第19話 忘れない原風景
爺ちゃんの家に来てから十五日目になり、夏休みは折り返しを迎えたことになる。最初は心配だった僕のホームシックも出ていない。毎日冒険に忙しくて、両親と
離れている寂しさを忘れていたくらいだ。
アヒルの隊長になってからは、きままなアヒル達を追いかけて走り、ご飯をたくさん食べて、すぐに眠くなる。おかげで今日は朝の六時には目が覚めた。寝坊助用に作ってもらえた婆ちゃんのおにぎりを食べる回数も減ったし、起きたら畑まで爺ちゃん
グツグツとご飯を入れたお釜が煮えて、お米の炊けるいい匂いが周囲に漂い始めると、大きな木のフタは蒸気の力で持ち上がり、もう少しでご飯が炊きあがることを教えてくれる。薪をくべて大きな鉄のお釜で炊いたご飯は最高だった。特に炊きたてのご飯のお焦げは、いつもより多くよそってもらう。美味しいご飯を炊くための時間や火加減を婆ちゃんは感覚だけで調整していた。だから厳密に言えば、毎日出来上がりは少しずつ違うと思う。
「少しずつ違う味が、美味しく、飽きないようにしているんだ」
爺ちゃんが言ってた。確かにお店の料理は美味しいけど、毎日食べたいとは思わない。飽きてしまいそうだった。婆ちゃんとお母さんの料理は毎日食べても飽きることはない。完璧じゃないから飽きないなんて、なんだか不思議。
「いただきます!」
両手を合わせて感謝を表してから、急いでお茶碗を持ち上げる。お茶碗の中は釜の縁から削り取ったたくさんのお焦げが、ミルフィーユみたいに重なって盛られている。ゴマ塩をふりかけ、箸でお焦げを拾い上げる。一片が大きいので左手で支えながらかぶりつく。早起きしたからお腹はカラッポだ。一気にご馳走を平らげる。
「ふぅ~~もう食べられない。ごちそうさま! とっても美味しかった」
忙しく働く中で僕を見ていてくれる爺ちゃんと婆ちゃん。少ない自由時間も僕と一緒に居てくれる二人。僕がホームシックにかからないのは、爺ちゃんと婆ちゃんの存在も大きいからだ。
この家で暮すと、家族はいつでも一緒にいるのが普通なんだなと思う。自分の家では部屋で好きなことをしていることが多い僕。「自由がいい」今はそんな家族が増えている。僕の友達でも両親だけと生活している子の方が圧倒的に多い。年代によって考え方も生活も違うから、お年寄りと一緒に居ると衝突することも多いらしい。
うちでも両親と爺ちゃん達は別々に暮している。お母さんはお嫁さんになってこの家を出た。あたりまえのことだけど、別々に暮すのは寂しいと感じることも僕にはあった。
「みんな一緒だったら毎日楽しいだろうなぁ。おにぎりと、おむすびも同時に食べられるし、お母さんのカレーも出てくるわけで、焦げご飯とのミックスは期待出来る」
子供の単純な願いなど、最後まで叶うことは無く、爺ちゃんの町と僕の住む街は別の世界で、決して交わることはなかった。
夏休みも中頃になりアヒルの世話だけじゃなく僕の仕事は増えていた。朝はチャボの卵を取りに行き、三時にはお茶の用意をする。爺ちゃんの田んぼと畑は遠くの方にもあったので、お茶の時間に合わせて僕はそこまで、婆ちゃんが用意してくれたイタヤ細工の竹で編んだカゴを持っていく。
カゴの中には魔法瓶に入れたお茶と、お茶菓子代わりの漬け物が入ったタッパー、爺ちゃんの好きなかりんとう、そして僕の飲むサイダーとポテトチップスが入っている。それを僕の足で二十分くらいかかる畑へと運ぶ。最初は面倒だと思っていたけれど、今ではカゴを届けるのが楽しく思えていた。僕は誰かに信用され、仕事を任されることが嬉しかったんだと思う。そして何より嬉しいのは爺ちゃんと婆ちゃん、二人の笑顔だった。
竹のカゴは大きくて重くて、遠くの畑に運んでいくのは、まだ体が小さい僕にとってかなりの重労働だ。それでも一生懸命にカゴを持って歩いて行くと二人の姿が見えてくる。
「あともう少し」
僕は最後の力を振り絞る。
「タカ、ご苦労さん、重かったろう」
婆ちゃんはカゴを受け取り僕の髪の毛を撫でる。ビッショリとかいた汗を自分の手ぬぐいで拭いてくれた。僕の呼吸が落ち着いてから、涼しい木陰を選んで草の上に座る。広げられた、ささやかなご馳走、木の葉の揺れる影。遠くで日差しを浴びる濃い緑色の稲穂が風に揺れ、風がこれから僕らの所を通ると、教えてくれているようだった。
吹き抜ける風は強い草の香りと、気持ちのよい涼しさを僕にくれる。二人と一緒に田畑や遠くに見える山を見ながら過ごす、そんな三時のお茶の時間が楽しみだった。
ここには何もない。テレビやラジオや洗濯機、そんな機械の音もしない。聞こえるのは蝉の声と、カサカサと擦れ合う木々の音、時折の強い風が緑の田んぼを走り稲穂を揺らす音。最近おしゃべりになった僕でも、ここではこうして外の世界に座って居るだけで心地良く、自然に言葉も少なくなった。
静けさが僕たちの姿を鮮明にしてくれた。三人で同じ景色を見て同じ時間を過ごしたことを、大人になっても僕は覚えている。
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