第15話 強敵はアヒル

「さあ着いたぞ。ここだ。みんな川にお入り」


 ガァガァガァ、三十羽のアヒルが一斉に小川へと飛び込むと、バシャバシャバシャバシャ、静かだった小川に水しぶきが立つ。


「うぁあ、おい、いま水がかかったぞ。おまえら静かに……あっ、流されている!」

 小川の中心に飛び込んだ数羽のアヒルが速い水の流れに乗って川下へ一気に流されていく。慌てて追いかけるが、流れの中心を外してアヒルたちはすぐに戻ってきた。


「へぇえ、アヒルって泳ぎが上手いんだぁ。それに頭もいいかも」

 一団に戻ったアヒル達がガァガァガァと、大きな声で合唱を始めた。初めは合唱の理由が分からなかったが一羽が僕の左手に向かってクチバシでつついたのを見て思い出した。


「あ、あ、そっか。これか……ちょっと待ってて」

 僕の左手にはアヒルたちのご飯があった。トウモロコシがギッシリ詰まった袋を数羽がつつきだし、すでに穴を開けることに成功していた。


「うわぁ、待て、ちょっと待て。おい、ちょっと、こら、おまえら!」

 ザ、ザアアア。アヒルにつつかれ破けた穴から一気にトウモロコシが流れ出す。ガァガァガァ。川にいたアヒルも合流して、三十羽が僕の足元に突撃してきた。川辺はアヒルの鳴き声と餌を啄む音、羽をバタつかる音とで騒然となる。


「いいかい、餌は数回に分けて与えるんだよ」

 袋を持たせてくれた婆ちゃんが言っていた。

「うん!」

 頷いた約束などもはや守れる筈もない。こうなったら……


「もういいや! これで全部だ! さあ食え!」


 僕は紙袋をひっくり返し、残り全部をアヒル達へ振りかける。一段と騒がしくなった川辺を見ながらため息が出た。


「はぁ~、いきなりやっちゃったかなぁ……ま、いいか……いやよくない」


 初めての僕の役割は失敗気味で始まった。やっぱり爺ちゃんの言う通りでアヒルは侮れない。アヒルにとってはバイキングコース、食べ放題になった食事はまだ続きそう。


「座って食べ終わるのを待とうかな」


 僕は川縁に腰を降ろす場所を探す。何度か刈り取られた川辺の雑草も、夏の太陽とたっぷりの川の水で、すぐに僕の膝の高さくらいにまで延びる。雑草を手で集めて折りたたみ、僕が座る場所を作る。集めた草の座布団は土手の湿りを遮ってお尻に染みない。僕はストンと地面へと腰を落とした。


 ジリジリと高い場所にある太陽が僕を照らす。僕は座ったままですぐ近くにある川面に手を伸ばし、手ぬぐいを冷たい川の水に浸した。今度は絞らないで水を沢山含んだままの手ぬぐいを持ち上げる。そのまま首にあてると、体を流れ落ちる川水の冷たさが火照った体から熱を奪ってくれた。


「ふー、気持ちいい」


 サワサワ川面を渡る風も僕に涼しさを与えてくれる。夏の濃い緑の香りがする。僕は運動靴を脱いで足だけを川に入れた。ゆらゆらと流れにまかせた両足には冷たさと程よい抵抗が感じられた。


「足、ひゃっこくて気持ちいいな……あれ?」

 川の中に黒い影が見えた。

「あ、さかな! 結構大きい!」

 アヒルのことを忘れるほどに小さな川の魚影は濃い。


「一杯いるなぁ~あれ釣れるかな? 見える魚は釣れないって、爺ちゃんは言ってたけど。今度は釣り竿を持って来ようっと」

 速い流れの中にはかなり大きい魚が何匹か泳いでいる。

「あれがいい。大きいの釣ってみたい」


 すぐそこに見える魚は簡単に釣れそうに思えた。気持ちが完全に魚にいっていた時、ヒューン、突然、強い風が吹いた。紐をちゃんと結んでいないブカブカの僕の麦わら帽子は風に持ち上げられて、ふらふらと僕の頭の上で揺れてから、次に強く吹いた風にピューンと飛ばされてしまう。


「ええ!? 帽子が飛んだ!」

 頭を押さえた時には後ろの田んぼでペチャリと嫌な音がした。

「うぁああ、まずい。泥だらけになると失敗がばれる」


 食べられちゃったアヒルの餌は証拠が残らないけれど、麦わら帽子にはしっかりと、僕の慌てる姿がプリントされてしまう。


「爺ちゃんに笑われる。婆ちゃんを心配させる」


 急いで立ち上がり田んぼへ向う。麦わら帽子はあぜ道から近い田んぼの隅に落ちている。これならなんとか拾えそうだ。

「よっと、と……よっこらせ」

 田んぼに落ちないように屈み込み懸命に右手を伸ばす。

「~と、もう少し~」


 麦わら帽子のつばを掴もうとさらに手を伸ばした。ガァガァガァ。後ろでアヒルの大きな声がする。でも今はそれどころじゃない。


「よし! もうちょい……よいしょ、よいしょ」

 帽子に指先が届きながらもちゃんと掴めずに、僕は少しずつ足を前に進める。ジリ……ジリ……。そんな時に僕の横を通り過ぎる影が見えた。

「え? なんだ、おまえら!」


 餌のトウモロコシを全て食べ尽くしたアヒル達は、次なる食べ物を探しに田んぼへと進出してきたのだ。農薬を殆ど使わない田んぼや畑には虫が湧く。その虫を食べさせるためにアヒルは飼われていた。農家は「可愛いから」という理由で動物は飼わない。ペットは必要ないのだ。必要なのはお互いを助け一緒に生きる動物たち。


「アヒルは自分の役割を始めたんだ。本当に頭がいい。あ、あれ~」


 アヒルの行進を目で追った僕は、田んぼの縁ギリギリにいることを忘れていた。……ツルリ、バッシャン。僕は足を泥で滑らせて、アヒル達と一緒に田んぼへ突入した。



「が、ははは! それは大変だったな!」

 爺ちゃんは泥だらけで帰った僕の話を聞いて大声で笑った。

「爺、あんまり笑うとタカが可哀想だ」

 ムスっとしている僕の顔と婆ちゃんの忠告で、爺ちゃんは笑うのを止めたけど顔はニヤニヤしている。


「まあ、その、なんだ、何事も、経験だな。今回の経験は身に染みたみたいだし。ハハ」

 思い出し笑いをする爺ちゃんに、僕はリベンジを誓う。確かに田んぼに落ちて泥が身に染みた。


「……明日も行ってくる」

 僕の言葉に意外そうな顔の爺ちゃん。

「明日も行くってか? またアヒルの見張りに行くのか?」

「タカ、危ないよ。川に落ちたらどうするね?」

 心配する婆ちゃん。

「大丈夫」


 僕は首を振る。ここで引き下がれば男がすたる。小学生にもプライドはある。普段見せない僕の意地に爺ちゃんは気が付いた。


「そうか、意地があるかタカにも。そうだな男だからな……なら明日も頑張れ!」

「うん、頑張る!」


 食べかけのご飯をムシャムシャと、明日に備えて沢山食べる。夕飯を食べたら、急にからだが重くなってボーっとしてきた。夏の暑い日差しと、川での冒険は僕にたくさんの疲れをもたらしたようだ。


「タカ、お風呂に入れ……あれこの子、寝ちゃいそうだよ」

 婆ちゃんの声は聞こえている。でも後ろの壁に後頭部をつけて動けない状態だった。

「……よっこらせ」

 爺ちゃんは立ち上がり、僕をそっと抱えて寝室へ運んでくれる。婆ちゃんは先に布団を敷きに寝床へ急いでいる。


「……これでいい。爺、タカを寝かせていいよ」

 婆ちゃんが敷いてくれた真っ白なシーツ。僕の目には天井から吊られた蚊帳が映り、洗ったばかりの糊のきいたシーツの匂いが鼻をくすぐる。その気持ちよさに、僕は目を開けている限界を迎えようとしていた。婆ちゃんはお腹が冷えないように、そっとタオルケットをかけてくれた。


「……あとで布団もかけてやれ。今はまだ暑いだろうから」

 爺ちゃんの言葉に頷く婆ちゃん。

「今布団をかけても、この子は自分で布団を剥いじゃうからね」

(疲れるって気持ちいいなぁ……)


 タオルケットの柔らかな肌触りと、二人の優しい視線に包まれて限界を迎えた僕は、なんとか呟いてから心地良い眠りについた。


「おやすみ……タカ」


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