第8話 暗闇に広がる世界

 囲炉裏のある居間は家の者が集まる場所だ。僕が昨日、靴を脱いで上がり込みサイダーを飲んだ部屋。十二畳くらいの大きさで、壁際にブラウン管式の十四インチのテレビが有り、部屋の中央に四角く床が切られ灰色の灰が盛られた囲炉裏がある。


 今は灰の上には何も無いけど、冬だけじゃなく春も秋も、夏でも寒い朝夕は炭が置かれて真っ赤になっている。そんな時は厚い鉄で出来た古い鉄瓶がシュンシュンと湯気を立てている。炭は人やお湯をあたためるだけじゃなく、サツマイモや爺ちゃんの酒と肴のスルメ、秋の恵みの栗や銀杏なんかも温める。


ほぼ年中燃える黒い炭は、赤く燃えた後で白い灰になり囲炉裏に積もる。


 囲炉裏をまたいだ先には大きな窓があり、夏の今は開け広げられている。囲炉裏の右側は壁で窓はない。左手は障子があり、障子を開けると二階へ通じる階段が現れた。僕は二階に通じる障子に手をかけて横に引いた。


 古い引き戸の扉は、ギギ、ギと音を出しただけで動かない。今度は両手を取っ手にかけて一気に横に引いてみる。するとギギギ、ギギギ、軋む音が強くなり少しずつ障子は開かれていく。


「もう少しだ……頑張れ」

 自分に言い聞かせ、懸命に力を込めると古い障子は半分くらい開いた。

「これで入れるかな……よいしょっと」


 体を捻りながら半分開いた狭い入り口へ体を押し込んでいく。目の前には薄暗い空間があった。そのまま強引に隙間から体全部を押し込むと、ガタン、障子に腰の骨を強くぶつけた。


「イタタ……もう少し開けておけば良かったぁ」


 それでも扉の奥に入り込むことは成功した。畳はんぶんくらいの板張りで暗い階段の踊り場があった。僕が開けた扉、障子の隙間から光が差し込み、足下と周りはうっすらと見えている。ここから始まる二階への階段を見るとため息が出た。


 段差はかなり急なもので手すりもない。黒く厚い板が上に向かってつながっている階段を見上げた時、上の暗闇から何かがこっちを見ている気配がして背筋がゾワッとした。


「やっぱり上るのは止めておこうかな。婆ちゃんにも止められているし……いや、これくらいでなんだ! 夜ならまだしも昼だぞ!」


 首を左右に振り、気を取り直した僕はそっと一歩目を踏み出す。ギギィィ、縁側のものよりひときわ大きく軋む階段の音が聞こえた。一歩、二歩、三歩と上ると階段はギギィィ、ギギィィと鳴り続ける。


 ドキドキと緊張した僕は途中で何度か立ち止まり深呼吸をして慎重に階段を昇っていく。百年も昔に建てられたこの家の階段は、急な角度で段差も大きいし手すりもない。一つ上の階段に両手をついて這い上がるように昇っていく。


 光は乏しく先にあるはずの二階はまだ見えて来ない。

「この階段はどこまで伸びているの?……まさか別の世界に続いている……とかないよね」

 暗闇の中で上る古い階段。時間がすごく長く感じられる。

「あそこが二階の踊り場だな……あともう少し……頑張ろう」

 やっと階段の終わりが見えた。

「ふぅ、やっと上りきった」


 一呼吸置いた僕が目にした二階の様子、それは人が住むようには作られておらず、柱の木がむき出しで、床や壁も素っ気ない造りだった。


 天井の近くには小さな明かり取りの窓があって十字の格子がついている。開かない小さなガラス窓。そこから差し込む光の筋が部屋を微かに照らしている。光の筋は床に向かって広がっていて、僕が動くと部屋に積もった埃が空中に立ち昇り、光の筋の中で漂う。それは捕らわれた魚のようにゆっくりと空中を泳いでいき、光が差さない暗闇に入り込むと消えてしまった。


 二階は物音がまったくしなかった。暗さに目が慣れてきた僕は、積み重ねられた新聞紙を見つけた。僕が生まれるずっと前の日付が書かれている。何年もここに溜まっていた空気は僕に、水の中にいるような重さを感じさせる。


 僕は心細くなってまわりを見渡しハッキリと部屋を見ようと思ったけれど、小さな天井のガラス窓だけでは光が足りなく、少し先の様子もちゃんと確認出来なくて、思うように動けなかった。

 何分くらい経ったのだろう、不安でいっぱいになった時、遠くに何かが見えた。何かの気配がする。


「えっ……なに……誰かいるの?」


 チラリと見えた何か。気配のする場所は階段を昇りきったすぐ横で、一階の居間の天井裏なのだろう、太い梁が見えている。ゆっくりと近づくと天井裏の奥に光るものが見えた。


 ドクン、ドクン。心臓の鼓動が早まり汗が浮き出る。緊張感が強くなっていく。こっちを見た! 赤く光る点が二つ! 怖くて先に進めなくなった僕にそれが近づいて来る。ドク、ドク、ドク。ますます早くなる心臓。僕の緊張がクライマックスになった時、明かり取りの窓から漏れる光に赤く光る点の正体がさらされた。緊張がとける。


「ふぅ~、なんだ……おまえかぁ」

 赤茶色の大きな猫が怪訝そうな顔で僕を見ていた。

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