「2」

 トットットットッ…ヒュンッ!

 バサッ…トットットッ…


「あーくそ!逃がした!そっち行ったぞ!」


「あいあいさー!はっ!…あっ……」


 トットットットットットッ…


「すみません、ボッシュ。あと一歩のところで逃げられちゃいましたぁ…」


「どこがあと一歩だ!少なく見積もってもあと五六歩はあっただろうが!この鈍亀女!つかボッシュじゃねえ!ボスだ!」


「あーっ!ひどーいっ!それってセクハラですよ、セ・ク・ハ・ラ!」


「パワハラじゃ!つかパワハラでもねえ!つか喋ってる暇はねえ!追うぞ!」


「いえっさ!ボッシュ!」


 トットットッ…


 上下共に黒色の草臥れたスーツを着て、手に大きな網を持ったボサボサ頭の男と、ゴスロリ風の衣服を着ている少女は猫を追い掛けていた。

 一見すると剽軽ひょうきん父娘おやこの様に見えるこの二人、その実は探偵とその助手である。

 二人は今、ある依頼で猫を捕まえる仕事の真っ最中だった。


 トットットッ…ガンッ!


「あぐぐぐ…いけッ!いけ俺!一気にニュルンッといけ!いけええええ!」


 男は猫を追い掛けて鉄柵の棒と棒の間に顔を突っ込んでいた。


「…ボッシュ、本当にアホなんですか?アホなことしてないで迂回しましょうよ。二億円が逃げちゃいますよ」


「うっせえ!目標に向けて真っ直ぐ進むのが最短コースだ!あとボッシュじゃなくてボスだかんな!ぐぬぬ…急がば直進だ!ほら!お前も進めジョッジュ!前だ!前へ進め!うぬぬぬぬ…」


 男の言ったジョッジュとは、助手の少女のことである。二人は男の指示でそれぞれをボス、ジョッジュと呼び合う決まりになっている。もっとも、少女は男をボスとは呼ばずにボッシュと呼んでいる。

 そして、少女が言った二億円とはこの依頼の成功報酬、つまり捕獲対象の猫のことである。

 猫を捕まえることが出来れば二億円。

 常に赤貧の二人…いや赤貧の男と一般階級に属する少女、桁違いの依頼を受けたその二人はいつになく本気だった。


「はいはい、前ですね。…よいしょ、っと」


「むぎゃ!…テメこら!俺を踏み台にすんじゃねえ!つか前だっつったろ!…ぐぎ!」


「前に進むために一回上に行ってるだけですよー、っと。ふぅ…さあボッシュ、さっさと行きましょう。柵を乗り越えてください」


 少女が男を踏み台にして柵を乗り越え、柵の向こう側から男にそう言った。

 しかし、男は尚も柵の棒と棒の間に顔を突っ込んでいた。


 ミシミシミシ…


「ちょっとボッシュ!ダメですって!無理すると顔の骨が砕けちゃいますよ!それ以上顔面偏差値下げてどうするんですか!?」


「ジョッジュてみぇえ…しゅききゃっていいやがって…にゅおおおお!」


 柵に顔を突っ込んでいる男は言葉をハッキリと発音することが出来ていなかった。

 そして、男がより強く前進しようとした瞬間だった。


 ニュルンッ!


「いよっしゃあッ!!抜けたぜッ!!」


「………」


 男の身体は顔が抜けると共に一気に柵の向こうへすり抜けた。

 少女はその男の様子を見て言葉を失っていた。


「おいジョッジュ!ぐずぐずするニャ!さっさと行くぞ!」


「………ぷっ!ぷははははは!き、恭介きょうすけさん!?なんですかそれ!?つかあなたは恭介きょうすけさんなんですか!?…ぷははははは!ダメ!真面目な表情出来ない!…ぷくふふっ!」


 柵をすり抜けた男の姿を見た少女は思わず男の本名を呼んで大笑いした。

 少女は一瞬だけ深刻そうにしたが、笑いを堪えることが出来ないという様子だった。


「おミャえ!ニャに笑ってんだ!それと仕事中はニャ前で呼ぶニャって言ってんだろうが!!…ん?ニャんだ?呂律がミャわらニャい…つかジョッジュ、おミャえいつのミャにそんニャ大きくニャったんだ?」


「ぷははははは!なにそれかっわいー!マとナがハッキリと発音出来ないんですね!あっほら、これ見てください!」


 少女はそう言いながら手鏡を取り出して男に見せた。


「鏡?それがどうし………ニャんだこりゃああああああ!!!」


 男は鏡に写る自分の姿を見て思わず叫んだ。

 そこには、毛むくじゃらで二足歩行の見窄らしい黒猫が立っていた。


「ははは!ボッシュってば無理して柵をすり抜けたりするから猫人間になっちゃったんですよ!よかったじゃないですか、これでいつでもニュルンッて出来ますよ!ぷっ…ぷははははは!」


「ニャんじゃそりゃあああああ!!!!!」


「にゃおん…」


 あまりの事態に驚愕する男。その男の耳には遥か遠くにいる二億円の猫の鳴き声が聴こえた。

 文字通り人間離れした男の聴力はその鳴き声をハッキリと聞いた。

 そして、男にはその猫の鳴き声が言葉として理解出来ていた。


にゃおんこれでお前も仲間だな。ところでその女は猫好きで有名だから気をつけろよ…」


「ニャんだそりゃあああああ!!!」


 猫の鳴き声に込められた言葉の意味の多さに男は再び叫んでいた。

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