4.わたしも手を振り返す。ニャーニャー。

 ヒイとセイ。二人に連れられて行った秘密基地。本当にこの星なのか、それ以前に現実なのかすらも怪しい。わたし自身は、夢だと考えている。だって、気付いた時には、ここ、わたしの家の玄関の前に立っていたなんて、おかしいでしょ。スマートフォンで時間を見ると、午後十時ちょうど。いつも帰ってくるのが午後九時三十分くらいだから、寄り道をして、二人に出会って、秘密基地で話した時間がさすがに短すぎる。やっぱり、幻想。


 でも、現実だと信じている自分もいる。だって、このままじゃあたし、歩きながら夢を見る不思議ちゃんになってしまう。十七歳の女子高生が夜の九時に、制服のまま、夢遊病のようにふらふらと歩いていたかと思うと、ゾッとする。


 それに、現実じゃないと、もう二度とあの二人に会えない。……それは、嫌だ。約束したもん。今度こそ遊ぼうって。


 ……とりあえず、家に入ろう。


 明日、もう一度あの場所に行けばわかるから。


 玄関のドアを開けて、家の中に入る。リビングでクーラーをつけているのだろう、汗が引いて行くのが分かる。


 ドアを開ける音で気づいたのか、お母さんが「おかえりなさい」と言うのが聞こえた。いつもこの時間には帰っているはずのお父さんからの声はない。足元を見ると、会社に行く時は履いている黒い革靴がきちんと揃えられているので、帰ってはいるのだが。まあ、これが普通。


「ただいま」


 お母さんのいるリビングに入り言う。お父さんはいない。どうせまた、自分の部屋にでもこもっているのだろう。


「今日は遅かったのね、どうかしたの?」


 テレビを見ていた体をこちらに向け尋ねる。


「ちょっと……」


 続けてわたしが、寄り道していたことを言った。ヒイとセイの部分は、夢だと笑われるのも嫌なので省く。


「ふーん」


 興味無さそうに言いながら、お母さんは体をテレビの方へ向け直す。


「あなたは女の子なんだから、心配なのよ。もっと危機感持ちなさいね」


 こちらに背を向けながら、独り言のように母は呟く。


 それは本当に思ってるの? それとも形式上? ねえ、お母さん。


 思うだけで、口にはしなかった。


 夕食は塾の前に簡単に済ましたので、お風呂に行き、シャワーだけ浴びて、自分の部屋に向かう。


 途中、部屋から出てきた父と遭遇してしまった。


 上は白のTシャツ、下は灰色のジャージと言うラフな格好。それでも、その目は、その表情は、その姿勢は、いつも威圧的で、いつ頃からだったか、わたしはお父さんに見つめられるのが、すごく苦手だった。


「今夜は……」


 顔を合わせないように俯きながら、横を通り過ぎようとするわたしの耳に、お父さんの口から微(かす)かに発せられた音が聞こえた。その声は私の知っている他の誰よりも低く、わたしは縮こまってしまう。


「いつもより遅かったようだな。母さんが心配していたぞ」


 何の感情も乗せずに発せられる言葉。じゃあ、お父さん、あなたは心配していなかったのですね? なんて、わざわざ丁寧な口調で言えるはずもなくただ黙っていた。


「……子供は自由で良いなあ」


 その言葉を言い終わるのが早いか、わたしのほうが早いか、横をすり抜け、自分の部屋へと逃げ込んだ。


 うるさいうるさいうるさい。


 部屋のドアをわざと音をたてて閉める。そして深呼吸をすると、いま自分がしたことが、明らかに子どもっぽくて恥ずかしくなってくる。


 なんだ、子どもはって、嫌味なの?


 じゃあ、大人は自由じゃないの?


 たまに、付き合いだとか言いながらお酒を飲んで来て、お酒の匂いを振りまくように、夜遅く帰ってくる。そんな変則的な帰宅時間をしているお父さんは自由に見えるんだけど。


 どうして、初めて寄り道をして遅くなったわたしを責められるの?


 そういうことは、少しでも娘の心配をしてから言ってよ。


 ああ、嫌だ。もう寝てしまおう。


 照明を消し、ベッドに飛び込むように寝転がる。


 感情が昂ぶっていると、酷い時は朝まで眠れないこともある。それでも、今日は色々なことがあって疲れていたのか、すぐに、まどろみの中に落ちてゆく。


 ゆっくり、ゆっくり、ズブズブと、沈んでゆく。


 瞼の裏なのか、夢の中なのか、ワタシは星であります。と主張しているかのような、星形の黄色く発光した星が、進んでいるのを表すカラフル細い帯を何本もつけ、流れて、消えた。


 その横で、イカ型のロケットが飛び、そこにひとつだけ付いた窓から、猫らしき生き物が手を振っていた。


 わたしも、手を振り返す。


 ニャーニャー。

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