第4話  童貞気質

 1



「さーて、今日は金曜だし飲みに行くか」


 午後五時半。上司が一同を見回して言った。


「うぇーい」

「賛成」

「行きまーす」


 やれやれ、また飲み会か。


 ま、俺には関係のないことだ。

 仕事も片付いたし、さっさと帰ろう。鞄に荷物を詰め、そそくさと立ち上がる。


「じゃ、お先です――」


「おい富坂、お前もたまには来い」


「え?」


 上司が俺の机の前まで来て言う。


「おお、富坂も来るのか?」

「珍しい」

「うぇーい」


「えと、いや俺は……」


「これもコミュニケーションだぞ。いつも黙々と頑張ってくれるのはいいが、ちゃんとみんなとコミュニケーション取らないとな」


 そう言って俺の肩をばんばん叩く。


「は、はぁ」


「人間関係をほぐすのも、大事な仕事の一つじゃないか」


 冗談じゃない。


 俺のプライベートの時間を潰す気か?


 仕事だっつうんなら、その時間に給料は支払われるのか?

 普段からろくに残業代も払わないくせして。


「えと、その今日は……」


「へぇ、富坂さんも来るんだぁ」


 部署内の比較的可愛い子が俺のところへ来る。いつもは業務連絡以外で話す機会がない子だ。


「あ、えと」


 黒髪ロングの清楚系で、たまに目が合う時、笑いかけてくれる。


「富坂さんとあんまり絡んだことないから新鮮ですね」


 なんだこの女、やけに嬉しがっているけれど、もしかして俺のことが好きなのか?


「よし、それじゃあ行くか」


 上司が高らかに言う。


「うぇーい」

「うぇーい」

「うぇーい」



 2



「うぇーい」

「うぇーい」

「うぇーい」


 やっぱりやめておけばよかった。


 チェーン居酒屋特有のしつこい味付けにやたら薄いチューハイ。つくしさんの手料理に比べたら、こんなもの豚のエサだ。


「それでさぁ、北〇無双打ってたら隣のやつが――」


「お前この前の娘どうした?」


「すぐヤれた。てかあいつ胸盛りまくっててそこだけ萎えたわ」


 話の内容と言えばパチンコか女か仕事のことしかない。


 なんてくだらない連中だ。


 さっきの可愛い同僚が隣にやってきた。


「富坂さん、飲んでる~?」


「あっ、はい」


 酔いが進んでいるのか、ぽわぽわとした喋り方になっている。


「これなんですか? 赤いけど」


「あっ、ちょっ」


 なんとその子は俺のグラスを手に取り、ぐいっと傾けた。


「レッドアイか~、富坂さん、面白いセンスですね~」


「あっ、ありがとうございます」


 間接キスだったのだが、彼女は全く気にしていないようだった。やっぱり俺のこと気になっているのだろう。


「てか、富坂さん顔真っ赤~、酔いすぎじゃないですか?」


 そう言って、俺の肩をポンポンと叩く。


「あはは」


「富坂さんて家で何してるんですか?」


 俺のプライベートが気になるようだ。


「あっ、えーと、読書とか?」


「へぇ、渋い」


「あはは」


「どんなの読むんですか?」


「あっ、推理小説、とか」


「へぇ、頭いいんだ」


「あっ、いやそんなことないですけど」


 俺はグラスに口を付ける。元々俺のレッドアイなんだから、意識する必要なんかないぜ。


「あ、有栖川ありすがわ有栖ありすとか読みますね」


「へ? なんて? アリアリ?」


「有栖川有栖です。そういう名前の作家がいて」


「あっ、待てよ。どっかで聞いたことある。前、ドラマになってませんでした?」


「ああ、そうですそうです」


「ですよね。あっ、そうだ。うちの彼氏も本とか読むんですけど、推理小説とかも読んでて――」


 え?


「あっ……そうなんですね」


「一緒にいてもじぃっと本ばっか読んでてかまってくれない時があるんですよ」


「あっ、そう」


 なんだよ、彼氏持ちかよ。


 彼氏がいながら、ほかの男にぐいぐい迫るなんてなんて尻軽な女だ。


 というか、何をショックを受けているんだ、俺。


 別に俺はこの子のことが好きだったわけじゃないだろ。俺は日常に女っ気が全くなかったため、ちょっと話をしただけでその女のことが気になる悪癖がある。


 彼女いない歴イコール年齢の俺にわざわざ関わるなんて、もしかして俺のことが好きなんじゃないか、と。


 自分でも自覚しているけれど、この童貞気質はどうにかならないものか。



 3



「うぷ、飲みすぎた」


 ふらふらになりながら、なんとか家にたどり着いた。


「あら、しーくん、今帰りですか?」


 ちょうど廊下でつくしさんと会った。


「あれ? 酔ってる?」


「いや、飲みすぎちゃって……うぅ」


「大丈夫?」


 つくしさんは俺の肩を持ってい部屋の中までついてきてくれた。


「うわぁ」


 頭がぐわんぐわんする。


「はい、お水」


 つくしさんは水を汲んできてくれた。


「ありがとうございます」


 水を流し込み、灼けるような喉を潤す。


「ふう」


 そのまま横になろうとすると、つくしさんは女の子座りをして、膝をぽんぽんと叩く。


「ほぅら、おいで」


「いいんですか?」


 今日のつくしさんはTシャツにデニムの短パンといった夏らしい服装だ。つまり、生足の膝枕である。


 すべすべの肌、むっちりと肉が詰まった太もも。そしてなんだか心が落ち着くような甘い匂い。


 天国だ。


「気分は大丈夫?」


 つくしさんが俺のこめかみ辺りを撫でる。犬にでもなった気分だが、つくしさんの犬なら本望かもしれない、なんて。


「平気です」


 だんだんと睡魔が襲ってきた。


 まだ風呂にも入っていないんだ。寝ちゃダメ……寝ちゃ……



 *



 目が覚めると、俺はベッドの上にいた。


 窓からまぶしい光が差し込む。


 朝か……


 つくしさんはもう帰ったようだ。いや、そりゃ当然か。


「うーん、まだちょっと酔いが残ってるな」


 目の裏の辺りがちょっと痛むような気がする。


 テーブルの上に、書置きがあった。


『起きたらお水をたくさん飲んで、お風呂に入ること。ズボンはしわになっちゃうので脱がせちゃいました。追伸、朝ごはんは冷蔵庫に入ってるよ』


「つくしさん……って、え?」


 俺は今の自分の格好を見て驚愕する。


 ワイシャツにトランクス一枚だ。


 つくしさんにズボンを脱がされたのか……


 つくしさんが俺の下半身に手をかけ、ズボンを……


 その一連の光景を想像し、酔いは一気に醒めた。


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