第2話 002

 唐突に目が覚めた。


 いや、本当に。なんか、眠い眠くないって言う境界線とか、そう言うの無しでパッと目が覚めた。


 そうして目の前に飛び込んできたのは、広大な草原の景色。


 ……うん。一つだけ言っておきたいことがある。


 俺は、肺いっぱいに空気を吸い込む。あ、空気が美味し。ではなく。


「なんで初っ端から街の外なんだよぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!」


 草原って完全に危険地帯じゃねぇか! 俺丸見えだし! 隠れるところなんてないし! て言うかここがどういう世界かすら分からねぇし!


 いや落ち着け。クールに行こう。そうだ、ここが危険な生物がいる世界では無い可能性もある。そうだ、事前説明が物騒だったからこの世界にも物騒な存在がいると思っていたが、いない可能性もある。


 まあ、この世界のことを見聞きしないと何とも言えないが、大丈夫。何とかなるさ!


 と、楽観視をして現実逃避をしていると、遠くから地鳴りのような音が響いてきているのが分かった。


 俺はその地鳴りに嫌な予感を覚えつつ、確認しないわけにもいかないので音のする方に目を向ける。


 そこには、土煙を上げながら走るサイのような生物の群れがいた。サイのようなと言うのも、俺の知ってるサイとその様相が違うからそう言うしかないのだ。


 まあ今はそのサイのようなものの様相はどうでもいい。


 問題は、それが向かってきているということだ。誰にと言われれば、勿論俺に。


「あー、まあそうだよね。うん。知ってた」


 俺は諦め混じりにそう言うと、次の瞬間には脱兎の如く駆け出す。


「ふ、ふざけんな――――っ! 勢いとテンションで調子くれてたのは俺だけども! だけど、この世界の事前説明くらいあってもいいだろうがよ――――っ!!」


 八つ当たり気味にそう叫ぶが、それで現状が変わるわけでも無い。


 俺は走りながら、後ろをチラリと見る。先ほどよりも群れとの距離が近くなっている。


「やばいやばいやばい!! 見た感じ草食動物っぽいけどこのままじゃ確実に死ぬ! 今度こそ死ぬ!」


 一回目は死ぬ寸前みたいなものだが、今度は確実に死んでしまう。あんなのに引かれたら確実に死ぬ。臨死体験など一度でも余計なのに二度もいらない。


「だぁーッ! どうすんだよ! このままじゃマジで――――ギャー―ッ! 音が近くなってると思ったらもうすぐそこだし! お前ら見た目のわりに足速すぎだろ!」


 クソが! 見た目滅茶苦茶硬質で重そうなのに、なんでこんなに足が速いんだよ!


 ってやばい! 悪態ついてる場合じゃねぇ! 本格的にやばいぞ!


 群れとの距離はもう目と鼻の先。それに、どんどんと俺との距離は縮まっている。


「あ―も――っ! なんで最初からこんな目に――ッ! って、うぎゃあっ!?」


 顔を上げながらがむしゃらに走っていたからか、俺は地面に窪みがあることに気付かなかった。結果、転んでしまった。


 やばいッ! 


 瞬間的に自分の危機を理解し、身体に寒気が走る。


 足音と地鳴りはもうすぐそこまで来ている。


 あ、俺、死んだ。


 思考停止した頭で、そんなことだけ冷静に考えられる。


 が、運が良いことに、その考えが現実になることは無かった。


「ブリザードカーペット!!」


 俺の後ろからそんな声が聞こえてきた。


 強烈な冷風が吹き荒ぶ。


 そして、冷風が通り過ぎたあとには、あんだけ煩かった足音と地響きはピタリとやんでいた。


 なにが起きたのか分からず、俺は振り返るのも怖かった後ろを勇気を持って振り返ってみた。


 そこには、大きな氷塊があった。いや、違う。氷塊は氷塊なのだが、正確にはサイのようなものが中で凍らされているので、それは、サイのようなものの氷像だ。


 俺は思わず息を飲む。


 その氷像は俺からわずか二メートルほど離れたところにある。つまり、本当にあと少しで俺はこんな訳も分からない生物に引かれて死んでいたのだ。その事実に、ゾッとして背筋が凍る。


 だがしかし、俺は助かった。それだけは分かった。そして、俺が助かった理由は、俺の目の前にいた。

俺と氷像の間に一人の人間が立っている。


 白銀と呼ぶに相応しいほどの髪を腰まで伸ばし、その身をこれまた白銀の衣服に身を包んでいる。所々に鎧を着けており、その鎧も白銀であった。全体的な見た目で言えば赤と白の調和がとれた、整ったデザインだ。


 目の前の人物は、右手に持っていた剣を鞘に納めると振り返る。


 その顔に、俺は思わず言葉を失った。


 切れ長な目。高すぎず、低すぎない丁度いい大きさの鼻。真一文字に閉じられた、凛々しくも不機嫌なように見える口。全体的に凛々しいと表現できるほどの美人であった。


 しかし、その顔には左のおでこから目を通り、頬の半ばまでを縦に線を入れる痛々しい傷跡があった。


 その一つが、彼女の美を台無しにしている。と、恐らく多くの者がそう思うだろう。


 けれど、俺にはそうは思えなかった。こう言っては彼女に失礼だが、彼女の傷がより彼女の魅力を引き出しているように見えたのだ。

それに、それを差し引いても、彼女は恐ろしいくらいに美人であった。


「綺麗だ……」


 俺は思わずそう口に出してしまう。


 その言葉が彼女の耳に届いたのか、彼女は切れ長な目を大きく見開いていた。恐らく驚いているのだろう。


 って、違う違う! 何を呑気に観察をしてるんだ! 助けて貰ったんだからまずは――


「あ、いや。助けてくれてありがとう、ございます」


 ため口で話しそうになってしまい、慌てて取り繕う。が、そもそも彼女に言葉は通じるのか? 俺バリバリ日本語で話してんだが?


 しかし、俺のその心配は杞憂のようで、彼女は表情を戻すと口を開いた。


「あなた、死にたいの? アムドライノゥから走りで逃げられるわけないじゃない。バカなの? それとも、自分なら逃げ切れるとか思っちゃったわけ? ますますバカなの? ああ、バカじゃなかったら馬も馬車も無しでこんなところに来ないか。あなた、やっぱりバカなのね?」


 そうでしょ? とでも言わんばかりに顎を少し上げながら小首を傾げる。それはまるで、俺を見下してるかのようで―――――興奮した。


なんて言わないからな? 普通にムカつくからな?


「助けてくれたことには感謝する。ありがとうございます!!」


 俺は勢い良く立ち上がり、ガバリとお辞儀をする。


 そして、直ぐに頭を上げる。


「だけども! そこまで言われる筋合いはない! 馬鹿か馬鹿じゃないかと聞かれれば、バカな方に入ると思うが、知らなかったのだから対処のしようがない! つまり、俺はバカだがさっきの状況はしょうがない上に、こっちにも事前知識を知ることが出来ねぇやん事ねぇ事情があったわけだ! おわかり!?」


 俺の剣幕に、彼女は若干引いているようであったが、こくこくと頷いているところを見ると、分かってくれたようだ。いや、とりあえずこいつやばいから頷いて置けって思ったのかもしれないが、分かってくれたと思うことにしよう。


「分かっていただいたようで何より」


「……何があったか知らないけれど、ここは危険。雑魚はさっさと帰るべき」


 雑魚? いや、本当のことだけどさ、俺強くないけどさ。なに? 先ほどからこの子なんか刺々しくない?


「……帰る場所が無いし、そもそもここがどこだか俺は知らない」


 俺は、怒らず冷静に答える。


「は? ここがどこだか分からないって、あなた無知すぎるでしょ? なんでこんなところにいるの? ああ、返る場所が無いって言ってたわね。ということは、あなた旅人? それなら次の町に行けばいいだけでしょ? まさか、それも分からないって言うの? あなたそんなので良く旅に出ようと思ったわね?」


「……俺はいつの間にかここに居て、だからここがどこだか知らない。旅には……恐らく出ることにはなっていたけど、それも下調べをしてからにしようと思ってた」


 俺は、怒らず冷静に答える。


「いつの間にかここに? なにそれ、お酒でも飲み過ぎたの? それとも悪霊にでも悪戯された? どちらにしてもお間抜けも良いところね」


 俺は、怒らず冷静に――――冷静なぞ冷製にして犬に食わせておけ。冷静だけになぁ!!


「さっきからトゲトゲトゲトゲしてんなぁおい!! ああ!? お前さんは一々言葉に毒を盛らないと気が済まないのか!?」


 イライラも積み重なれば多大なストレスなんです。塵も積もれば山となっていずれその山が噴火するんです。


 つまり、絶賛噴火中だボケェ!!


「そ、そんなわけないじゃない! これは仕方がないのよ! ワタシだって言いたいくて言ってるわけじゃないんだから!」


「言いたくなくて言ってるわりには表情ノリノリだけどな! めっちゃ表情と言葉がリンクしてるからな! そんな顔で言われても説得力欠片もないからな!」


「しょ、しょうがないでしょ! ワタシ、表情作るの苦手なんだから!」


「苦手どころじゃねぇかんな!? 全然表情動いてないからな!? お前いろいろ壊滅的すぎるだろ!」


「な、なによ……ワタシだって……」


「え、あ、ちょ……」


 言い過ぎてしまったのか、突然目に涙を浮かべる彼女。そんな彼女に俺は狼狽してしまう。


 凛々しい顔立ちから、彼女がこんなに打たれ弱いとは思わなかったのだ。だから、つい遠慮なく言い過ぎてしまった。


「わ、悪かった! 言い過ぎた! ごめんなさい!」


「わ、ワタシだって……ワタシだって……好きでこんなんじゃないもん……!!」


「もん!? そんな凛々しい顔してもん!?」


 え? キャラ変わり過ぎじゃない!? さっきまで口の悪いお嬢様って感じだったよね? それが急に『もん』だなんてつけるの? もう、彼女のキャラ掴めないんだが?


「ワタシだって、好きでこんなこと言ってるわけじゃないもん! しかたないんだもん!」


 内心で動揺しまくりの俺を置いて、彼女はその場に蹲って本格的に泣き始めてしまう。


「ちょ、ま、マジで悪かった! だから泣かないでくれ!」


「悪口言いたくて言ってるわけじゃないもん! ワタシだって言いたくないもん! ワタシだって皆と仲良くしたいもん!」


「だから、悪かったって! そっちの事情も知らないで勝手なこと言って悪かったって!」


 必死に許してもらえるように言い募るが、泣き始めてしまった彼女には届いていない様子であった。


 どうしよう……。正直なところ、俺に女性とうまく喋るなんて高等テクニックがあるわけがない。


 女性といえば、涼香くらいとしかまともに会話をしたことが無い。他のクラスメイトとは、ちょっと話したことがある程度だ。こちらから話しかけてみたりもしたが、二言三言話すとすぐ向こうが会話を打ち切ってどこかに行ってしまうのだ。やだ、泣ける。俺女子とまともに話たことない。て言うか嫌われてる? やだ、本当に泣けてきた。


 ……ともあれ、どうしたものか、この状況。


 ひっくひっくとしゃくりあげながら泣く彼女。その前で立ち尽くす俺。


 とびっきり居心地が悪い! やばい! 涼香を泣かせたときの比ではないくらい居心地悪い! 


 涼香とは気心知れた仲だったから泣き止ませ方も知っていたが、目の前の彼女は違う。彼女とは初対面だ。初対面の相手の泣き止ませ方なんて知らない。知ってたら凄い。


 しかし、泣き止ませないことには話が進まない。さっきは怒りとノリに任せてつっこんでしまったが、彼女の言い分ではどうやら訳ありのようだ。それも、彼女本人にはどうこうできるような代物ではないくらいに。


 俺は、溜息一つ吐いて頭を掻く。


 しゃがみ込み、彼女と視線の合う位置まで顔を持っていく。まあ、顔を隠してるから視線なんて合わないんだけども。


「悪かったよ。言い過ぎた。あんたが本当は良いやつだってのは、ちゃんと分かってるから。だから泣き止んでくれ」


「……本当?」


 本当は良いやつ、と言った辺りでゆっくりだが顔を上げた彼女。その目は、俺の言葉が本当であるかを縋るように訊ねてきていた。


 ……段々とだが、彼女の境遇に予想がついて来た。


「ああ、本当だ。じゃなきゃ、危険をおかしてまで俺を助けちゃくれないだろ? 無償で誰かのために動ける奴が、悪いやつなわけないしな」


 まあ、良いやつのふりをするやつもいるわけだが、それは今は言わなくてもいいことだろう。


「……助ける代わりに、ご飯貰おうとしてた……」


 俺の言った言葉に、申し訳なさそうな顔でそう言う彼女。


 一瞬きょとんとしてしまった¥が、彼女の言った言葉がおかしくて、自然と笑ってしまう。


「そんくらいなら、助けてもらった礼としては安いもんさ」


 そう言いながら、俺はパンパンに膨らんでいる鞄を開けて、中身を探る。中には、食料やら服やらが乱雑に詰め込まれていた。


 適当すぎんだろおい……。


 どうやらあの神様は整理整頓が苦手らしい。


 まあ、今はいい。とりあえず食料があるだけ良い。……あとで、全部出して何があるか確認しないとな。


 とりあえず俺は、鞄からパンを取り出した。靴下と一緒に入っていたとかは言わない。新品だからセーフだ。


「とりあえずさ、腹減ってんなら飯でも食おうぜ? 俺もちょうど腹減ってたからよ」


 俺はパンを差し出す。


「……いいの?」


「良いって。助けてもらった礼だ」


 彼女はパンを受け取ると、涙を拭いて言う。


「別に、パンなんていらないけれど」


「じゃ、食わないか?」


「食べる」


「じゃあ食え。話はそれからだ」


 それから、俺達は黙ってパンを食べた。


 なんだか、初っ端から大分疲れたが、現地人との接触は成功。まあ、大分難のある子だけどな……。




 二人ともパンが食べ終わり一息ついた頃。


「それで、だ。俺は何も知らないから、色々と話を訊きたいわけだが、その前に自己紹介だ。俺の名前は……」


 そこまで言いかけて、俺は考える。俺は、この世界の常識はおろか、何の情報も持ち合わせていない。


 つまりは、名前がどういった形式なのかも知らないのだ。


 ……どうしよう。普通に言っちゃっていいのかな? アメリカみたいに名前が最初に来るのかな?


 必死こいて考えるけれど、良い答えは見つからない。


 ……ええい、ままよ!


「俺の名前は、カナトだ。ただのカナト。よろしくな」


「うん。よろしく」


 微動だにしない表情で言う彼女。ダメだ……。彼女の表情を見てこの自己紹介が変かどうかを知りたかったのだが、まず表情がねぇ……。


 試しに名前だけにしてみたが、どうなのだろうか? このままでいいのか? 


「ワタシの名前はアミエイラ・アルマス。アミエイラでいい」


 俺が困惑している間に、彼女――アミエイラは自己紹介をした。


「あ、ああ、よろしく。アミエイラ」


「うん」


「……」


「……」


 どうしよう。会話終わっちゃった。


 もともと二人とも会話が得意な方じゃないのか、これ以上会話が続かない。俺はともかくとして、アミエイラは確実にその言葉遣いのせいだろう。まあ、あんな毒舌ばっかり吐いているようじゃ、まともに会話をしてくれる人もいないわな。会話に慣れていないのにも頷ける。


 とにかく、会話は俺も苦手だが、この世界の情報を聞き出すために何とかするしかない。


「あー、まず訊きたいんだが……」


 そこまで言って、何から聞けばいいのかまるで考えていなかったことに気付いた。


 どうしましょ。


 そこで止めた俺を怪訝に思っているのか、彼女は小首を傾げて俺を見る。


「どうしたの?」


「あ、いや。何から聞こうかなと……」


「そう」


「……」


「……」


 またしても会話終了! 


 会話、思った以上に難しいぞ。


 さてどうしようかと考えている時に、彼女が口を開いた。


「もう、日が傾いてきてるから、歩きながらにしない?」


「あ、そうなの? ……でも」


 おかしいなと思って上を向けば、太陽はまだ一番高いところにある。夕暮れにはまだ早い。


 俺の疑問を理解したのか、アミエイラが言う。


「ここから次の街まで行くとなると着くころには夕方。夜に街の外にいるのは危険」


「そっか。んじゃあそうするか」


 納得し、立ち上がる。


 そうして、歩き始める。


「……ねぇ、ワタシから訊いていい?」


「あ、ああ、別にいいけど」


 歩き始めてすぐにそう言ってくる彼女に、俺は少しだけ戸惑いながら消す。どうしよう。彼女の方が俺よりも会話するのにためらいが無い? やだ、度胸で負けてる。


 そんな俺の胸中など知らない彼女は、前を向いたまま言う。


「なんでカナトは、ワタシと喋ろうとするの? ワタシと喋るの、嫌じゃないの?」


「あ? 別に嫌じゃねぇよ」


「悪口ばっかり言うのに?」


「ああ。てか、さっき自分で言ってたじゃんか。言いたくて言ってるわけじゃないって。なんか理由があんだろ? それを聞かないではなからお前との会話を拒絶するつもりはねぇよ」


「……そう」


 そう言って、安堵したように少しだけ表情から力を抜くアミエイラ。


「んで、理由、話してくれんのか? ま、嫌なら別にいいんだが」


「……うん。そう簡単に話せることじゃないから……。でも、これだけは覚えておいて欲しい。ワタシの悪口はワタシの本意じゃない。……こればっかりは、ワタシの意思じゃどうしようもない……」


「そっか。まあ、それならしかたねぇわな」


 あれだろ? ツンデレのツンがキツイってだけだろ? 大丈夫、いつも理不尽な要求をしてくる幼馴染と同レベル。それに、彼女が本意じゃないって分かれば、俺にとってはそれほど問題ではない。


 しかし、俺にとっては問題が無いが、彼女にとっては疑問があったようで、俺のことを目を見開いてみている。


「なによ?」


「……いえ。……変な人ね」


 最後の一言、アミエイラ的には聞こえないように言ったつもりなんだろうが、残念。俺は地獄耳なんだ。ばっちり聞こえてるぞ。まあ、聞こえたからと言ってどうということではないが。


「ま、それよか、まずはこの世界のことを知りたい。何も知らんのは流石にまずい」


「そう。……え? 世界?」


「あ」


 訊き返された言葉に、俺は呆けた声を上げてしまう。


 しまった。今の言い方じゃ、まるで俺がこの世界の人間ではないように聞こえてしまう! やばい、すぐさま撤回しなければ!


「いやあうっかりうっかり! いやさ! 俺ってば新しい村とか、新しい町とかさ、そう言うの世界って言っちゃうんだよね! 詩的表現ってやつ!? いやー新しい世界が広がるなー!! 楽しみだー!」


 はははっと乾いた笑いまでつけてしまう。


 うんうん。完璧。完璧なまでの――大根役者……。


 いや無理だって! とっさに良い言い訳なんて思い浮かばねぇって! 詩的表現ってやつ!? が俺的には及第点だって!


 乾いた笑いを続行しつつ、アミエイラの顔を窺う。


 彼女は、神妙な顔つきで俺を見ている。


 彼女の視線を受け、冷汗が止まらない俺。


 やばいって! 彼女滅茶苦茶俺のこと怪しんでない!? いや、でも神妙な顔がデフォルトだった気がしないでもないけれど、それにしても何も言わないから何か怪しんでるんじゃないかって勘ぐっちゃうんですけど!?


 乾いた笑いは続行しながらも、脳内で考える。


「乾いた笑いがうざいわ。止めてちょうだい」


「……はい」


 おそらく、いや確実に、今のは彼女の本心だ。彼女の目がマジだ。マジでイラッと来ている人の目だ。


 俺は返事と共に乾いた笑いを止める。


 彼女は、俺が渇いた笑いを止めると、視線を前に戻して考え込むようなしぐさを見せる。


 数秒して、彼女はこちらに顔を向ける。


「まあ、誰しも人には訊かれたくないことがあるもの。詮索はしないわ」


 どうやら、彼女からの言及は無い様だ。そのことに、少しだけ安堵する。


「ありがとな。どうにも、こっちにも説明付かないことばっかなんだわ」


 実際、あの男の話で腑に落ちない点は多々ある。


 けれど、それを訊いてる余裕は無かったし、あの男もなんだか焦っているようであった。


 結局は次に会った時にしか訊けないし、恐らく解決できない事柄だろう。だから、今はそのことについて考えるのは止める。


「そんじゃあ、世間の常識ってもんを俺に教えてくれないか? 俺、見ての通り世情には疎いもんで」


「うん。脳味噌が実の少ない果実のようなあなたは、学ぶのも無意味だわ」


 言われ、一瞬思考が止まるが、ああなるほど。多分、彼女の言いたいことが分かった。


「ああ。学ぶことは大事だ。知ってるのと知らないのとじゃ、大きく違うからな」


「――っ!?」


 俺が答えると、彼女は今までにないくらいに驚きの表情を見せる。


 そんな彼女に、俺は得意げに笑う。


「嘗めんなよ? こう見えて言葉遊びは得意なんだぜ?」


 何せひねくれ者で、気分屋で、我が儘で、女心がうんぬんかんぬんと面倒くさいことこの上ない幼馴染様がいるんだ。反対言葉くらい分からなくてはやっていけない。


「俺に面倒くさい幼馴染がいることに感謝するんだな」


「……なにそれ、意味わかんない」


 そう言った彼女は、しかし、その顔を緩めていて、その言葉が軽口のようなものであることは確かであった。


 そんな彼女に、俺は言う。


「ま、面倒くさい女の扱いは、少しは覚えがあるってことさ」


「……それって、ワタシが面倒くさいってこと?」


「ああ。もちろん」


 思ってることと反対のことしか言えないやつなんて面倒くさいことこの上ない。


 俺が笑顔で答えると、尻に強烈な一撃を貰う。


「うぎゃっ!? いってぇな! なにすんだよ!」


「うるさい。面倒くさいって言うな」


「本当のことだろうが! 反対言葉の解読って思ってる以上に面倒だからな? しかもお前の場合ツンデレのツンしかないからご褒美が無い! デレろ! そうすればかなりましになる!」


「何言ってるか分からないけど気持ち悪いこと言ってることは分かる」


「愛想よくしろって言ってんだよ! ほら、笑え! にいっと笑え! 笑えばお前可愛いんだから!」


 不愛想だから更に勘違いされるんだ! 笑えばちったあましになる! 


 俺は無理矢理にでも笑わせるために、アミエイラの口角を人差し指でくいっと吊り上げる。


「なにふる! やめほ!」


「うるせぇ! 笑え! 笑えば俺以外の奴もちっとはとっつきやすくなるさ!」


 主に笑顔で罵倒されたい変態さんばっかり寄ってこない気もしないではないが、それはそれである。変態でも、寄ってこないよりは……いや、変態はやっぱりダメだ。アウトだ。お巡りさんこいつデスだ。


「はなふぇっ!!」


「いっだあぁっ!?」


 器用に左右両方の人差し指に噛みつくアミエイラ。


 そして、俺の指を放すことなくガジガジと噛みつく。


「いだだだだっ! いだいいだい! 痛いって言えなくて濁点着くほどいだい!」


「うるはい! こへにこひたら、もうにほほひないひとひかへ!!」


「何言ってるか分からないが、俺の指をくわえたまま喋るな! いてぇよ! 指擦り切れるわ!」


「ひかへぇ!!」


「その単語だけは分かった! 分かった! 誓うよ!」


「ならばよし」


 俺の返答に満足したのか、アミエイラはようやく俺の指を解放してくれた。


 うへぇ……くっきり歯形ついてらぁ……。


 俺はポケットからハンカチを取り出すと、指を拭く。よだれがべっとりついてて最悪だ。


「指千切れるかと思ったわ……」


「大丈夫。そこら辺の加減は得意だから」


「お前噛みつき癖あるの? 他の人噛んだらダメだよ?」


「違う!」


「いでっ!」


 またもや尻を蹴られる。何この子。俺のお尻をサンドバックかなんかと勘違いしていない?


「尻が二つに割れたらどうする!」


「大丈夫。割れ目が三つから減ることは無いから」


「お前は俺の尻が三つに割れてるとでも思ってるのか!?」


 日が傾きつつある道をやいのやいのと言い合いながら歩き続ける。


 その時のアミエイラの顔は、そっぽを向ていたのでよくは分からなかったが、耳まで真っ赤にしていたから、照れているということだけは分かった。


 彼女にとって、このような会話は久しぶりで、可愛いとも、綺麗とも言われたことが、随分と久方ぶりであったと聞いたのは少し先になってからだ。


 これが、この世界の勇者、アミエイラ・アルマスと、俺こと日野宮叶斗の出会いであった。


 多少なりとも緊張感が無いのは、ご愛敬である。

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