右手の小指を手術してきた(令和四年二月十五日火曜日)

 しんどさ5/10、ねむさ5/10、万歩計4024歩

 説明しよう!令和四年二月二日に、病院のデイケアにて、バランスボールという大きなゴムまりでキャッチボールをしていたら、突き指をした。骨の異常が見つからないかとその週末、二月四日の金曜日にレントゲン撮影をしたら骨が小さく骨折していた。

 今日はその小さな骨折をした骨を固定する、経皮的鋼線固定術(けいひてきこうせんこていじゅつ)という手術をする日だ。昨日には手術室に入る前のPCR検査も済ませ、新型コロナ陰性であることも確認済みだ。

 昨晩は午後十一時に横になったが眠れず、確か午前一時には寝ていた。記憶が曖昧だ。

 今朝起きたのは午前三時だった。手術は午後一時からの予定なのだが、ずいぶんと早くに起きてしまった。

 眠れず動画配信サイトでときめきメモリアル(ゲームの名前。今時はゲームを遊ぶだけではなく、ゲームをしている画面を配信する事によって、ゲームを見る娯楽が成立している。ときめきメモリアルは、きらめき高校の三年間を追体験する事ができるシミュレーションゲーム)の配信を見はじめた。丁度、高校卒業の時期で、配信者は藤崎詩織(ふじさきしおり、ときめきメモリアルのヒロイン。赤く長い髪とヘアバンドが特徴。おつきあいするのが大変難しいのでラスボスとも呼ばれている。)を狙っていたようだが、虹野沙希(にじのさき、ときめきメモリアルの登場人物の一人で青いショートカットが特徴。ファンも多い。その理由は攻略が手軽な点と、主人公を励ますセリフが多いからだと思われる。)が告白に出てきてしまっていた。とはいえ虹野さんもいいよね。その昔、虹色の青春(という題名の映画的ゲーム。主人公はサッカー部員で部活のレギュラーを目指し日々練習をし、虹野沙希と仲を深めていくため交流していく)で号泣した事を思い出していた。その後、カクヨム(小説投稿サイト。文芸サークルと違って基本無料で自作小説を公開できる。類似サイトに「小説家になろう」等が存在する)を読んだりツイッター(短文投稿サイト。日本語だと一四〇文字しか投稿できない。画像や動画も投稿できる)をしていた。

 午前四時になった。自分史の校正をしていた。祖母ががんに罹った頃の話題を挿入した『麻雀と俺』をカクヨムに公開したり文章作成ソフトで本文に挿入していた。

https://kakuyomu.jp/works/16816452218803644962/episodes/16816452218855752455

 自分史の校正をしながら、四ツ辻まよい(よつつじまよい。羊型天使の姿をしている女性配信者)のバレンタイン配信の動画記録をバックグラウンド・ミュージックに再生していた。

 午前五時になってもその作業は続いていた。ついでにカクヨムを読んだりしていた。

 午前六時になった。隣のコンビニエンスストアでサンドイッチとピーナッツコッペを購入しての朝食、朝の薬も飲んだ。パソコンの家計簿を入力した。動画配信サイトでは天気予報を流していた。

 朝食後にはパソコンの文章階層をまるごと保存していた。自分史や日記や文芸の文章は喪失したら悲しいから保存は重要なのだ。なのに忘れていた。手動で保存はあんまりよろしくないのだが、グーグルドライブ(グーグルが提供している書類や情報の保管庫)に手動でバックアップ(本来の意味は「支援する」ここではコンピュータの他の場所へ複写を保存することで、文章の消失に備える事を示す)なので自動化できない、仕方ない。

 午前七時になった。先日からうっすらぼんやり考えていた自分史の追加原稿『のらDJとは何だったのか?』の執筆に取り掛かった。一気に進むかと思ったが集中力に欠いており、午前七時半ごろには博衣こより(はくいこより、女性の配信者でホロライブプロダクション・秘密結社ホロックスに所属している。甲高くかわいらしい声が特徴)の朝こよ(番組名)を見ていた。見ていたが内容は覚えてない。

 午前八時になった。ツイッターをしたり動画配信サイトで短い動画を矢継ぎ早に切り替え見ていた。

 何時に寝たか忘れたが仮眠をとった。午前十時二十四分に起きた。着替えと歯磨きをした。早いが昼の薬を飲んだ。なぜなら水を飲めるのが午前十一時までと指定されていたからだ。ちなみに食事は朝食までと制限されていた。

 かなり早目だが、午前十一時過ぎに自室を出て聖隷横浜病院へ移動を開始した。歩きで井土ヶ谷を経由してのバス移動だ。昼の十二時には病院の中で待機していた。

 売店で三角巾を購入して、診察受付にある採血センター前に座った。母と叔母にライン(韓国生まれの短文受送信サービス。スタンプや通話、画像の受送信もできる)をした。「早くついて退屈している」と。

 昼の十二時半になった。地下一階の手術室受付に移動すると、医者が待ち構えていた。執刀医とは別の人だ。挨拶を済ませ、家族控室という三畳間くらいの狭い部屋へ案内された。家族控室は長椅子とテレビが用意されており、俺はNHKで北京五輪のカーリングの中継を見はじめた。待機時間が長く感じられた。

 午後一時すこし前に呼ばれ、手術室受付に再び案内された。更衣室をうながされそこで手術衣に着替えた。ついに手術がはじまるぞと期待で胸をおどらせていた。

 手術直前の打ち合わせがはじまった。看護師から最終確認が行われる。左手に白地に名前と生年月日と患者番号が書かれた帯をまかれ、手術をする右手には色付きの帯がまかれた。歩いて手術室へ移動だ。途中で手をよく洗って紙布巾で水分をよくふいた。

 手術室は複数あるが、どこを使ったかまでは記憶していない。奥の方だった。広さは十二畳くらいかもっとあった。天井から画面付き機械式の腕が伸びているのが特徴だった。部屋の中央には手術台があり、そこへ横になった。右手側にも台があり、まるで鏡文字のトみたいに見えた。

 手術台は暖かく快適だった。どうやら右手小指にレントゲンをしつつ、鋼線(ワイヤ)を埋め込む作業をするようだ。そのため鉛の前掛けをした。重たかったが苦痛はなかった。

 左手には血圧形の帯がまかれ、抗生剤の点滴が入り、指先には何らかの検知器が挟まれるのであった。眼の前には緞帳がひかれ、右側の視界が遮られてしまった。手術を見物したかったのに残念。胸には心電図の検知器がはられた。やがて眼鏡も取り上げられてしまった。視界がぼやけてしまった。

 麻酔をするまでが結構長かった気がする。あの準備時間はなんだったのだろう。術式の段取りが結構重要だってのは分かったけれども。というのも執刀医が手術室に入ってから、画面の位置調整、レントゲンの位置調整、医者同士の立ち位置調整と、舞台か何かの予行演習のような感じを受けたからだ。

 たっぷりのアルコールで右手全体を消毒してからが早かった。局所麻酔が小指根本、左右にたっぷりと注射されるのを感じた。右手の先の感覚が無になっていた。人差し指は動かせるが右手小指は動かすことすらできなかった。

 そこから先はよく覚えていない。少し眠たかったのと、右手小指の感覚がないからだ。何かされてるのはわかるが具体的な説明は特になかった。ただドリルで穴を開けて削る音は聞こえていた。鋼線(ワイヤ)を指先に埋め込む作業音だろう。なんの工具を使ったのかさっぱり分からなかったしドクターに聞けなかった。

 ワイヤの種類か何か「K2」とか言ってた気がするがそれも覚えてない。記録しておけばよかった。

「はい終了ですよ」みたいな声掛けはなかったような気がする。いや、看護師の一人が術式開始と終了時に執刀医とカルテの読み上げをしていたような気がするのだが、いつの間にか開始していつの間にか終了した気がする。そんな印象をうけた。

 汚れた右腕をたっぷりのアルコール綿で洗浄してるのを感覚で知ったと同時くらいに右手小指から痛みが走るのを感じられた。ついに麻酔が切れて痛みがやってきたのだった。

 術後の説明会は、麻酔の影響か何かでぼんやりしていた。病院のカードをどこかに忘れたのが発覚した。上着のポケットから落ちていた。ものすごく慌てた。

 処方箋が提示され、痛み止め、胃薬、抗生剤が処方されていた。痛み止めは薬局ですぐに飲んでも構わないとの事、たしかにそうした。それでも痛さは変わらなかったが。

 着替えて、右手を三角巾で吊られ、左肩にかばんを背負い会計を済ませ、病院を後にした。時刻は午後二時半を過ぎていた。「手術は三十分ですよ」と言っていた台詞は一体なんだったのだろう。もっと時間が経っている気がしていた。

 右手を使えない移動がしんどいのでタクシーを使ってしまった。商店街まで千三百円。薬局で処方箋を出し、処方薬を受け取り、痛み止めをその場で飲んで、コンビニエンスストアに寄り道し、ゼリー飲料を購入して帰宅した。右手小指はひどくしびれ痛むのであった。

 痛みはまだそれほど苦痛ではなかったので、ゼリー飲料を飲んでから抗生剤を飲み、パソコンの行動記録表と家計簿の入力をするのであった。

 精神の診療所と福祉の担当者と病院のデイケアに電話の連絡をして手術が無事に終わった事を報告した。精神の診療所の訪問看護の人から折り返し電話があり、来週の火曜日の午前に訪問看護をできないかと打診があったので了承した。

 今週と来週の木曜日は予定を変更して、右手小指の消毒とレントゲンと診察になったからだ。右手の小指優先で予定を立ててしまった。三月は木曜日に外郎会があるので外したいがどうなることやら。

 気づいたら午後四時になっていた。わんこわんわん(という名前の女性配信者で、見た目は犬と人の合成)のドラゴンクエスト4(国民的有名ゲームの事。魔王を退治する勇者に扮して戦う事ができる)の配信の続きを見つけたので視聴したが、右手小指の痛みでそれどころじゃなくなってきた。配信はつけたまま部屋のなかを痛くて我慢ができなくなり、右往左往した。痛みで座ってられない。そのうち痛みが少し引いてきたので寝台に横になって配信を見ていたが寝落ちしてしまった。

 起きたのは午後六時をすぎていた。まだわんこわんわん(繰り返すが人の名前だ)のドラゴンクエスト4配信は続いていた。物語は丁度、第四章(ゲームなのだが区切りがあって、章立てで進行する)で最初にキングレオ城に入った頃のようだった。そこから火薬のツボを入手するくらいまで配信は続いていた。配信が終わったのは午後七時を過ぎていた。

 その配信を聞きつつ今日の日記を書きはじめた。痛みは最大値から少し下がった。今は心臓の鼓動に合わせた痛みの循環はしない。この後コンビニ飯の夕食にして……って、右手が痛いのに箸やフォークを握れるのだろうかという不安があるが、現時点でパソコンを使ってこの日記を入力できているのだ、おそらく問題ないであろう。推敲の前に腹が減ったので隣のコンビニエンスストアへ行ってくる。

 隣のコンビニエンスストアでトマトガーリックソースのパスタを購入してきての夕食にした。電子レンジで温めている間に家計簿を入力した。パスタはトマトとニンニクの味が強くきいており美味しかった。夕食後には夜の薬も飲んだ。痛み止めと抗生剤ももちろん飲んだ。

 バックグラウンド・ミュージックは小花衣ももみ(こはないももみ、成人小学生配信者。ピンクの髪が特徴。配信者歴は結構長いらしい)の匿名の質問に答える形式の雑談配信だ。声の特徴がよい。パスタを食べてから推敲と追記をはじめた。

 今日この後は適当な時間に寝るとして、明日はどうしよう。痛みが気にならないのならば病院のデイケアに行き、塗り絵と社会復帰プランに参加しようかと思うが、水曜日午前中の予定が……絵画(塗り絵)しか選択肢がない現状が気に入らないのだ。変なこだわりが出てきている。明日も休みで昼間寝てしまおうか迷う。昼間の活動量が増えるのと、昼飯代が浮くので病院のデイケアに行った方が長期的に見てお得なのだが……。

 木曜日が手術跡をきれいにする処置だ。それまでに膿んだりしなければいいのだけれども、順調ならいいな。

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