰から見守るからさ。


「魔王様、お茶をお持ちしました」


 再びノックの音が響く。


「入っていいよ」


 此処は僕の家ではないのだが、それはともかく入室の許可を出す。むしろ僕が頭を下げたいくらいのもてなしだ。


「失礼致します。美味しそうなお菓子が売っていたので、そちらもご用意しました」


「わざわざ僕のために? シトリーはほんと優しいね」


 僕なんてただジッと椅子に座る事しかやる事がないのに。


「め、滅相もありません! 魔王様には何度もお世話になっています! こんなことしか出来ずに申し訳ない限りで!」


 いやいや十分だって。これ以上接待のグレードが上がったら居心地が悪すぎる。


「御礼くらいは言わせてよ。ありがとうシトリー。君達がいないと僕はダメかもしれない」


 家事も情報収集も身の回りの世話まで全部してくれるからね。いなくなったら物理的に死ねる。相反した気持ちだな。


「わ、私達こそ魔王様がいなければ何も出来ません。不安と恐怖、寂しさばかりが胸中にあったでしょう」


「そうかな?」


「そうです! 間違いありません!」


 間違いないらしい。


「そっか。なら、僕達は互いに互いを支え合う家族だね」


「か、家族……」


「僕は兄? いやお父さん?」


「ふふ。年齢はリリス姉様と一緒なので、お兄様が正しいかと」


「じゃあ兄で。立派な妹がいて喜ばしい限りだ」


「そ、そんな……立派だなんて……えへへ」


 自分の髪を弄りながらもじもじし出すシトリー。

 どうかそのまま健やかに育ってくれ。願わくば、僕の願いを共有出来る子に……。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 薄汚れた廃屋の牢屋に、項垂れた少女が床に座っていた。


 一人の男性が彼女に近づき、嫌らしい笑みを浮かべて言う。


「気分はどうだね? 勇者の血を継ぐ者よ」


「……私は勇者じゃない。アルテミスって言う名前があるわ」


 キッと柵の外側に立つ男へ、鋭い視線を放つ。


 男は意にも介さず笑った。


「おー、怖い怖い。現勇者様の妹だけあって、迫力を感じるな」


 パチパチとわざとらしい拍手が少女の癇に障る。


「こんな事をして……一体何が目的なの? 今頃姉さんが私を探してるはず。貴方、無事では済まないわよ?」


「私を脅しているのかね? それくらいのリスクは承知の上さ。……いや、君のお姉さんが来なくては困るんだ」


「!? まさか……姉さんが目的!?」


「当然だろう? 勇者たり得る才能を持つからと言って、今の君はまだ子供だ。生かしておいたところで何の意味もなさない」


「姉さんの……暗殺かしら? 貴方の目的は」


「ククク。流石に聡いな。その通り。君を利用して彼女を誘き出し、一網打尽にする予定だよ」


 男の言葉に、今度は少女の方が笑う。


「無理ね。貴方程度の魔力じゃ姉さんは倒せない」


「ふん。生意気なガキだ。……が、正論だな。私では百回挑んだところで一度も勝てないだろうさ」


「だったら……!」


「しかし! そんな事は承知の上で、しっかりと準備はしてきた。言ったろう? 一網打尽にすると」


「……仲間、ね。卑怯者!」


「何とでも言い給え。私の目的は勇者の首だ。自力で勝つ必要など無い」


 少女の手首、足首に繋がれた鎖が激しい音を立てる。次の瞬間にはけたたましい音を鳴らして、アルテミスが牢屋の柵を力いっぱい掌で叩いていた。


「同じ人族の癖に……! 勇者を殺そうとするなんて!」


 恐ろしいまでの剣幕でアルテミスが迫る。だが、自らを縛る鎖のせいでそれ以上は何も出来ない。


「人族は変わる必要があるのだ。殻の中で閉じ籠ってばかりいたら、いずれ我々は魔族の手で滅ぼされる。どうにかしようとするのが罪なのかね?」


「ッ! 貴方……魔族に!?」


「ああ。勇者の首を持参してやろうと思っているよ。好待遇間違いなしだ」


「この……外道が!」


「外道にもなる。破滅へ向かう人類の未来を知ればな」


「どうして!? 先代の魔王は姉さんが倒したはず! 今は人類が魔族に勝っている!」


「お前は魔族を知らない。魔王という存在がどういうものかを知らない。無知とは恥ずべき事だ。どれ程の犠牲を払って勇者が魔王を討てたのか……」


 男はグッと拳を作る。込められた力がギリギリと彼の皮膚を痛め付ける。


「犠牲……ですって?」


「魔王とは魔族の頂点。人間とは比較にならない魔力を誇る最強の生命体だ。そんな相手に完勝出来る程人類は強くない」


「戦争で多くの犠牲者が出た事は私も知ってるわ。でも、そんなのは……!」


「当たり前だ、と? 違う。全然わかっていない。お前も、世間の奴等も! 勇者は確かに魔王に勝った。人類を救うにたる希望となった。だが……彼女が率いていた仲間達は、誰一人として国に帰っては来なかった!」


「……!?」


 男の言葉が何を意味するのか。瞬時にそれを悟ったアルテミスは衝撃を受ける。


 それは、それはあまりにも……。


「気付いたか? ハハハ! そうだ! 誰も! 彼女以外は誰も! 生きて帰れなかった! 魔王一人に、多くの英雄達が殺された! 力を合わせて勝利した先には、勇者しか残らなかったのだ!」


 高らかに、嘆くように叫ぶ。


 今度は男の方が柵を殴り付けた。


「戦争だけじゃない! 魔王一人に数多の犠牲が出たんだぞ!? わかるか!? 奴等と我々との間には、無視出来ない圧倒的な差があるのだ! 根本的に人は魔族に勝てない!」


「そ、それでも……姉さんなら……」


「また魔王に勝てるとでも? なるほど、彼女は強い。次も奇跡的な勝利を納められる可能性は高いだろう。そのために散る多くの命に目を逸らして、な」


「冒涜だわ! 戦士は命と誇り、そして民のために戦うのよ!?」


「ふざけろ。選ばれなかった者は、素直に命を捧げろと?」


「ち、ちがっ! 私はただ……!」


「同じ事だろう? 結局、先の戦いでは勇者しか生き残れなかったのだからな」


 怒りの矛先を納め、男は少女から視線を外した。それ以上視線を交わしていると殺したくなってくるからだ。


「相容れない事はわかっていた。お前も勇者の血族。特別な魔力を授かりし者。下々の意見など最初から入る余地はない」


「私は私よ! 勇者の資格なんて関係ない!」


「笑わせるな。お前がどんな主張をしようと、私には響かない。勇者を殺し、確実な未来を作る。犠牲無き世界を、私は叶えてみせる」


 踵を返す。もはや語るべき事は無かった。


 ドアノブを捻り、男は部屋から退室する。


 去り際に一言だけ「私もお前も、現勇者ですら……呪われたものだな」と言い残して。


 部屋に残されたアルテミスは再び項垂れる。


 姉は間違っていない。正義の象徴だ。いずれ自分自身も彼女と共に肩を並べて戦場を駆けると何の疑いもなく思っていた。


 けれど、今は……。


「姉さん……私は……何が正しいのかわからない。わからなく……なったわ」


 男の言動が全て間違っていると、聞いた上で否定出来る者はいないだろう。


 恐らく、次の魔王と戦えば勇者かアルテミス、もしくはその両方が死ぬ場合も十分にある。加えて勇者よりも魔力に劣る戦士の犠牲など、数えるのも馬鹿らしい。


 例え、勇者となった自分が生き永らえたとして。祖国に帰った彼女が抱くのは、見るのは、本当の意味での勝利なのか。誰もが笑い、微笑む平和なのか。


「私は……」


 納得出来るのか。


 わからない。子供だから。未成熟だから。


 既に経験した事のある姉なら何か確信めいた言葉を聞かせてくれるかもしれないが、薄暗い廃屋の牢屋には、彼女以外には誰もいない。


 答えの無い問いに頭を悩ませ。


 答えのわからない未知に怯え。


「……」


 アルテミスはふと、格子の向こう側を仰いだ。


 どんよりとした鈍色の空は、まるで今のアルテミスの心を映しているようだった。


 吹き荒ぶ不穏な風音を聞きながら、アルテミスは姉の生存を願う。何も出来ない自分の無力さを呪いながら……。

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