けちょんけちょんにけなされてきた日(令和四年四月一四日木曜日)

 しんどさ二/一〇ねむさ三/一〇

 万歩計五七八一、小指手術後五九日目。

 当日ではなく令和四年四月一六日の夜中に書いている。書く時間が取れなかったからだ。

 今日は眠れず、夜中四時から九時半まで目をつむって断続的に横になっていただけだった。意識が途絶える時間は三〇分程度あっただろうか。何を考えていたかというと、特に何も考えていなかった。つとめて考えこまないようにしていた。暗く辛い考えになるからだろう。眠れなくて苦痛ではあったが、気分の落ち込みは感じられなかった。途中朝食と薬を飲んだ。

 訪問看護のチャイムで起こされた。挨拶をして早速、訪問看護が始まった。議題は先週の父母を含めた四者面談とオマケで草径庵での作家先生との打ち合わせだ。比重は四者面談についての方が多かった。四者面談後、今週水曜日にデイケアスタッフ氏と振り返り面談をして、父と俺の意思疎通のできてなさ加減をスタッフ氏がどう感じられたか?という点が気になったのでそこをこだわり聞いた話を重点的に話していた。

 父の話はモノローグ的すぎて、俺との言葉のキャッチボールは感じられなかった。俺と母の間には言葉のキャッチボールが感じられていた事を訪問看護の人、デイケアスタッフ氏にも伝えた。言葉は通じるが意思疎通が壊滅的に駄目だったのを改めて実感したのだった。今までよく頑張ってきたじゃないかと俺自身をほめたい気分になっていた。そして意思疎通ができない父に改めて絶望感を持つのであった。

 というような事も話した。事実と感情の分離が難しい。対応すればするほど言葉で父を殺せたかも知れない件についても話した。それは父に俺がされてきた事の仕返しでしかないのでやったらスッキリするかもだが、後味は悪そうなのでやらなかった事も訪問看護の二人に伝えた。

 訪問看護は終わった。次回の予約を入れ、シャワーを浴びた。少し予定より早いが文芸サークルに出かけた。

 移動して洋光台駅前についた。昼食をどこかで食べてから文芸サークルに参加しようと思ったのだ。少しうろついて志ん多く(しんたく)という変わった名前の居酒屋のランチ看板を見つけ、板長おまかせ刺身定食一一〇〇を注文した。少し待ってたら刺身が舟盛りでやってきた。二切れ八種くらいか、刺身がえらい豪勢な感じでやってきたので思わず写真にしてツイートしてしまった。

https://twitter.com/wanderingdj/status/1514433317734879234

 ご飯のおかわりを少しの量して、薬も飲み会計をして店を後にした。洋光台のランチのレベルが高すぎでしょ。弘明寺で刺身定食つーたら庄やの刺身三点盛り九五〇円だもの、比較にならない。そういえば、後からきた客が本マグロ丼を連続で注文していたので、次回はそちらを注文してみようかと思う。文芸サークルの日にランチするなら志ん多く(しんたく)に決まりだなと思った。美味い刺身と煮魚で大満足だった。

 徒歩で移動して文芸サークルの場所へやってきた。名前を告げて会場貸出の道具一式を渡された。俺が一番乗りだ。

 文芸サークルではけちょんけちょんにされた。文芸誌「龍」の感想文と、修正加筆した手術当日の日記を持って行ったが、不評だった。手術当日の日記については修正箇所は全部。書き直しだった。心理描写が壊滅的にないのを指摘された。手術を全面に持っていく構成も不評だった。大手術ではなかったから、老人や老婦人には出産や大手術の経験者があるからこの程度の手術ではネタにすらならないのだ。もっと手術に至る心情を書いたり、バランスボールでキャッチボールするという異常事態や、それをキャッチ失敗した時のやり取りを書くようにと指示された。

 参考にけちょんけちょんにけなされた作品を貼っておく。

https://kakuyomu.jp/works/16816452218926753690/episodes/16816927860805314631

 お前ら、作品を持ってこず、俺の作品に好き勝手言いやがってふざけんな!と思ったりもしたが、そりゃ逆ギレで言いがかりだろうと感情を抑えていた。言われたのは友人の野糞のような面白い話をかけるのに、それ以上を期待していたのだが、とも言われた。知るかそんな事。とも思った。あれは何十年と温めた話だからエネルギーが違うんだとも思った。言われると自分自身への批判や指摘に感じられて反応しちゃいそうになっている自分にも気づいた。作品と俺は違うのに。

 多分、今思って書いているような事をもっと書けと言われているのだろうなと思った。極力そういう感情の起伏は排除した日記を書いているからなのだろうか、相性が悪いというか、行動記録表から文章を起こすのは難しいなと感じていた。

 それと高校生の頃やきとり屋でバイトした話を六月に持って行くように注文された。今のをリライトしたのを先生はよんだ上で言ったのかも知れないが、大幅に書き直す必要があるかも知れないなとも感じた。やべー、文学者してるじゃん俺。

 文芸サークルは俺の作品の批評のみで終わってしまい、自分史について作家先生への相談はサークル後の商業施設奥にある喫茶コーナーで行われる事になった。作家先生の俺の自分史への指摘を俺はどう処理すればいいか分からなかったので実例をあげつつ、質問していった。「もう少し家庭環境がわかるよう書きなさい」は「思い出せるエピソードを挿入して、それに付随するように大雑把な部分を描けばいいのだろうか」といった具合にだ。

 作家先生の言わんとする事は把握したものの、何をどうかけばいいか本当に分からない。

 三〇分から小一時間喫茶コーナーでコーヒーを飲みつつ、雑談を交え八五才のおばあちゃん作家先生と過ごすなんて、誰が想像できた?俺は未だにこの行動が自分でも理解できていない。ババアは基本的に嫌いじゃなかったのか俺は?

 商業施設でそのまま作家先生と別れ、トイレを済ませてから帰宅への移動を開始した。小一時間で帰宅した。

 帰宅してから文芸サークルで受けた衝撃を忘れたかったのでトピア(スマホアプリ)を起動してカラオケしまくっていた。気づいたら日付が変わった午前一時までカラオケしまくっていた。バカである。

 くやしくて日記を書いてる時間も作らなかった。作品に手を入れる(ほとんどゼロから構築しなおしだ)事すらしなかった。考えなかったけど、精神は荒れていた気がする。

 誰かに愚痴ればよかっただろうか。自分の中で処理するのに時間がかかってしまった。

 スマホアプリに夢中になっていたが、とりあえずコンビニ飯の夕食と薬はちゃんと飲んだ。そこはえらいぞ俺。

 というのを二日後の深夜に書きはじめた。悔しくて涙目になってきてしまうのを感じている。俺への攻撃に感じてしまうのだ。この認知の歪みが俺の病気そのものと言っていい。クソムカつく。と言ってしまっては身も蓋もないなと思ったりもするのだ。冷静になれ俺。

 このまま金曜日の日記も書いてしまおうと思う。それではまた後で。

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