第4話 しわくちゃ笑顔
「さてっ……と。うん? おいタカ何している? 着いたぞ」
バイクが止っても僕は必死だった。
「落ちたら死んでしまう……落ちたらだめだ。落ちちゃ・だ・め・だ!」
目をつぶったまま、懸命にがっちりと爺ちゃんの腰にしがみついていた手がポンと叩かれた。それでも呪文のように「落ちる」を唱えている僕。
「タカ、婆が待っている。そろそろ降りろ」
「え? もう落ちない? 大丈夫なの……?」
爺ちゃんの家に着いたことに気が付き、そぉーっと目を開く。バイクの助手席から見える景色は普段僕の見る景色よりもずっと高くて、上から見下ろす景色だった。高い視線から上下左右全方向に、いつもとは違う風景が僕を包んで大きく広がる。
遙か高い青い空には大きな雲が幾つも浮かんでゆっくりと動いている。視線を下に向けると見覚えのある、くすんだ茶色の土がバイクの足下からずっと続いてエンドウ豆が植えられた畑につながる。その先の木材で組まれたやぐらに立てかけられた柵には、緑のキュウリと真紅のトマトが連なっていた。
大地の茶色に乗せられたエンドウ豆とキュウリの緑、トマトの赤、やぐらに絡みつくブドウの蔦にはぎっしりと詰まった小さな紫の粒。どれも夏の強い日を浴びて鮮やかな色をしている。
夏の日差しや強い太陽の力を調整する広葉樹の木々の茂みが奥に見える。そして茂みの間からはクリーム色に塗られた壁に赤茶けた屋根の家。
トタン屋根の爺ちゃんの家は十年前までは茅葺き屋根だった。手直しされているけど、建てられてから百年以上は経っている。家を囲む茂みの木々も百年以上も家を守っている立派な木だ。
優しくて懐かしい風景が今年も変らずに僕を向かえてくれた。大きな木で隠れている家の玄関が開き、婆ちゃんが現れた。いつ来ても少しも変わらない、この家と婆ちゃんの姿。
「婆ちゃんが待ってる。急がないと。えっと、どう降りたらいいかな?」
すぐにでも大好きな婆ちゃんの所へ行きたいのに、僕が乗っているどでかバイクのシートは高くて、うまく降りられない。足下を見渡していると、爺ちゃんがゆっくりとバイクを左に傾けてくれた。つま先が地面につき、僕は爺ちゃんに捕まりながら、おっかなビックリ地面に降り立つ。バイクの振動と強い風に打たれていたせいで体中が痺れていた。歩き出した僕はふらふら状態。
日帰り温泉に家族で行った時、僕はいたずら心でマッサージ椅子に座り百円を投入した。パワーが最大にセットされていたマッサージ椅子が僕の小さな体を大きく強く震わせた。
百円分のマッサージが終わった時には僕の体からは力が抜けて、心臓だけがドックンドックンと脈を打っていた。
「心臓が悪い人や子供には強い振動は良くないんだぞ」
その時にお父さんに言われた言葉を、強い光の中で思い出す。
「ふぅ~すぅ~」
体と意識をハッキリさせるために何度か大きく息を吸う。澄んだ空の青と地上の強い緑、二つの色に挟まれた僕の体を心地いい風が触っていく。徐々に体の感覚が戻って僕の歩くスピードも上がる。そして僕は赤茶けた屋根の家の玄関で僕を待ってくれている人の元へと駆け出す。
畑の間に敷かれた細い道。車は入れないし舗装もされていない。人が通るのがやっとの畑の道は踏むととても柔らかくて、靴を土が吸い込んで僕の歩いたとおりに小さな足跡が残っていく。
パリパリと後ろから何かが折れる音がして振り返ると、爺ちゃんがバイクを押して納屋に入れていた。僕が聞いた音は、どでかバイクが道にある乾いた草木をタイヤで潰している音だった。僕は前を向きなおして玄関へ。僕を待っているしわくちゃの笑顔に向っていく。
玄関に着きヘルメットを脱いだ僕の髪の毛は滴るくらいの汗を含んでいて、ポタリポタリと滴が落ちる。僕の髪の毛をとかすように、大事なものに触わるように、婆ちゃんが優しく僕の頭を撫でてくれた。
僕はお母さんのすべすべで綺麗な手が好きだ。でも婆ちゃんの深いしわが沢山刻まれている固い手も嫌いじゃない。
「婆の手はゴツゴツしていて、タカ、ごめんな」
白い手ぬぐいで、僕の髪から滴る汗を拭いてくれる。ゴツゴツの固い手でも、婆ちゃんの手は心地良かった。しばらく身を任せていた僕は、ハッと思い出す。
(礼儀正しくしなさいよ。挨拶もちゃんとしてって、お母さんが言っていた)
「お、おせわに、な、なります……婆ちゃん、これ!」
僕のできる精一杯の挨拶をして、背負ったリュックからお土産を取り出す。家を出る前にお母さんと何度も練習したのに、挨拶はうまく言えなかった。そのことが恥ずかしくて下を向いた僕を、婆ちゃんは抱き寄せてくれた。
「良く来たね」短い言葉だった。
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