三月十一日に思い出すのは……

 令和四年三月十一日金曜日の日記。

 しんどさ5ねむさ5、万歩計6413

 小指手術後二十五日目。

 十一年前の東日本大震災当日、俺は区役所に生活保護の申請をしにいっていた。書類を提出した直後に大きな地震で区役所から避難して、地域担当のケースワーカーと初対面だったような気がする。金欠でカツカツだった。明日が見えなかったので地震が来ても「ああ地震か」くらいにしか思えなかった。かなり捨て鉢になっていたのを記憶している。

 その捨て鉢な気分が当日、次の日と被害の甚大さを実感していくと反比例していくように消えていったのも覚えている。他人の無事を祈ったりもした。自分に余裕がない時は他者をいたわることができないのも実感した。

 というのが俺の三月十一日の記憶である。帰宅して本棚から本やフィギュアが飛び出し、マンションの外壁にヒビが入り、断水し停電し避難場所を求めて寒い外をうろついた。帰宅困難者で路上がいっぱいになったのと同じ時間、俺は避難場所で暖房に包まれていた。情報はツイッターのタイムラインから入手していた。夜遅くに断水と停電が復帰したのを確認したので帰宅したのを覚えている。次の記憶は六月の引越と右手の火傷跡手術のために入院した事だ。二〇一一年の俺は自閉的だったと思う。病に向き合ったために。

 今更だが黙祷。生き残っている人に祝福があらんことを。亡くなった人に鎮魂を。

 日記に戻ろう。昨晩は十一時半に寝た。小花衣ももみのFF6ピクセルリマスター配信の途中で離脱した。狂信者の塔でマジックマスター相手に苦戦しているようだった。最後のアルテマに対策しないとめんどくさいよね。

 今朝は午前四時に起きた。杉田智和のファミコンミニのゼルダの伝説配信のアーカイブを見ていた。午前五時すぎまで見ていた。

 寒いので午前七時少し前までベッドに横になっていた。ゴミ捨てついでに隣のコンビニへ行き、あらびきポークソーセージを買ってきて朝食にした。朝の薬も飲んだ。家計簿の入力もした。ニュース配信をBGMにして出る支度をしていた。

 午前八時になった。自室を出てデイケアに出かけた。気管支が冷気でひやされてるのか息がしんどい。たまに痛みのような感覚すらある。命に別状はないので無視してバスと徒歩でデイケアのある病院へついた。

 朝のミーティングを終え、午前のプログラムが始まった。午前は個別活動で俺は読書をしていた。

 『唯が行く!当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』を一応読了した。巻末のオマケは全部読めていない。雑多な文とゲームブックだからだ。感想は俺には難しかった、あとご都合主義的な物語だったなとか、登場人物の各人の服装や見た目に関する描写がほとんどなくても、登場人物がどんな病気や障害でくるしんでいるというだけでキャラ立てさせちゃうのはどうなのよと思った。いやそういう本だから余計な情報を削ったのでは?とは思うのだが。焼肉パーカーみたいな余計な描写がもっと欲しかった。

 ただ、本文中の引用の仕方はカッコイイと思ったが原稿書くのは難しそうだなと思った。

 アドバイスは上から目線になるから提案がいい(2021横道)といったような引用で、巻末にその引用の詳細が記載されるといった形だ。ハイパーテキストの形で管理したのだろうか?DTP作業はどうやったのだろうか?気になる。

 再び日記に戻る。昼の十二時になった。給食は豚肉の米飯、焼肉、酢の物、かぶの吉野煮、ジュースだった。酢の物とかぶの吉野煮が特にジューシーで美味しかった。酢の物のきゅうりが好きでたまらんのだ。昼の薬も飲んだ。

 午後はWRAP(元気回復行動プラン)だ。今回は調子が本格的に悪くなった時のサインと対処法を共有するコマだった。詳細は心理的安全のために書くことができない。非常に有意義な学びを得た。

 帰りのミーティングを終え、会計を済ませ、今日はスーパーへは寄り道せず、帰り道に理髪店へよって髪を切るつもりだったので道路をてくてく歩いていると、あわてている赤ちゃんをだっこした女性と歩道に倒れているジジイと倒れた電動自転車を発見した。他に男性一人がジジイのとなりで様子を見ているようだ。

 手伝う事はあるか?と各々に声をかけ、ジジイが救急車に収容されるまで十分くらいだったろうか、その場で様子を見ていた。

 通りかかった医者らしき男性も到着し、ジジイに声掛けをし、脈をはかったりしていたがジジイは倒れたまま腰をぬかしたショックで立ち上がれなかったようだ。左手とひだりのこめかみがすれて痛々しい様子だが、骨折や打撲の様子は見当たらなかったので俺は半ば放置していた。

 ジジイはうわ言のように「救急車は呼ぶな」と繰り返していたがそんなジジイの都合は無視して赤ちゃんと女性に「救急車呼んでいいっすよ」と指示してしまった。

 住所は電柱に書いてあったのをそれを指差し、一方でジジイを見やるとズボンのチャックがあきっぱだとか、変なコケ方をしたのか足元に紙袋がひっかかっていたりと滑稽に見えたが笑えなかった。医者は命に別状がないのを確認し、救急車が近づいているのを知るとそさくさと立ち去ったのであった。俺はとりあえず最後まで物事を見守るまでここにいようとしていた。やがて救急車がやってきて、救急隊員が三人でジジイを収容してその場でなにやら処置かヒアリングしているようだった。倒れてたままの電動自転車を立ち上がらせ、歩道へ移動させ、壁際に放置して赤ちゃん女性に声掛けを済ませてからその場を立ち去った。

 ジジイの傷口をおさえるためにに差し出したハンカチは回収した。命に別状はないものの、なにか事情があったようだ。それにしても八十六才のジジイが倒れて立ち上がれないとか、どんなコケ方したんだろう?それほどショックだったのか。

 あと赤ちゃんと女性のコンビ(?)おかあさんだと思うが妙にテンションが上がっていたようで子育て中の熊を思い出したので距離をとって逃げたというのもある。俺はどう見ても不審者だしな。ジジイの骨が折れてないか、頭にショックを受けてないか、その辺が気になるが俺がどうかできる事を越えてしまっているのでこの辺で言及を終わる。

 スーパーによらず早く理髪店へ行って帰宅しようとした目論見が外れてしまった。まあいいさと理髪店へ入り、髪を切りヒゲを剃ってもらった。二五〇〇円なり、安くて助かる。

 帰宅したら午後五時すぎだった。行動記録表と家計簿の入力、佐賀よかの山動画を見ていた。またウーバーイーツを使ってしまった。贅沢だ。

 午後六時になった。双子のチョコボレース配信がはじまった。ウーバーイーツのステーキ重が届いたので食べた。肉が比較的安く食べられてオトク感があった。夜の薬を飲み、家計簿の入力をした。食休みしつつベッドで横になっていた。

 午後九時になった。ベッドから起きた。カクヨムの更新を確認したら、いつものメンツが更新していたので読んだ。山下嬢の新作が重く辛く悲しい話だった。ニュースをBGMに今日の日記を書きはじめた。

 今日の日記は、日記なのかエッセイなのか書いていてよくわからない!時系列がむちゃくちゃだ。と思ったがパトスで書くしかないのだ。そろそろ推敲せねば。

 そうだ。元々今日は四者面談の予定があったのだが、まん延防止の延長で流れてしまったのだ。こんなセンチメンタルになる日に面談は止めといた方が正解だったのかも知れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る