第3話 003

 薄暗い森の中を縦横無尽に駆けまわる。


 背後から迫りくる気配を気にしつつ、とにかく全力で走る。足音的に、もうすぐ追いつかれそうだ。


 相手が速いと言うのは最初から分かっていたことではあるが、思った以上に速い。


 が、別にそれが俺の危機になり得るかと訊かれれば、否と応えるだろう。相手がいくら速かろうが、それでも俺が目的地に着く方が速いのだから。


 前方から、木々の合間を縫って光が見えてくる。もうそろそろだ。


 最後のスパートをかけて、疲れ始めてきた脚に叱咤を入れて速度を上げる。


 そうして、やや走ったのち、唐突に森が途切れる。


 目の前には草原が広がっている。草原に出てしまっては森の中にいたみたいに縦横無尽には駆けまわれず、一直線にしか走れないため直ぐに捕まってしまうだろう。


 けれど、それでいい。この草原が目的地で、この草原が俺の求めた舞台なのだから。


 俺は目印を避けながら走る。速度は落ちるがここまで来てしまえばそれも最早関係ない。


 俺から遅れ、数秒後。追手が姿を現す。


 木々の隙間を縫うようにして現れたのは、人のように二足歩行で走り、けれど人よりも速く走る、犬の頭を持った異形。ゲームや書物では、これらをよく言い表す言葉として、亜人と言う言葉がよくつかわれる。更に言えば、この亜人はこう呼称される。『コボルド』と。


「ガアオウオウッ!」


「ガアッ! オオウッ!」


 コボルドどもが奇怪な声を出しながら追ってくる。恐らく、意思疎通をしているのだろう。


 まあ、知能のそんなに高くないコボルドだ。せいぜいが「あいつ間抜けに走ってやがるぜ!」「だな!これならすぐに捕まえられるぜ!」と言った頭の軽い会話をしているに違いない。


 その証拠に、コボルドどもは無警戒に俺を追ってくる。


 俺は、ニヤリと口角を吊り上げる。


「おい! 忠告だぜ! そこから先は立ち入り禁止だ! 来れば串刺し間違いなしだ!」


 俺が大きな声でそう言えば、コボルドどもは更に活気づいて追いかけてくる。


 これも予想通り。コボルドに人の言葉が分かるはずもない。大方、コボルドどもは俺が命乞いをしているとでも思ったのだろう。だからこそ、自分の優位性を確信して突っ込んでくる。


 コボルドどもが、一歩踏み出す。


「あーあ。しっらなーい。俺忠告したかんな?」


 直後、数匹のコボルドの姿が一瞬にして消え去る。


 それに驚き立ち止まろうとするコボルド。しかし、時すでに遅しだ。


 一匹、また一匹と姿が掻き消える。無事なコボルドは、何が起こっているのか分からずに当惑するばかりだ。


 間抜けにも隙を見せているコボルドを、俺は安全圏から矢を射って仕留めていく。


 数分もしないうちに、コボルドの群れは全滅する。


 俺は、念のために番えていた矢を矢筒に戻すと、コボルドの死体に歩み寄る。


 その時、また目印を避けて進む。


 これは、種を明かせば簡単なことだ。


 俺はここら一帯に多くの落とし穴を作った。その落とし穴があるところに目印を置いた。それを見て避けていた俺と違い、そのまま突っ込んできたがためにコボルドどもは落とし穴に落ちた。落ちずに残った奴を弓矢で射っていく。以上、事の顛末。


 これは、同業者が良く使う手口だ。本当であれば、罠を仕掛けた地帯を一っ跳びできたり、罠を踏まない仕掛けを作ったりできればいいのだが、そこはほら、俺ってば一般人だから。ちまちま避けるしかないわけですよ。


 もちっとスマートに倒したいなとも思うんだが、まあ、安全が一番。強くも無いやつが無茶しても良いことなんてない。


 俺は、罠を避けながらコボルドの死体に近づいて行き、討伐証明部位である、左耳を切り落とす。切り落とした左耳を腰に括り付けた袋に入れる。そして、死体を落とし穴に落とす。落とし穴に落ちたやつは、生きていれば止めを刺してから左耳を回収する。


 そうして、全ての死体から部位を回収した後、今度は落とし穴を埋める。他の人が引っかかったら大変だ。


 少し離れたところに山盛りにしておいた土をえっこらえっこら運んでいく。この作業が疲れるのなんの……。まあ、だいぶ慣れてはきているが。


「カナト、終わったの?」


「お? おう。部位も全部回収した」


 俺が一人で土を戻す作業をしていると、森の中から姿を現した少女――アミエイラが声をかけてくる。


「そう。……アースムーブメント」


 アミエイラが一言そう言うと、盛ってあった土がひとりでに移動し、落とし穴を埋めていく。


 それなりの範囲に落とし穴を作ったため、山盛りになった土は三メートルを超える。それを、難なく動かして穴を埋めていく。


 その規模もさることながら、その速度も大したものだ。


 十数秒で全ての落とし穴が埋まる。


「流石、俺がやるより速ぇや」


「当たり前。魔法を使わないカナトより遅かったら、恥もいいところ」


「ありがとな。まあ、確かにそうだな。けど、正確には使わないんじゃなくて使えないんだがな」


「同じこと」


「ま、そりゃそうだ」


 会話をしながら俺は手に付いた土をパンパンと叩いて落とす。本当は手を洗いたいが、贅沢は言えない。


「それで? 愚問だとは思うけど、そっちは?」


「終わった」


 そう言って、アミエイラはパンパンに膨れ上がった袋を持ち上げる。


 ……確か、袋のサイズ俺のやつより二回り以上大きいやつだったはずなんだが?


 その袋の中に、いったいいくつのコボルドの耳が入っているのかと考えて、戦慄する。アミエイラの成した所業に対してではなく、ただ単に袋に大量に詰められた耳がキモイと言うだけだ。


 アミエイラであれば、こんなこと朝飯前だ。今更驚いてられない。


「そうか。上々で何よりだ。てか、そん中、本当に耳だけ入ってるのか? だとしたら相当気持ち悪いんだが?」


「見る?」


「見ない! 絶対気持ち悪いから見ない!」


 アミエイラの提案を全力で拒否する。


「そう……」


「なんで少し残念そうなんだよ……」


 少しだけしゅんとするアミエイラ。え、なに? 俺が気持ち悪がる姿でも見たかったのか?


 なんて考えていると、アミエイラは袋を腰に括り付ける。


「依頼終わったから、帰る?」


「おう。帰るか」


 そう言って、俺とアミエイラは歩き始める。


 俺達が拠点にしている街、オリリアに帰るのだ。


 帰る、と言う表現が出てくるあたり、俺はこの世界に随分と順応してきた。


 アミエイラと初めて出会ったあの日から、早くも二年の月日が経っていた。あの日から、紆余曲折あり、俺はアミエイラと行動を共にすることにしたのだ。


 そんなわけで、俺とアミエイラは二人で旅をしている。


 その間に色々な経験をしたが、それも割愛しよう。割愛しないとなると長編映画三部作分になるだろう。うん。


 まあ、俺がアミエイラと行動しようと思った経緯くらいは語ってもいいだろう。


 彼女、アミエイラは、いわゆるところの勇者と言う奴らしい。そんな彼女に課せられた役目は、この世界の存続を脅かす存在、魔王を倒せと言うものであった。


 何というテンプレと思いつつも、俺は思った。あれ、その魔王って改竄者なんじゃないの? と。


 世界を脅かす存在と言うところが、改竄者の特徴と一致している。改竄者もまた、この世界を壊そうとしているのだから。


 そう考えてしまえば、俺がアミエイラと行動しないと言う選択肢は俺の中では無くなった。そうして、俺はあれこれ理由をつけてアミエイラの旅に同行する許可を得たのだ。


 道すがら、俺は魔王について訊いてみた。すると、アミエイラ曰く、世界の破壊者、悪い奴、倒さなきゃいけない奴、絶対に悪い奴、ということが分かった。


 ……分かる。言いたいことは分かる。けれども、本当にアミエイラはこれしか知らなかったのだ。最初は冗談かとも思ったが、話を聞いた感じ俺をからかっている様子は無かった。

 

 まあ、つまりは、何も分からないということだ。


 魔王がどんな形で、どんな力を持っていて、どうやってこの物語を改竄するのかも分からないのだ。


 だからこそ、魔王の特徴を知るために旅をして情報収集をしているのだが、情報が何一つ入ってこない。


 しかし、唯一の収穫と言える情報があった。


 それは、誰もが魔王と言う存在を知らないということだ。


 魔王がいると言われて旅に出たが、皆が魔王を知らないと言う。当然、アミエイラも困惑した。だが、途中で投げ出すこともできずにアミエイラは旅を続けているそうだ。


 誰も魔王を知らない。これが唯一の情報。


 なんの頼りにもならないが、今はこれを掘り下げて考えるしかない。


 とは言ったものの、掘り下げるにも出てくるのは憶測ばかりで、多少の確証を持てる予想すらも立てられない。


 前途多難もいいところだ……。


 まあ、ともあれ、魔王の情報は依然掴めないままだが、俺もこの世界にだいぶ慣れてきた。


 この世界は、いわゆる剣と魔法のファンタジー世界だ。魔物がいて、王国があって、空飛ぶ島があって、ドラゴンもいる。


 正に、王道異世界ファンタジー。多くの人が望む幻想世界。


 ……まあ、魔王の存在があやふやなのは、ご愛敬ということで。





 帰り道、特に何があるわけでも無く、俺達は無事に拠点としている街に到着した。


 だいぶ前から拠点にしているこの街には、顔見知りも多く、そんな顔見知りの顔を見れば、俺がここに返ってきたのだということを実感する。俺はそのことに少しだけ心を癒される。


「なあ。ここも、大分俺たちの住処って感じがしないか? 慣れてきたっていうか、溶け込んできたと言うかさ」


「そうね。このくらいしけた街の方がカナトにはお似合いね。ワタシにはもっとにぎわった街の方が似合うわ」


「だよな~。やっぱりこれくらいが丁度いいよな。なんだろう、田舎と都会の中間地点? みたいな感じがさ、丁度いいんだよな~」


「中途半端なカナトにはお似合いね」


「ああ、俺もそう思う。やっぱりさ、せわしないとどうも気が急いてダメでさ。かと言って静かすぎるとどうにも落ち着かないしなぁ」


「面倒くさい上に注文が多いわ。カナトなんて、馬屋で十分だわ」


「だよなぁ。やっぱり、宿もほどほどの値段でほどほどのところの方が落ち着くよなぁ。豪勢だと気を遣うし、かといってボロ過ぎても嫌だしなぁ」


 そんなふうに雑談をしながら街を歩く。目的地は冒険者ギルドだ。そこで、コボルドの耳を提出して以来達成の報告をするのだ。


「てか、夕飯何にする? いつもみたいにギルドの酒場で食えばいいか?」


「そんなちんけなところで食べるわけないでしょう? もっと質のいいところがいいわ」


「そっか。んじゃあ、いつも通りでいいか。にしてもお腹ペコペコだわ。早く飯食いてぇ」


「カナトは殆んど何もしてないじゃない。そんなに疲れるような事してないじゃない」


「そうなんだよ。今日は割といい線行ってたと思うんだよ。様になってる、なんて言わないけどさ。慣れてきたのかな?」


「まだまだよ。自惚れないで。底辺もいいところだわ」


「あー……う~ん、今回は解読が微妙に困難……まあ、褒められてるのは確かだから、素直に受け取っておこう!」


 俺がそう言うと、アミエイラはこくりと頷く。どうやら、その解釈で間違いないらしい。


「ありがとな」


 そう言って、俺はアミエイラの頭を撫でる。すると、照れているのか、アミエイラは顔を赤くしてそっぽを向く。


 こうしていると、なんだか妹ができたみたいで、少しだけ嬉しい。


 聞くところによると、アミエイラの年齢は十六歳。二年前のあの日にはまだ十四歳だったのだ。


 なるほど、道理であの頃は少しだけ子供っぽかったわけだ。なにがとか、どこだとかは言わないが。主に胸部がとかも言わないし、ぶっちゃけ今もそんなに変わってないとか言わないが。絶対に、口が裂けても言わないが。


「ん? どうした?」


 急にくるりと勢いよくこちらを振り返り、元々きつめの目元を更にきつくして、俺を睨み付けるアミエイラ。


「なにか、バカにされたような気がした」


「気のせいだろ?」


「本当に?」


「ああ。別に何も思ってないぞ?」


「そう」


 納得したように頷くアミエイラ。が、次の瞬間。


「でも顔がムカつく」


「いでっ!?」


 なんて不良のような理由から尻を蹴り飛ばされる俺。


 怖いわーこの子。現代っ子より怖いわ。もっと言えば並々ならぬ膂力を持っているこの子の蹴りを受けて前方に十数メートルも飛ばされるって体験自体がもう怖いわー。


 なんてことを蹴られて地面と衝突するまでのわずか二、三秒の間に考える。


「ぶへあっ!?」


 そして衝突。ごろごろと地面を転がる。通行人は謎の瞬発力を発揮し、俺を避ける。誰か止めてくれても良かろうに!


「またやってるのかお前たちは」


「うげっ!」


 俺の心の声が届いたのか、誰かが俺を止めてくれる。


 しかし、もっと優しく止めてくれてもいいのではないだろうか? だって足だよ? おまけに付け加えれば足の裏だよ? つまり俺を踏んで止めたんだよ? もう少し優しくしてくれてもいいと思うんだ。


「まーたアホやってるの? 飽きないの? ああ、そっか。君って被虐体質だもんね。むしろご褒美か」


 今度は、俺を止めてくれた奴とは違う声が聞こえてくる。


 ……本当に、優しくしてくれてもいいんだよ?


「うがーっ!」


 俺は未だに俺のを踏みつけている足をどかして立ち上がる。


「お前らもうちょっと俺に優しくしろ!! て言うかしてくださいお願いしますぅ!!」


「無理だな」


「だね~」


「ちったぁ考えてくれよこんちくしょうめッ!!」


 なんで皆俺に酷いわけ!? しかもなんで断るときすら良い笑顔なの!? なんで俺の知り合いってドエス率高いわけ!?


「二人とも、お久しぶり」


「おお。久しぶり」


「おっひさ~、元気だった?」


「なんでアミエイラさんは俺を放っておいて挨拶なんてしてるのかな!? まず謝るべきだよね、俺に!? そんでお前らも自然と返してんじゃねぇよ!」


「え? いや、挨拶されたら返すのが常識だろう?」


「まさかカナカナ、常識すら忘れちゃったの?」


「カナトに常識は無い。あるのは本能だけ」


「お前ら揃いも揃うと手に負えねぇな本当によぉ!!」


 なんで息ぴったりなわけ? それにアミエイラさん? それ多分、いつもの反対言葉じゃないよね? まさか本音? 


 俺がアミエイラの言葉の真意を考えていると、俺を足蹴にしたやつが可笑しそうにふっと息を吐く。


「ははっ。いつ見ても、カナトのその当惑した顔は見ものだ。この街に帰ってきたと実感できて安心するよ」


「そうそう! カナカナの顔を見ると、なんだかこの街に帰ってきたって安心できるんだ~。まさに、僕らにとってこの街の顔ってところ?」


「お前ら、このふざけた当惑顔が街の顔って、それでいいのか?」


 それなら正気を疑う。俺なら疑う。誰だって疑う。


「ああ。俺らには、お前くらい抜けてるやつが丁度いい」


「それ褒めてんのか? 貶してんのか?」


「もちろん! 貶しながら褒めてるよ!」


「差し引きゼロじゃねぇか!」


 なんだよそれ! 少しだけ期待しちまったじゃねぇか!!


「……はぁ。まあ、何はともあれ、無事帰ってこれたようで何よりだよ。お帰り、レイ、シア」


「おう、ただいま。カナト」


「ただいま、カナカナ!」


 ようやっと、俺達は挨拶を交わす。まったく。ワンクッション挟まないと挨拶ができないのか俺たちは……。


 レイとシアと合うと、毎回こんなふうに騒いでいる。


 レイは、濃紺色の髪に、端整な顔つきの槍使い。険しい顔に似合わず、結構お人好しで優しい奴だ。俺もアミエイラも、何回もレイに世話になってる。俺より年上なのもあってか、俺は勝手に兄のようにも感じている。まあ、恥ずかしくて言えないけれど。


 シアは、少女のように愛らしい顔を持つ魔法使い。少女のように、と言うのも、シアは少女では無く男だからだ。いわゆるところの、男の娘ってやつだ。


 うん。俺も初見は騙された。絶対に女の子だと思った……。


 年は俺と同い年。異性と居るような感覚なのに、同性同士の気安い会話ができるから何とも不思議なやつだ。アミエイラと同じで、手のかかる妹……じゃなくて、弟と言った感じだ。


「それで? 今度は何やらかしたんだ? 尻でも触ったか?」


「なんで俺が痴漢した前提なんだよ!」


「じゃあ、おっぱいでも触った?」


「触るか! って、だからなんで俺が痴漢したって前提なんだよ! 違うから! 変なことは一切していない!」


「じゃあ変なことを考えたんだな」


「だね~」


「にゃにを……」


 おほん!


「何を言っているんだ。俺が変なことなんて考えるわけないだろ?」


「今普通に噛んだな」


「盛大にね~」


 楽し気に笑う二人。


 楽しくない。全然楽しくない。さっきから俺の後ろから凄い殺気が伝わって来て全然楽しくない。


 お前らバカなの? なんでこんな殺気まき散らしてるやつの前で朗らかに笑えるの? 戦闘狂なの? 気狂いなの? 因みに俺は気なんて狂ってないから滅茶苦茶怖いけどな!!


「べ、弁明を……」


「……内容次第」


 よし! まだ弁明のチャンスはあるそ! うまい言い訳を考えるんだ!


「まあ、聞く気も無いけど」


 うっそーん……。


 アミエイラの無慈悲な死刑宣告を受けたのも束の間。俺は尻に強い衝撃を受けたと思った次の瞬間には、空を飛んでいた。


 ――あ、死んだ。


 そう思うくらいに、俺は高く、高く打ち上げられていた。


 具体的に言えば街の全貌を一望できるほどの高さにまで打ち上げられていた。


 俺は打ちあがりながら地平線に沈んでいく太陽を見る。夕暮れの陽光が橙色に空気を染める。橙色に染められていく街は、空から見るととても美しく、その様は日本にいたときには絶対に見られない景色だと思った。


 俺は、自分の住む街が美しく染め上げられる様に感動を覚え、俺は街に手を伸ばす。

そして、思う。


 これ、落ちる寸前じゃなかったらもっと綺麗に見れたんだろうな……うん。現実逃避だって知ってた。


 失速し、ついには一瞬の停滞を味わい、俺は落ちる。


「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 風圧が全身を強く打ち付ける。風の音しか耳に届かない。つまり、滅茶苦茶怖い!


「紐無しバンジーぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


 つい思ったことを口にしてしまう。


 嬉しくない! 全然嬉しくないこのバンジージャンプ! てかジャンプしてないしな! 蹴りで打ち上げられただけだしな!


「死ぬ死ぬ死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅううううううううう!!」


 かつてないほどの死の恐怖を覚えながら俺は恐怖を和らげようと叫ぶ。が、まったく意味がない。


 打ち上がるよりも速い速度で落ちる。あっという間に地面が近づく。

地面まで後少しと言うところで、何か弾力のある物にぶつかる。


「ふぎゅぅ!?」


「リリース」


 弾力のある物に弾かれると思った瞬間、それは突然消失する。


「っで」


 そのまま落下して、地面に落ちる。


「はぁ……」


 俺は地面にいることに安堵して、張り詰めていた息を吐く。


「懲りた?」


 そんな俺を見下ろすアミエイラに、俺は顔だけ上げて恨めし気に言う。


「お前……」


「何?」


「パンツ見えてる」


 まあ、スカートでほぼほぼ地面にいる俺の横に立てば見えるのも道理だろう。


「――ッ!!」


「眼福っ!?」


 アミエイラは顔を真っ赤に染めて俺を蹴り飛ばした。


 とりあえず、パンツを見せてもらったのでお礼を言っておいたが、お腹を蹴られたせいであまり長文が言えなかったので、心の中で思うことにした。

ありがとうございました!!


 地面を擦りながら進んでいく俺。めっちゃ痛い! 摩擦で滅茶苦茶痛いんだけど!?


 数メートル地面に体を擦りつけた後、停止する。


 空中からの急降下の後にこの仕打ちでは、流石に立てない。体がぴくぴくと痙攣してる。俺はそのまま地面に横たわる。


「……バカッ!」


 横たわる俺に、顔を真っ赤にして、息荒く言葉をぶつけるアミエイラ。


 ふっ。羞恥が先に来ているせいか、いつもより可愛らしい罵倒になってるぜ?


「うわぁ……カナカナ、声が出せないからって心の中でかっこつけてるよ」


 なんで分かるんだよ。


「お前は馬鹿正直だから、目を見れば大体何を考えてるか分かる」


 さよか。


 便利で良いがな、と思っていると、アミエイラが俺に近づいてきて襟首を掴んで持ち上げる。今度はパンツが見えないように注意している。さすがだね、アミエイラ。ていうか、ちょっとは優しくしてくれよ。首が少し絞まってる。


「この虫よりも役に立たない屑がうるさかったと思うけれど、ワタシは全く関係ない。ワタシも被害者」


「いや、平気だ」


「いつものことだしね~」


 アミエイラの謝罪? に、二人は軽く返す。


 周囲の人にアミエイラがぺこりと頭を下げると、周囲の人も苦笑しながらも手をひらひらと振ったりしている。どうやら、許してくれるらしい。皆心が広い。


「それでは、この土に還っても栄養になるばかりか毒になり得る無益な男を連れて行くとします」


「ま、ほどほどにな」


「カナカナ頑張ってね~」


 お前らもな。


 アミエイラに引きずられながら俺はそう思う。


「まったく。アホだアホだとは思っていたけど、ここまでとは思わなかった。人前で下着を見るなんて酷い。酷いアホ。もう、本当に酷い」


 アミエイラは、先ほどよりは収まったが、未だに赤みの残る顔を前に固定したまま独り言のように言う。


 俺は、その顔を見る度に、こいつは変わったなと思う。


 二年前は、本当に感情が高ぶった時にしかその感情を見せなかった。いつも感情を抑圧しているかのように振る舞っていた彼女。その姿は、痛々しく、相手の感情の機微に疎い自覚のある俺ですら、彼女が無理をしていることが分かった。


 そんな彼女が、ここまで感情を出すようになったのは大きな進歩だと言えよう。まあ、俺以外にはまだ固くはあるが、それは時間が解決してくれるだろう。あの二人にもだいぶ慣れてきた様子だしな。


 二年間一緒に行動していた身としては、アミエイラの成長は素直に嬉しい。俺に心を開いてくれているのも素直に嬉しい。嬉しいのだが――


「おい。カナトの奴、また引きずられてるぞ」


「え? あ、本当だ。またカナトがなんかやらかしたんでしょ」


「あいつも懲りねぇなぁ」


「ああ。それじゃあ、さっきの叫び声もやっぱりカナトだったのか」


「今度は何やらかしたのかね?」


「アミエイラのお尻でも触ったんじゃない? ほら、カナトくんってお尻好きだし」


「まじか」


 めっちゃ注目されてるから、放してくれない? ていうか、今俺が尻好きだって言った奴誰だ! 俺は乳も尻も区別なく愛している! ただアミエイラに関しては胸より尻の方が魅力的だから尻を見てるだけだ! 誤解すんな! ちっぱいも好きだ!


「カナト」


「おう」


 ようやく放してくれる気になったかね? 俺はもう歩けるよ?


 そんな主張を込めてアミエイラを見上げる。


 アミエイラは、ちらりと俺の方を見る。その目はいつも通りとても冷めている。


「もっかい空、飛ぶ?」


「ノー」


「問答無用」


 じゃあなんで訊いたし。


 そんなことを声には出さずにツッコミながら、俺はその日二回目になる紐無しバンジーを強制決行された。





 アミエイラに引きずられながら、俺は目的地であるギルドに到着した。


 アミエイラはギルドの古びた両開きの扉を押して中に入る。


 あの、アミエイラさん? 俺っていつまでこのままなんですか? 俺もう歩けますけど?


 ずーるずーると引きずられる俺を、ギルドにいる連中が見てくる。その視線の種類は様々で、呆れ、嘲笑、爆笑、羨望――おい、爆笑と羨望の奴出てこい。爆笑の奴は俺と同じ目に合わせる。羨望の奴も俺と同じ目に合わせてやる。そうでなくても俺を見たやつ全員同じ目に合わせてやる。つまり、全員紐無しバンジーだ。


「アミエイラ。このギルドごと空に飛ばすんだ。皆紐無しバンジーだ」


「何言ってるか分からない。分かるように言って。ああ、ノミ以下の知能しかないカナトには、土台無理な話だったわね」


「こいつら皆空まで飛ばしちまえ。俺と同じ目に合わせるんだ。どうだ、簡潔だろ?」


「尚更意味が分からないわ。なんで皆を空に飛ばさなくちゃいけないのかしら? 嫌よ、面倒だもの」


「俺を飛ばすのは面倒じゃないのかよ」


「必要な躾けよ」


 俺は犬か何かか。


 他愛もない会話をしていると、カウンターに着く。


「お二人ともお疲れ様です」


 カウンターの受付嬢のアリザさんがにっこりと癒される笑顔で迎えてくれる。


 アリザさんは優しめの顔に、どんな悪党だろうと改心せざるを得ないエンジェルスマイルをその可愛らしい面に浮かべている、冒険者の心のオアシスだ。


「どうも」


「アリザさんただいま! あぁ、この角度からでは、その天使も嫉妬に狂うであろう美貌が浮かべる女神の微笑みが見られないのが残念です!」


 因みにあの神様の笑みはあんまり見たくないです。


 俺は引きずられたままのポジションでエリザさんと話しているため、アリザさんの顔が見えない。振り向いてもアミエイラのお尻しか見えない。ふむ、眼福。


「た、立てばいいのでは?」


 アリザさんが困った声で言う。


「立ったら立ったで、アミエイラにお座りと言われる未来が見えているので、申し訳ありませんがこのままで」


「そんなことしないわよ」


 マジで? じゃあ立つよ?


 よっこら――


「伏せ」


 ――ぐえっ!?


 立ち上がる途中で地面に倒される。


「ほらやっぱり! ほらやっぱりぃ! 絶対邪魔するって思ってた! しかもお座りよりも酷いって分かってた!」


「……うるさいバカ」


 俺の抗議の声に、アミエイラは不機嫌そうに顔をぷいとそむける。


 アリザさんが、俺達の様子に苦笑を漏らす。


「ほら、お二人とも仲良くしてください。アミエイラちゃんも、素直にならないとダメですよ?」


「十分素直です」


「そうです。こいつは元よりこう言う奴です」


「そしてあなたも元よりその軟派な性格よね。だからワタシが去勢――躾をするのも当たり前よね?」


「今去勢って言いやがったな! 完璧に言い切ってたから! 言い直しても意味ねぇぞ!」


 なんだよ去勢って! 俺をどうするつもりだよ! こいつ俺が何かやらかすたびにそんなこと思ってたのかよ! 怖ぇよ! それにこの人目がマジなんだが!? 


 暗い瞳で俺のどことは言わないが、あそこを見つめるアミエイラに、戦々恐々としていると、アリザさんが慌てた様子で割り込んでくる。


「そ、それよりも! お二人とも、依頼は完了したんですよね?」


「ああ、そうだったわ。はい、これ」


 いつも通りの表情に戻ったアミエイラが、腰につけていた袋を外しカウンターに乗せる。


 俺も、腰に括り付けてある袋を外してカウンターに置く。ついでに、アミエイラが俺の襟首から手を離してくれたので、立ち上がる。


 アリザさんが、袋の中身を検める。


「アミエイラさん、いつもながら凄い倒しましたね」


「まあ、仕事ですから」


「あそこの森は強い魔物が多いから、冒険者の方も、腕に自信のある人しか近づかないんです」


 え、マジで? だったら俺、もう二度とあそこに近づきたくないんだけど? 


「なので、アミエイラさんたちがあそこの仕事を請け負ってくださって、ギルドとしても街としてもとても助かってるんです。いつも、ありがとうございます」


 アリザさんの感謝の言葉に、アミエイラはこくりと頷く。その様子に、俺は苦笑を漏らす。


「アミエイラが、『どういたしまして。ワタシも皆さんのお役に立てて嬉しいです』って言ってますよ」


 俺の言葉に、アミエイラが今度は力強く何度も頷く。


 アリザさんは、くすりと可憐に微笑む。


「そう言っていただけると、私も嬉しいです。あ、でも、無茶だけはしないでくださいね? アミエイラさんが怪我をしたら、私だって悲しいんですからね?」


「アリザさん、俺は?」


「カナトさんは……」


 そこまで言って、アリザさんはにっこりと微笑む。


「なんですかその意味深な笑みは! 怖いんですが!? なんか黒いこと考えてそうで怖いんですが!?」


「ふふっ、冗談ですよ。カナトさんも怪我をしないでくださいね? カナトさん弱いんですから」


「お、おおう……心配されるのは嬉しいんですけど、なんだろう、最後の一言で俺が侮られている気が……」


 ま、まあ、弱いのは認めますけどね? 俺、冒険者のランク、アミエイラよりも三つも下ですもんね? 

「ふふっ、冗談ですよ、冗談。カナトさん、反応が良いからついからかってしまいます」


 そう言ってくすくすと楽しそうに笑うアリザさん。


 いや、冗談って言うわりには、嫌に確信を突いていた気がしないでもないんですが?


「はい、それではこちらが報酬です。いつも通り、ひとまとめにしてしまいましたが……」


「問題無い」


 そう言って、アミエイラは硬貨の入った袋を受け取ると、俺に渡す。


「あいよ」


 俺はそれを受け取る。金の管理や、料理洗濯、その他もろもろは俺の仕事なのだ。戦闘面じゃ俺はたいして役には立てないからな。ただ一つ問題なのは、アミエイラの下着類も俺が洗っていることだ。アミエイラももうお年頃なのだから、自分の下着くらい自分で洗ってほしい。


「さて、貰うもんも貰ったし、さっさと飯食って帰ろう」


「うん」


 ここまでが俺たちの日常のありふれた一幕。ギルドで依頼を受けて、安い宿屋に泊まって、起きて、また依頼を受ける。


 この二年の間にすっかり身に着いてしまった生活習慣。


 これが今の俺たちの日常だ。


 何というか、すっかりとファンタジーに染まってしまったと、しみじみと思う。

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