第3ちく話「コミュニケーション2」

「なあ」

「ん?」

「お前、名前は? まさかちくわではあるまい」


 俺はあの後、お腹が空いたので、ちくわを食べてみた。すると、なんと彼女と言葉が通じるようになったのである。あのちくわ、まるで四次元から出る秘密道具。身を守るには足りないが、本物のマジックアイテムだったのだ。ちなみに彼女も物欲しそうにしていたので、ちくわは半分ずつ食べた。

 その後、今までの経緯をまず話したが、信じてもらえなかった。当然である。


「俺は竹中輪太郎。輪太郎でいいよ」

「リンタロー、か。私はアイリス・グレヴィレア。エルフだ」

「エルフ?」

「耳を見てみるがいい」

「あ、尖ってるな」


 エルフという存在は一応知っていた。森にすむ精霊の一種で、手先が器用で耳が尖っている。さらには容姿に優れていて、ファンタジー物語では必ずと言っていいほどよく登場する存在、というのが俺の認識だった。

 先ほどまではちくわに気を取られていたが、こう近づいてみれば彼女の姿がよくわかるようになり、確かにそれはとても美しいものだった。

 絹糸のようにきめ細かく、暗闇でも白金色に宙を濡らす髪。細くて白い手足、華奢な体、合わさって美しい曲線を描くなめらかな肢体。

顔も美しく、桜色の唇に可愛らしい鼻、肌もシミひとつなかった。とりわけ美しかったのは、その目である。深い紫の目は、宝石が埋め込まれているように爛々と輝いており、何時間見ていても飽きないだろう、と思わせた。


「その、あんまり見ないで」

「ご、ごめん」


 なんなんだこの雰囲気は! ガラにもなく恥ずかしくなってしまう。話題を変えよう。


「と、ところでさ」

「なんだ?」

「ここは、やっぱり牢獄なのか?」

「そうだ」

「逃げることはできないのか?」

「無理だろうな。牢自体はなんとかなるだろうが、この枷がな……。拘束魔法をかけられていて、魔法が使えなくなってしまうんだ。だから、脱獄に成功した者もいない」

「マジか」


 俺はたまたま牢獄に入り、このまま人生を終えていくのか。無罪を訴えても無駄だろう。牢に侵入した時点で罪に問われるし、なんなら彼女を助けようとしたと思われるに決まっている。そういえば、彼女はなんの罪で投獄されているのだろうか。


「アイリス、あんた、なにをしたんだ?」

「それは、言えない……」

「あ、そっか……変なこと聞いて申し訳ない」


 彼女は先ほど不器用に俺を慰めてくれた。きっと性根が優しいのだ。そんな彼女がすすんで罪を犯すとは考えづらく、冤罪なのか、それとも過失なのかは分からないが、いずれにせよ語りたいはずがなかった。不用意だったと反省した。


「おいあんちゃん。そいつ食い逃げだぞ」

「あっ! コラ!」


 隣の部屋から声が聞こえてきた。食い逃げかよ。


「それでいいのか人として」

「カマトトぶってんじゃねーぞ」

「しおらしくしてんじゃねーよ」

「恥を知れ恥を」

「うぅ……」


 周りから続々と声が聞こえてきた。こいつ完全に自業自得じゃねーかよ。


「だって! お腹空いてたんだもん!」

「だってじゃねーよ三百歳」

「年増」

「ババア」

「だもんってそんな歳じゃねーだろ」

「聞いてるこっちが情けねーよ」

「うわぁ……」


 なんだか可哀そうになってきた。彼女は流れるように膝を抱え、そこに頭をうずめた。肩を震わせ、泣いていた。


「うっ、ひぐっ、魔法さえ使えればぁ……ぐすっ」


しかし参った。脱走の手立てがないとなると、俺はいずれ正式にここの囚人となってしまうだろう。そうなればもうおしまいだ。

俺はおもむろに立ち上がり、頭をひねって脱走する手立てを考える。アイリスのすすり泣きを聞きながら。


「うーん……うーん……」

「すんっ。何を唸ってるんださっきから。唸りたいのはこっちだ」

 

暗闇をそぞろに歩き回っていると、泣くのに飽きたのか彼女が声をかけてきた。


「脱走する方法を考えてるんだよ。アイリスも何かいい考えがないか?」

「だから無理だと……いや待て、一人なら不可能だと思っていたが、二人いれば可能な作戦があるぞ」

「な! どんな作戦なんだ?」


 半ばダメ元で聞いてみたが、思わぬ収穫だった。彼女が手招きをしていたので、俺はすぐさま近寄り、隣に腰を掛けた。


「ふふん、私はこの一年間、脱獄することしか考えていなかったのだ。任せろ」


 頼もしい発言だが、それはそれで彼女の人間性を疑う。

食い逃げで一年か。なんだか長い気もするが、この世界ではそういうものなのだろう。

 とにかく、今は流そう。


「この一年、とても長かった……。食事は少ないし、暗く、夜は冷え、そして食事が少なく、食事が少ない。しかし、私はめげなかったのだ」

「あぁもう! そんな前置きはいらない! いいから話してくれ!」

「……はいはい。語ればいいんだろう、語れば。ハァ~……」

「グッ……」


 こいつ──ものすごくめんどくさいぞ。

 しかしここで機嫌を損ねれば、拗ねて黙ってしまうかもしれない。

 なんとか口をつぐんだ。


「武器を使う」

「武器?」

「そうだ。私を見ろ。美しいだろう」

「まぁ……そうだな、うん。外見はな。文句のつけようもないよ、外見は」

「なんだか気になる言い方だが、まあいい。そう、つまり女の武器だ。観察して気づいたことだが、看守はある時間にここを見回りに来る。そこを私が誘惑して、惹きつける。看守は牢に近づく。そこを……」

「ボカン! ってわけか」

「そうだ!」


 なるほど。映画などでもよく見るシーンだ。しかし。


「そのボカン役は」

「当然、リンタロー。お前だ」

「ですよね~」


 はっきり言って無理だ。今までの人生で、荒事の経験などない。喧嘩は小学生を最後に、それ以来争いとは無縁だった。平和な人生を送ってきたといえば素晴らしいことだが、こうした状況になると、あまりにも無力に感じる。


「看守は囚人を移動させるため、枷と檻の鍵を持っている。腰に鍵の束を下げているのだ。まったく呑気な連中だな」

「なぁアイリス……そのさ……」

「どうした?」


 俺は目を落とした。そうしていたら、いつの間にか彼女の足元に目が向いていた。そこには足枷が付いていた。冷たそうな金属だった。


「いや、寒くないのかなって」

「ん? フフッ、もう慣れたさ」


 そういう彼女の足は赤切れていた。そして、青ざめていた。

 俺は着ているジャケットを脱ぎ、それで彼女の足をくるんだ。


「お、おい」

「もしかしたら、失敗するかもしれない。だが、やってみる」

「……うん! 頼もしいな」

「こっちの台詞だよ」

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