第7話 寝坊助のごちそう

 ……ぐぅぅ。小鳥ではなく今度は僕のお腹が鳴いていた。


 お腹が空くのはしょうがない。もう十一時近くだった。小鳥を脅かさないように静かに上半身を起こして、辺りをキョロキョロ見回す。


「たぶんこの辺りに……あった! やっぱり作ってくれていた!」


 お目当ての物を見つけて僕は嬉しくなった。

 音を立てないように、ソッと歩き出すと木々の間から差し込む柔らかい日差しの中で、小さな塵がふわりと舞う。埃は太陽の反射でまるで光の粒に見え、空中をゆっくりと動いていく。僕が目指す場所は光の粒が泳ぐ先、薄暗い縁側の端っこ。


 雨戸を仕舞い込む袋小路、そこに置かれたお盆には小さな傘が被せられている。雨を弾く物ではなく、蟻やハエを避けるための道具だ。網の傘を掴んで持ち上げると白い丸い皿にご馳走が置いてあった。ギュウ~ッと婆ちゃんが力一杯握った、具が何も入っていない「おにぎり」が二つ。一つは塩でもう一つは味噌の味。


 まず塩おにぎりに手を伸ばす。「ご飯の前は手を洗いなさいよ」と、いつもお母さんに言われる言葉が頭に浮かんだ。でも、爺ちゃんならこう言うだろうな。「少しくらいバイキンが付いている方が丈夫になるんだ!」って。


 ……ぐぅぅ……空腹な僕のお腹が決断する。


「今日は爺ちゃんの説を信じることにしよう!」

 婆ちゃんのおにぎりはお母さんが作るおむすびと違う。ギュ~っと力を込めて握ってあって形も長く伸びた丸で、まん丸や三角じゃない。僕の住む街では、ギュ~っと握られたおにぎりを「田舎くさい」ものだと言う人もいる。シャケや梅干しを具にしてホワッと握られた海苔巻きの「おむすび」は確かに美味しい。だから前に婆ちゃんに頼んだことがある。


「婆ちゃん、具の入ったおむすびを作って」

 婆ちゃんは笑って、

「婆はこれしか握れないよ。それに百姓は土と相撲をとるくらいの力が必要なんだ。お米が目一杯詰まった、おにぎりじゃないと力が出ないのさ」

 そう言いながら、鉄のお釜から炊きたてのご飯をよそい、茶碗二杯分のご飯をギュ~っと力を入れて握っていた。


「お母さん、手は後で洗います。いただきます!」

 真っ白でずっしりと重いおにぎりを両手で掴んで食らいつくと、粒の荒い塩が舌にザラッとしてから、口中にご飯の甘みが広がる。あっという間に塩のおにぎりは無くなった。


 普段はお茶碗二杯分のご飯を食べるのにもっと時間が掛かる。それに、こんなに食べたらお腹は一杯になるはずだけど、僕は続いてこげちゃ色のおむすびにも食らいつく。今度は少しお酒の香りのする麹の味が口の中に広がる。味噌は自家製だ。毎年秋に婆ちゃんが大豆から作る。普段僕が食べている市販の味噌と比べるとしょっぱいし甘みもない。


 前に婆ちゃんに聞いたことがある。

「この家の味噌は僕にはしょっぱいよ、甘いのがいいなぁ」

 婆ちゃんはおにぎりを握りながら首をひねる。

「それは、なんか入っているからだろ。昔から味噌はこんな味。冷蔵庫で保存しないと腐ってしまうのは味噌じゃない」

 市販の味噌に入っている「なんか」の正体は大量生産するために必要になるものだった。


 普通は一年以上かかる熟成を数ヶ月で行うから、大豆以外の味を調えるものが必要になる。そして街の人は甘い味を欲しがるから化学調味料も混ぜられる。そうやって色んな物が入った味噌が出来上がる。


 普段は気にならないけど、僕の家の味噌で作っても「おにぎり」は美味しくなかった。味噌に入っている「なんか」の味がおにぎりにするとハッキリと分かった。やっぱりお母さんは「おむすび」だ。中にシャケを入れて、もう一つには焼きタラコなんかが入るととってもいい。そして黒い海苔も巻く。

 婆ちゃんのおにぎりはシャケもタラコも入っていないし味付けは塩と味噌だけだけど、毎日食べても飽きない不思議な食べ物だった。


 その日によって味が違う気がする。それは婆ちゃんが畑の土を触ったり、野菜を洗ったり、藁で牛の背中を拭いてやったり、代々受け継いだぬかみそをかき回したりと、汗をかきながら働きながら色んな物に触れているからで、生活の周りにあるもの全てが婆ちゃんの掌に染みこんでいると思う。それが婆ちゃんの味。


「美味しかったぁ! 婆ちゃん、ごちそうさま!」

 膝を正して手を合わせた。寝坊助のためにおにぎりを握ってくれた婆ちゃんに感謝する。

「さて……これからどうしようかな? 二人ともお昼ご飯まで帰ってこないしなぁ」


 お昼まではまだ一時間近くあった。爺ちゃん達は畑で働いていて家には僕が一人きりだ。この家には僕が喜びそうなゲームや漫画の類いはない。


 でも都会の家と違い、屋敷が大きく複雑だった。まだ僕が入ったことがない部屋も有った。特に「二階の部屋」は爺ちゃん達も上ることが殆どない雨戸も閉じられ暗く得体が知れない部屋だった。階段の下から見上げたことがあるけれど、暗闇が続く階段の先には何か居るような気配がしてブルッと震えがくる。でも同時に僕の冒険心をかき立てる十分な雰囲気を持っていた。


 ただ婆ちゃんが去年言っていた。

「二階は灯も無いし、物置に使っているだけだから一人で行ったらダメだ」

 床や壁もあり合わせで作られている二階で僕が怪我をしないようにと心配していた。でも僕は、今年は一人でこの家まで電車で来ることができた。ちょっぴりだけど背も高くなっているし、去年の僕とは違う筈だ。


「よし行こう! 二階へ! 冒険に!」

 広い敷地にある古い農家のこの家は、二階建てだけれど大勢の人が訪ねてきたとしても一階の大広間で十分こと足りていた。二階は物置に使われ、家族の者も上に上ることは殆ど無かった。

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