番外 麻雀と俺
唐突なのだが、小学生に徹夜麻雀をさせる父親がいる。毒になる親だと言い切っていいだろう。
令和四年からだと、ざっと四十年前、小学生の頃の俺は、なぜか親の徹夜麻雀に付き合わされていた。麻雀への興味がゼロではないが、徹夜するには幼なすぎた。
「ううー眠い」
よく覚えてるのは祖母、父、母、俺の四人で食卓を囲み、母親がスーアンコをツモった事だ。
しかしなんで俺は麻雀なんかしているのだろう。人数が足りないからなのか?にしても夜遅くまで麻雀させられる意味は?などと自問していた。答えはない。あるのは父親からせかされるツモの順番のみだ。
どれだけしんどかったかというと、その後対人で麻雀をする機会はゼロに近くて、ゲーム機の麻雀でコンピュータ相手に対戦はすれど、誰か友人や知人と麻雀したり雀荘デビューする事もなく、ただ苦痛なのと一通りのルールだけは覚えている程度にしんどかった。
今思えば、麻雀は嫌いだけど好きという感情だった。当時は気づかなかったけども。
この時、祖母カツ子は既にがんに侵されていたらしく、調子が非常に悪かった。自身の信念である「病院嫌い」を曲げて病院を受診する予約をしてたそうな。それが徹夜麻雀をする事によって遅れたらしい。
カツ子は激怒したらしい「私がこんなに苦しいのに、徹夜麻雀してるとは何事だ」と。そしてすねたようだ「私が信念を曲げたのに何事か」と。その結果ががんで死ぬ数年の間家の中が冷え切っていた状況だったようだ。なんてこったい。
この徹夜麻雀の発端は、俺が麻雀に興味を持った事から父親がそれに喜び、過剰反応をして徹夜麻雀に発展した「かも知れない」という事もあったろうに。ひょっとしたら俺かよ連鎖反応の最初は。この件で祖母に思う所は特に無く、たしか祖母も徹夜麻雀に夜中の二時くらいまでは付き合ってたような気がしてるんだよな。でなければ人数が足りてないからさ。あれれおかしいなあ。
一方、あれから数十年が過ぎていた。俺はユーチューブで麻雀の配信を見る程度には麻雀を好きになっていた。
ふと、過去の苦い記憶を思い出していた。家族麻雀をする事が苦痛だった事だ。
画面の左上部をつかって麻雀をする楠詩桜が画面の右下にいる。そんなレイアウトで淡々と麻雀の実況配信は続いていた。
配信を見つつ俺はフラッシュバックを起こしていた。まるで今この場が小学生の俺が経験した家族麻雀の卓のように。苦い、苦い記憶だ。つらい、とてもとてもつらい記憶だ。
しかし、一方で楠詩桜に感謝している俺もいた。フラッシュバックしつつも「ああとても今苦痛を感じているのだ、昔の家族麻雀は苦痛だったのだ」とメタな認識をしている自分に気づけたからだ。
楠詩桜がちょっと昔に
ところでその麻雀だが、頭が悪い俺はちっとも上達することなく数十年が過ぎてしまった。勉強しても頭にはいってこないのだ。この異常な感覚は言語化するのが難しかったけど、最近やっと言語化できた。異常というか「頭が悪いだけ」なのかもしれないけど、それにしても理解の限界がちかすぎじゃないかとも。
令和四年の年始には、にじさんじというバーチャルライバーグループの麻雀大会配信が雀魂で行われ、それを長時間視聴する程度には「見る麻雀」として好きになっている事を付記しておきたい。
これはにじさんじ所属のルイス・キャミーや舞元啓介といったライバーや、個人勢の天開司といったVtuberの麻雀配信を見ているからだと思われる。
第三者の麻雀配信を「見る」ことで、俺自身の麻雀の辛い記憶を客観的に「知り」苦痛が緩和される、それは見る認知行動療法と言っていいだろう。それは言葉に言い表せないくらい、ありがたくおもっている。そしてこの部分を修正している令和四年八月一日には、天開司が主催の神域リーグ第七節(第一九~二一試合)が配信中継されるのだ、見る前から燃えてるぜ!
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