四者面談してきた。得るものはなかった(令和四年四月八日金曜日)

 しんどさ2/10ねむさ5/10

 万歩計6858、小指手術後五十三日目。

 昨晩は〇時すぎに寝た。今朝は夜中の三時に起きてしまった。二度寝するつもりが六時までカラオケアプリのトピアで遊んでいた。

 現実逃避だった。今日の四者面談はそれほどプレッシャーが強かったのだ。

 父にダブルバインドを止めて欲しかったと伝える事がどれだけ難しいか。予想では絶望に近かった。

 それらを考えるのは止めにした。そのためのカラオケアプリであった。

 無情にも朝六時になったので、ゴミを出し、隣のコンビニで焼きそばパン、ナイススティック、飲むヨーグルトを購入しての朝食、朝の薬も飲んだ。ルイス・キャミー(にじさんじ所属の女怪盗ライバー)のキャミラジを少し見たが内容は頭に入ってこなかった。トピアで夜顔さん(配信者ではなくただのユーザだが配信もしている歌声がきれいな女性、縁あって配信を観に行く関係になった)の配信が始まっていたのでそちらを優先してログインしていた。

 七時になった。出かける支度をしていた。歯をみがき、洗顔し、着替えた。気まぐれで体温を測り八時すぎに自室を出た。

 徒歩とバスで病院のデイケアについた。朝会もサクッとすませて、午前のプログラムに入った。午前は個別活動で俺は前半は読書。後半はソファで横になって休憩していた。三時間しか寝ていないのは神経に来るものがある。イラつきはなかったが落ち着きのなさと何らかの精神の高ぶりは感じられていた。

 昼の給食は鶏肉のトマト煮、コンソメスープ、大根サラダ、米飯だった。もう少し肉の量が欲しかった。昼の薬も飲んだ。

 午後のプログラムはWRAP(元気回復行動プラン)だった。クライシス後の回復期についてまとめる回だった。内容は非公開のためこれ以上は触れない。四者面談が近づいていて神経の高ぶりは最高潮だった。

 午後のプログラムも終わり、片付けをしてデイケア室に戻ったら、両親が入口ちかくのソファに座っているではないか。動揺した。

 会釈をして動揺を隠しながら帰りのミーティングをしていた。ミーティングが終わりデイケア室の奥の作業療法室でデイケアスタッフと俺と両親の四者面談が始まった。一五時半だった。

 デイケアスタッフ氏の進行で面談がはじまった。挨拶と俺に関しての説明があり、うながされて俺から父親へ最も言いたい事を伝える事ができた。

「愛していると言いながら殴るような行動は止めて欲しかった」と。

 これはダブルバインド理論という、典型的な病む子どもにたいして親がしている事の一つで、愛するのか殴るのかどちから一方にしてくれないので混乱するというヤツだ。それを俺は親父に止めて欲しかったのだ。

 だが、言いたいことは伝わらなかった。親父のオンステージが始まったので俺は黙って様子を見ていた。いつもの嘘「夢に見る」がキーワードとして出てきた。俺に嘘をつかせたときに使ったキーワードが「夢に見た」だったので、嘘だと断定していた。夢に見るならばそのディティールの曖昧さに言及したりするだろう、それがなかった。空疎だった。言葉を受け止め、ボールを投げ返すような事はなかった。父親のモノローグは続いていた。罵倒したくなるのを俺はこらえていた。何らかの対応をすればよかったが、つとめて見(けん)に徹してみた。進行はデイケアスタッフ氏に任せたので俺は反応せず見守っていた。一体病んでるのは俺じゃなく親父じゃないのか?とか思ったりもしていた。言葉にならなかった。反応したら負けだったので対応しようにも、適切な言葉のやりとりが見つからなかった。

 一方で母親からの「生みの親についての話しを俺は知りたいのではないか」という言葉には対応できたと思う。それについては既に自分史のゼロ才児の頃に加筆修正しているのだ。

 ここで分かった事は、両親は俺が「自分史を資料として読んでおいて」と言った事にたいして、ちゃんと読んでなかったという事だ。とりあえず言いたい事はうまく言語化できない部分もあったが、書いてあるのだ。

 ここで合点がいった。はじめから読む気がなかった。ないし読まなかったのだ。意思疎通ができないというか、そりゃ読むの大変だものなあと気遣いしても空疎だった。

 身内向けに書いたものが身内に読まれず、外部の人間に読まれる皮肉よ。萎えた。

 父親の言った虐待の記憶は祖母のなくなった時期の事柄を指し示していたが、感情的になって殴ったのはその一回だけじゃなく、数多く殴り、そして「愛してる」と言うなり抱きしめるなりしてきたのを忘れている。加害者はそんなものだ。覚えてないのだ。

 ここで加害者はいつもそうだと断定したくなるがそうではないのだ。そんな主語を大きくしたくない。この父親はいつもそんな感じで投げたボールがまともに帰ってこなかったのだ。

 それを指摘すればよかったのか?俺は指摘しなかった。呆れていた。萎えた。殺そうとまで思っていた父親がこれほどまで情けない人だとは思わなかった。

 父親も卑怯だった。俺の言いたいことを無視した。否定も肯定も何もしなかった。だいたいいつもそんな感じでコミュニケーションがまともに帰ってきた事がなかった。父親も俺と同じような特性を持っていたと確信できた。だから萎えた。

 デイケアスタッフ氏にこれを伝えるのが怖い。コミュニケーションを取れていたようでその実ボールは全然投げ返されてなかったのに気づいているだろうか。だから四者面談が終わった時に「感想戦しましょう」と伝えたのだが、伝わっただろうか。助けににた言葉かけをしたのだけど、全然伝わった気配がない。このまま週末に入るのはしんどい。

 と、一応長年思っていた言葉の一端を父親に投げかける事ができた。無駄だったが。

 会計を済ませ、両親にはその場でお別れを告げ、お互い別方向へ帰っていった。帰りにスーパーにより、明日の朝飯にランチパックと夕食の天丼とフルーツサンドを夜のおやつに買ってしまった。

 一七時に帰宅してからぐったりしていた。早速日記を書くかと思ったが、メンタルへのダメージがちょっと大きすぎた。行動記録表と家計簿の入力をしてトピアで現実逃避していた。

 一八時になった。天丼をレンチンして食べ、夜の薬も飲んだ。佐賀よかの山動画をざっと見た。動画も役にたたなかった。メンタルの混乱?落ち込み?動揺はすごかった。ベッドに横になり布団をかぶって目をつむっていた。

 二〇時三〇分ごろにやっと気力が戻ってきて、今日の日記を書きはじめた。短い時間での四者面談の精神的なやり取りを書くのはものすごく難しいが可能な限り思い出してみようと思った。BGMは天開司のエルデンリング配信だ。

 どうあって欲しかったのか書いておく。「それはどういう事かな?」と言った事が分からなければ聞き返すという事があればよかったなと思った。医療従事者でもないのに俺を分析したのは昔も今も腹が立つ。何様のつもりだ。神にでもなってろクソが。という感情を出さなかったのはよかった。父親とオープンダイアローグできるだろうか?今の俺にはまだ無理だと分かった。対話を継続するだけのエネルギーがない。会話は無理だと心底分かったのは収穫だった。以前も今後も意思疎通は難しい、言葉は通じるが会話にならない。陰謀論者や妄想が激しい感じの人を相手にした時のようだった。俺は病んでるとは思うが、これほどまで気が狂ってる感覚を味わえるのは父親の前だけだ。最高か。

 明日は草径庵(ブックカフェ)へ行ってコーヒー飲んで癒やされるんだ、絶対。

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