第21話 水筒と刹那の時間

 水筒にはたっぷりの井戸水が入っている。婆ちゃんが握ってくれたおにぎりもある。いつもはおにぎりは二つなのだけど、今日は多めに四個握ってくれた。僕はそんなにいらないと言ったのに、「いいから持っていけ」、と婆ちゃんは意味ありげにニカっと歯を見せて笑って笹の葉に包んだおにぎりを僕に渡してくれた。


 目指す上代の神社までは僕の足で二時間くらいかかるようだ。最初は僕が一人で神社に行くことに反対していた爺ちゃんと婆ちゃんだったけれど、朝起きると急に考えが変わっていた。一人で行っていいと許可が下りる。意見が変わった理由はたぶん、爺ちゃんに手渡されたものが関係していると思う。


 それは神社の鳥居の模様が描かれた小さな風呂敷だった。最初は僕が見つけたものだと思ったけど、色が違っている。僕が見つけた風呂敷は黒地で、爺ちゃんが持っていたのは白地の風呂敷。比べてみると色以外はまったく同じで、生地も同じ素材のようだった。


 白地の風呂敷はきちんと結ばれている。白い風呂敷を通して手に伝わる感触。僕は思わず爺ちゃんを見た。


「これ、何か入っている……この感触はもしかしてあの黒い翼なの?」

「それは分からないな。爺ちゃんの知り合いに神社のことを聞いたら、神社の関係者だったその人はこれをくれた。いいかタカ、これは開けてはいけないものらしい。神社の人も中身は見たことが無いそうだ」

「中身を見たことがない? う~ん、そんなものが家にあったのはなぜかな?」


 首を振る爺ちゃん。

「それはわからん。ただ神社に伝わる戒めがあるそうだ」

「戒めって、やっちゃいけないことだよね」

「そうだ。一番やっちゃいけないこと……それは風呂敷を開けることだな」

「ええ! もしかして……僕やっちゃった?」

「この風呂敷はな、昔はもっとたくさんあって、町の信用のある人間が管理していたらしい。うちもその一軒だったのかもしれないな」


 やっちゃいけない「戒め」を破った僕は、風呂敷の云われなんかより、戒めを破るとどうなるかが問題だった。


「それで……開けるとどうなるの?」

「開けたら……その中身が有ることが知れる」

「有ることが知れる? 誰に知れるの?」

「神社の天狗に知れて……取り戻しに来るらしいぞ」

「え、ええ、え、ほ、本当に、と、取りにくるの、天狗なんているの? やっぱり僕が見たのは天狗の翼だったんだ。ど、どうしよう。天狗って子供を食べたりしないよね!」


 途中まで真剣な顔で僕を見ていたはずの爺ちゃんの顔がおかしい。何かを我慢するように強ばっている。


「どうしたの? そんなに怖いことが起るの? ねえ、爺ちゃん!」

「ぐぅ、ふぉふぉ、が、ははは、可笑しい。そんなに怖がるとは思っていなかったぞ。今時の子供が天狗を怖がるだと……なあ婆」

「爺はからかったらダメだ。タカが、ほら、固まっているよ」


 どうやら天狗の話は爺ちゃんの嘘で僕をからかったらしい。

「笑いごとじゃないよ~心臓が止まるかと思った……この汗見てよ!」

「悪い、悪い。風呂敷を開けると天狗が来る話は嘘だ。ただこの町には、あやかしの言い伝えが多くある。その一つがあの神社だ。あやかしから身を守るお守りがこの風呂敷の中身なんだ。四百年前にこの町で川の洪水が起こり、田畑や家が流されて飢饉に見舞われた。その時に神社が建てられたらしい。今でも神社はきれいに整えられている。町の人もお参りにいく。儂らも月に一回と、お盆と正月はお参りに行き、境内の掃除をするんだ。その時、婆はおにぎりを握ってお供えしている」


「つまり、今月はまだお参りに行ってないから、僕に行ってこい。そんな感じ?」

「平たく言えばそうかもな」


 婆ちゃんのおにぎりが二個多いのも、お供え用ということか。でもお守りは……。


「お守りは必要なの? そのあやかしっているの?」

「あやかしはなぁ、この世にあって実はないものだ」


 首を傾げて僕が全く分からない顔をしていると、爺ちゃんが言葉を続けた。

「夜一人でトイレにも行けないのに、何故か神代の神社に行きたがっている小学生のことを話したらこれをくれた。まあ、昼間ならあやかしも出ないだろうが、念のためだ。なんせ、神社の神様もおまえの顔は知らないかもしれない。お守りが有れば気がついてくれるだろう。昔は暴れん坊の神様で大きな川を氾濫させたくらいだからな、怖いぞ~!」


 茶化した顔つきの爺ちゃんが最後に真顔になった。


「心配するな、あやかしなどは無い。ただ、包みを開けるのは本当にダメだぞ。お守りは中身を見ると効果がなくなるからな」


 爺ちゃんは、自分が手にしていた腕時計を外した。傷だらけで銀色の時計は鈍く光るだけ。それがどれだけ長く、そして大事に使われてきたかが分かる。


「あれ、やっぱりまた遅れている……今何時だ?」

 爺ちゃんの声に婆ちゃんが答える。

「爺、四時半だ。それ、寿命じゃないのか?」

 婆ちゃんの言葉に、爺ちゃんはとんでもないと答える。

「寿命? 正確に時間を知らせないからか? だからポンコツでお払い箱と言うのか?」


「でも、それが時計の仕事だろう?」

 婆ちゃんの答えに大きく首を振る爺ちゃん。

「違うぞ。これは……タカ、この時計は、爺の上の兄が、戦争に行く前にくれた形見だ。時々正確な時間を指さなくなる。この時計が遅れたせいで、爺は予定の列車に乗り遅れた。だが、おかげで事故に巻き込まれずに済んだ。ある時は時計が進んでいたせいで、知人と駅前で待ち合わせた時間より早く着いてしまった。空いた時間を潰す為に入った喫茶店で、若い時の婆に出会う事が出来た。これは、そういうものだ」


 爺ちゃんが何を言いたいのかよく分からなかった。でも、爺ちゃんの古い時計も、お守りなんだと感じた。そんな僕に爺ちゃんは時計を渡してくれた。


「爺の時計を持っていけ。いいかタカ、刹那の時というのがある。時間はたまにおかしな動きをするんだ。その時は気をつけないといけない。魔が差すというのを知っているか? 普通なら起こる筈もないことや不思議なことが起こる。ほんの短い時間の判断ミスで大変なことが起るんだ」

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