第2話 失礼します

 講義時間の中盤、授業の真っ最中。基本的には誰も入ってこないタイミング。


 だけど、男は黒板を心無く眺めているだけだった。部屋の中央付近の席に座ったまま微動だにしない。


 遅刻した誰かが入ってきたのであろう。そんなことすらも考えなかった。それが誰でもどうでもいいから。


 時計の秒針が振れる音と共に右から左に通り過ぎる講師の声の中で、男は妄想にも飽きてきていっそ眠ってしまおうかと目を閉じる。


 しかし、次の瞬間教室に響き渡った悲鳴で即座に振り返った。


 長く発せられる金属を裂くような女学生の悲鳴。最後尾に座っていたその子から、ドアの所へ立つそれに気づいた者から順に声をあげたり、腰を上げて警戒したり。


 男もすぐにそれに気づいた。ドアを開けた女が顔に大けがを負っている。片頬がえぐり取られたように傷ついていて、そこから着ている服が血まみれになるほど血を流している。


 にもかかわらず、目を眼球が飛び出すほどに見開いていて、見える肌には血管がこれでもかというほどに浮き出ていた。


 見たまんまゾンビと呼べる存在がそこに立っていたのだ……。


 男はその時、立ち上がって座っていた椅子の背もたれを掴んだ。強く……。


 さらに、いつでも走り出せるように床へ足裏を密着させる。


 頬が欠けた女は走り出した。悲鳴に負けじと奇声を発して。


 男の体が跳ねる鼓動と共に動き出す。


 それが佐藤 広志さとう ひろしがモブから主要人物への一歩を踏み出した瞬間だった――。


 頬が欠けた女は最初に悲鳴を発した最後尾に座る女子に向かって一直線。女子は机にしがみついたまま動けていなかった。


 広志はその間へ走り込み、振り上げた椅子の足を頬が欠けた女の頭に叩き込んだ。


 確かな、手応え。襲い掛かる体制から前のめりに倒れる女。


 静かになった教室でしばらく皆が倒れた女と広志に注目した。広志も頭部からも血が出るようになった女を見下ろしたまま動かなかった。そして、数秒後……。


「立てますか?」


 襲われそうになった女子のほうを見て話しかけた。女子はまだ机にしがみついたまま震えている。


 広志が優しく声をかけてもずっとそのままだった。


 次の行動に悩んだ広志はその場から一歩引いて周りの様子へ目を向ける。周りの学生と……それに教壇に立つ講師も口を開いて広志のことを見ていた。怯えた目をしている者もいれば、遠くの席ではただ何事かというように目を細めている者もいる。


 広志はそこでようやくハッとした。もしかして自分は間違っていたか。ドッキリか何かだったか。


 状況を飲み込もうとするとその発想に至った。しかし、こんな……ここまで精巧になされた特殊メイクがあるか。この血の匂い、周りの反応……まさかありえない。


 それでも、背中から汗が噴き出した。


 しかし、続けて大学構内のどこかから大きな女の悲鳴があがる。


 そして、広志がいる部屋では倒れていた女が弱弱しくも立ち上がろうとしていた。

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