第2話 甘酸っぱい幼なじみ
電車に乗っている間ずっと続いていたのは、今日これからの出来事に対する想像と心の葛藤だった。それも間もなく終わり、すぐに決断と行動が迫られる。町の駅が近づいてきたからだ。
同窓会の会場までは駅から直接タクシーで横付けするのが正しい大人の行動だろう。だが僕は千鶴と二人きりで話がしたかった。クラスメートに会うよりも先に、ある提案を彼女に話したくて、僕はホームに降り立つと素早く周りを見渡し、迎えに来てくれる約束になっている千鶴の姿を探した。
身を隠しながらキョロキョロと周りを見渡す、挙動不審な僕の背中がトントンと叩かれた。
「もし、お主、誰をお捜しかな?」
聞き覚えのある声に振り返ると、高校生の時とあまり変わらない、薄化粧をしていても十年前の面影そのままの長内千鶴が居た。墨を溶いたような長い黒髪が、時折吹く秋の風に流され、生まれつき白い頬と大きな瞳にかかるのを、右手で押さえ、前髪を整える仕草をする。その仕草は高校の時と変っていない。
「お帰りなさい、タカ君」
「え、えーっと……ただいま、千鶴」
千鶴の長い黒髪と大きな瞳は変らなかったが、初めて嗅ぐ微かな良い香りに、僕は緊張気味で返事をした。お互い大人になったのだという気がした。
千鶴は微笑みを浮かべて僕を見た。
「不審者さん、久しぶり過ぎてわたしの顔を忘れたの? あなたが電車を降りてからずっと手を振っていたのに、全然気がついてくれないのはどうなの?」
僕が見つけてくれなかったと、千鶴は少々不満そうだった。
「あ、えっと、ごめん。ちょっと考え事をしてたんだ」
「ふーん、まあ、許してあげる。久しぶりの故郷だし、わたしも変ったから……それで、これからどうする? タクシーでこのまま同窓会の会場へ行く?」
これからのことを決めたい、大人になった千鶴の言葉に僕は大いに照れながら、電車の中で考えていた提案を彼女にする。
「同窓会が始まるにはまだ早いよね……だからさ、出来たら一緒に……行かないか」
歯切れが悪い僕に千鶴は簡単に答えを出す。
「そうね、まだ早いかな。じゃあ、一緒に学生時代に歩いた道を歩いて会場へ行ってみる?」
拍子抜けする僕を千鶴が見つめる。
「あのね、もう高校生じゃないの。貴志君がわたしに声をかけても一緒に歩いても、町の噂にはならないよ。それに噂になったとしてもいいじゃない? 今なら……ね!」
右手で前髪を整える千鶴、その仕草にドキドキして緊張する僕の様子は、千鶴にはよそよそしさを感じさせたようだ。
「タカ君に会うのをわたしは楽しみにしていたんだけどなぁ。会ってガッカリした感じ?」
寂しそうに視線を落した千鶴にドッキリして直ぐに首を振って答える。言葉が多少棒読みになるのは緊張しているから仕方がない。
「い、いや、十分以上だよ」
何が十分なのか主語はなかったが、千鶴には伝わったようだ。
「うん、ありがとう。少し学生時代に戻った気がする。タカ君だから特別……かもね」
彼女は嬉しそうに、いつも一緒だった学生時代を思い出したのか、ちょっぴり顔を赤らめて言った。
「じゃ、行こうか。あっ、でもちょっと待ってね!」
千鶴は断りを入れると大きく息を吸い込んだ。そして大きな声で呼びかける。駅で待ち合わせをして一緒に同窓会の会場に行く予定だったクラスメートに。故郷の訛り入りの声が駅の待合室に響く。都会では聞けないこの町に溶け込む言葉だった。
「みんなぁ、ごめんなぁ~。同窓会へは先に行ってけれ~。すぐに追いつくからなぁ~」
千鶴はギュッと僕の右腕を抱くようにすると、長い黒髪を僕の肩につけた。
「それじゃ行こっか、タカ君! みんなはまた後でなぁ~」
「お熱いね。お二人さん。学生時代と変らないね!」
クラスメートが、はやしたてる中を二人は歩き出す。次の角を曲がると駅が見えなくなる前に、千鶴は体を返して大きく手を振った。彼女を見習って僕もぎこちなく手を振ると、クラスメート達は笑顔で手を振り答えてくれた。
角を曲がり二人きりになると、僕と千鶴は、しばし無言で秋の川沿いの土手へと向う。高校生だった頃に、よく二人で歩いた桜並木。一段高い土手に上がる階段の途中で、千鶴が先に口を開いた。
「わたしね……ずっとタカ君がいいなぁ、そう思っていたの。小学校の時からだよ」
いきなりの告白めいた言葉に一瞬動揺したけれど、悪戯っぽく笑う千鶴を見てサービス入りの言葉だと気がついて、僕も彼女への好意的な気持ちを伝えることにする。
「しとやかで女の子らしくて……僕もいいと思っていたんだ」
「なぬ……しとやかだって? このわたしが?」
僕を覗き込むように首を傾げた千鶴の顔には笑みが浮かぶ。土手に上がる階段を上りきった二人の前に、快晴の空と強い川のきらめきが広がった。
「子供の頃、よく遊んだなぁ。この川でさ。すごく懐かしいな」
銛を持って魚を突いて、獲って遊んだ記憶があるこの川は、川幅が狭く流れる水流も激しかった。全く治水されていないことで、川は魚の宝庫となり良い遊び場を提供してくれたが、代わりに時折氾濫し洪水を招き、町に被害を与えることもあった。
今はコンクリートで固められ、洪水を起こすことはない。魚もいなくなった。流れも静かに浅くなった川。自然災害による人間への被害を減らすための自然への整備は、僕が子供の頃より進んでいた。それは必要なことだと思う。でも、帰ってこない魚を懐かしむ気持ちも僕の中には残っているのに気が付いた。
「この川は随分大きく立派になったね。ちょっとだけ残念かな」
僕の懐かしさと寂しさが分かったのか、千鶴は僕の言葉に続けて口を開く。
「自然を壊して人がした治水。でもね、それよりもずっと昔から、この土地を守ってきたものが今でもあるんだよ。あれ見て! 覚えているかな?」
千鶴が指を差す先には小さな祠があった。祭られているのはこの川を守る道祖神で、僕らは土地神様と呼んでいた。
土地神様……その名に僕は砂を被ってしまった、幼い自分を思い出す……
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