春香の告白

第56話

「おはようございます、新島先輩」


 新島恵太が下足ロッカーで上履きに履き替えていると、不意に背後から声をかけられた。振り返って確認すると、茶髪のショートボブにゆるふわパーマをかけた少女がニッコリ笑って立っていた。


「おはよう、えーと…」


 新島恵太は、相手が誰だか直ぐに思い出せない。どこかで接点があっただろうか…


「突然なんですけど、先輩は今、お付き合いしている相手とかいるんですか?」


「えっ!?……いや、特にいないけど」


 本当に突然だ。新島恵太はあまりの衝撃に思考が停止し、思わずありのままを答える。


「ホントですか?…1年生の間では噂になってますけど?」


「1年……あっ!!」


 しまった、ルーのことだ…新島恵太は焦って冷や汗が背中を伝った。


 新島恵太の表情を観察していたその少女は、そこで再びニッコリ笑う。


「やっぱり…あの状況を切り抜けるための、リースさんのデマカセだったんですね」


「あ…キミ、このコトは…」


「大丈夫ですよ、広めたりなんかしませんから」


 そう言って少女は、グイッと身を乗り出すように近付いてきた。


 新島恵太は思わず後退る。しかし直ぐにロッカーに突き当たり距離が取れなくなった。


「彼女がいないんだったら、ひとつお願いがあるんですけど…」


 可愛い顔が目前に迫ってくる。新島恵太は心臓がドギマギした。


「恵太ぁ、どーかした?時間かかってるみたいだけど…?」


 そのときロッカーの向こう側から、新島春香がひょっこり姿を現した。


「は…春香っっ!?」


 新島恵太は妹の方に顔を向けると、思わず顔面が蒼白になる。


「ななな……」


 新島春香は、超至近距離で向かい合っている兄と少女の姿に両目がグルグル渦を巻いて狼狽えた。


「ま、茉理っ!そんなところで何やってるの!?」


「えっ!?」


 妹の張り上げた声に、新島恵太は少女の顔を再確認する。


「え…キミ、茉理ちゃん!?」


「はい、中野茉理です。気付きませんでした?」


 中野茉理はスッと新島恵太から離れると、悪戯っぽく「フフッ」と微笑んだ。


「見違えたなー…スゴく可愛くなってて、全然分からなかったよ」


 新島恵太は中野茉理をマジマジと見つめた。黒髪を両おさげにしていた頃の面影がどこにもない。


「え…そ、そうですか?」


 あまりに真っ直ぐに言われて、中野茉理は思わず照れて頬が赤く染まった。


「ちょっと恵太っっ、なに私の友達口説いてんのよっっ!」


 新島春香は猛スピードで駆け寄ると、新島恵太の胸ぐらを掴み上げた。


「口説…?ち、違うっっ、そんなつもりは…」


 新島恵太はギリギリと襟元を締め上げられ、苦しそうに弁解する。


 そんな二人を見つめながら、中野茉理は「クスッ」と笑った。


「ちょーど良かった」


 言いながら中野茉理は、ポンと新島春香の頭に手を乗せる。


「さっきの続きですけど…彼女が特にいないなら、このヤキモチ焼きなんてどーですか?」


「へっ!?」

「な…!?」


 新島春香と新島恵太は、同時に面白い顔を中野茉理に向けた。


「ななな…何言い出してるのよ、この子はーーっ」


 新島春香はシュボンと一瞬で顔を真っ赤に上気させると、中野茉理の両肩を押さえてドドドと押し込んでいった。


「ちょっと茉理っ、恵太に変に思われたらどーするのよっっ」


 新島春香は中野茉理の眼前で小声で怒鳴った。しかし真っ赤に染まった新島春香の表情が、それを期待している事を雄弁に物語っている。


「大丈夫、私に任せて」


 中野茉理は優しく微笑むと、新島春香の首のチェーンから指輪をチャキンと外した。


「二人が幸せになれる楽園に、私が絶対連れていってあげるからっ!」


 そのまま中野茉理が新島恵太の元に駆け寄ると、二人の姿が一瞬で消え去る。


「え…!?」


 いつのまにか周りの景色から、色が抜け落ちて灰色一色に染まっていた。


 よく考えたら、この時間のこの場所に、他に生徒がいないこと自体がおかしかったのだ。


 ひとり取り残された新島春香は、ただ呆然と立ち尽くしていた。

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